Project Seven

presented by PSY

■第七話・暗示■


 譲は駅を出て、空を見上げた。
 もうすっかり夜だが、久しぶりの晴天で太陽の温もりを溜め込んだアスファルトは、まだ熱気を帯びている。じっとしていても汗ばんでくるぐらいだ。
 ネクタイと襟の間に指を突っ込み、息をつく。
 ここ数日、再就職活動で忙しかった。
 背広姿であちこち歩きまわるなんて柄でもない。
 いい加減自分の売り込みセールスにもうんざりしてきたところだ。
 もっとも、幸いそれも今日で終りそうだった。
 野崎オートメーション社の開発担当に内定が決定。まだ仕事の内容はよく分からないけれど、当面は食うに困らなくてすむ。
 務が来るの、何時だって言ってたっけ?
 譲は腕時計に目をやる。
 とりあえず晩飯でも買って帰るか。
 駅のデパートに足を向けかけた途端、いきなり横から誰か飛びついてきた。
 反射的によけようとする所へ、聞き覚えのある声が鼓膜を震わせる。
「譲ぅー! 良かったぁ、やっと会えたぁ!」
 もちろん奈々だ。
 疲れきった様子で、半泣きの顔になっている。
「もう、大変だったんだからぁ。どうしようかと思った・・・・・・」
 譲の胸にしがみついて、本格的にしゃくりあげはじめた。
 おいおいおい、いきなりなんなんだ、こんな所で。
「譲に電話したけど、連絡つかなくて。家に行こうと思ったけど、場所がよくわかんないし迷っちゃうし・・・・・・」
「どうした。なんかあったのか?」
「あたし、そんなつもりじゃなかったのに。まさか、死んじゃうなんて! あいつ・・・・・・」
 死んだ? 誰が死んだって?
「山田の奴・・・・・・あたしがバラすって脅したらびびっちゃって・・・・・・保険金もかけてたし、それで・・・・・・」
 断片的な奈々の話をつなぎあわせるとつまりこういうことらしい。
 奈々にデータを破壊されたと警察に訴えたPOソフトの社長が、逆に奈々に会社の不祥事をばらすと脅されて自殺した、と。
 POソフトはかなりの借金を抱えていたというから、社長の保険金はその返済に当てられたのだろう。
「それは奈々のせいじゃないよ。保険金が必要だったからだろ。」
「でも、あたしが二度目の電話をかけた次の日に・・・・・・」
「そいつも、そいつなりに良心の呵責を感じてたんじゃないか。奈々の声を聞いて、罪悪感で恐ろしくなったんだよ。君が悪いんじゃない。」
「ホントにそう思う?」
 奈々が真っ赤な目で見上げ、譲がうなずきかけた時、
「よう、この犯罪者。」
 後ろからいきなり肩を叩かれた。
「女子高生泣かせてなにやってんだよ。」
 務がニヤニヤしながら立っている。
 まずい所を見られた、と譲は舌打ちした。
「ほらおじょーちゃん、何があったか言ってごらん。おじさんが、この悪者をとっちめてやるからね。」
「バカ、変態。」
 奈々が目をぬぐい、ぷぅと頬をふくらませる。
「譲、この人、知り合い?」
「ああ、会社の同僚だよ。元の会社の。三河 務っていうんだ。務、こっちが。」
「奈々ちゃんだろ。話は聞いてる。よろしくな。」
 務が手を差し出したが、奈々は握りかえそうとしない。
 アロハシャツに短パン、しかも夜だというのにグラサンをかけていたりして、務の格好はかなり怪しい。奈々が警戒するのも無理はない。
「俺もこいつと一緒に、例の大迷惑な人真似ロボットを調べてるんだ。あんた、譲のうちに行くんだろ? 俺も一足遅れていくから、一緒に謎解き楽しもうぜ。」
「なんだ、なんで今来ないんだ?」
「ちょっと用意したいモンがあってね。すぐに行くから、二人で先に楽しんでてくれや。」
 務は意味深な笑いを残して去って行く。
 譲は首をかしげ、奈々の方をふりかえった。
「どうする? 帰るなら送っていこうか。」
「いーよ。譲の家に連れてってよ。」
「家に連絡は?」
「へーき。泊まるかもしれないって言ってある。」
「・・・・・・」
 家の場所すら覚つかないのに『泊まってくる』とはいい度胸だ。駅で俺に会えなかったら、ホントにどうするつもりだったんだろう?
 まあ俺の知ったことじゃないけど。
 コンビニで軽く食料を仕入れて家へ向かった。
 譲のアパートは住宅街の中にある。
 洒落てはいるが似たような作りの家が並ぶ路地を何度も曲がり、小さな公園の脇を折れた少し先。それほど背の高くないアパートの片一方がそれ。
 住所の振りかたは家が建てられた順でほとんどランダムといってもいい。奈々が迷うのもうなずける。
 三階の部屋にあがり、鍵をあけた。
 奈々が譲の後ろからそっと中を覗きこんだ。
「失礼しまぁーす。」
 実は結構ドキドキワクワクしていたりする。
 本物の男の人の部屋にあがるのは、実をいえば初めてなのだ。
 もちろん弟の弘の部屋には入ったことがあるし、従兄弟の部屋も覗いたことがある。
 弘の部屋は奈々の部屋よりはきれいだけれど、雑誌だのお菓子の袋だのそこいらに散らかっている。
 従兄弟の部屋に入った時はひどかった。趣味でやっているサーフボードが置いてあり、水着や潜水服がそこらじゅうに乾してあった。海のにおいと男のにおいがムッと充満していた。
 で、この部屋は?
 玄関を入るとクローゼットのついた小さな廊下があり、その向こうに居間兼台所。右に洗面所がある。
 木の香り、かすかな譲のにおい。多分洗髪料のにおいってこと。
 それに、奈々にとっては嗅ぎなれたにおいがする。稼働中の新しいコンピュータの匂い。なんだかホッとする。
 居間の中はバーチャル空間のマイ・ルームとかなり近い。
 黒で統一された家具と電気製品、灰色の柔らかいカーペット。
 廊下から奥の部屋に向かって天井をコードが這っている。HOC(ホーム・オペレーティング・コンピュータ)を自前で作ったのだろう。多分反
対側の端はお風呂や入り口の警報装置なんかにつながってる筈。
 居間の隣はコンピュータルーム。でも奈々が想像したよりはずっと控えめだ。
 デスクトップマシンが二台にノートパソコンが一台。コンピュータらしきものはそれだけ。
 ただし、スペックはかなりのものだ。奈々が買うようなオール・イン・ワンの安物とは違う。パーツひとつひとつにこだわりが感じられるような。
 目を引くといえば壁面の大型ディスプレー。背後には本格的なサウンドデッキがあり、空いている左側の壁の部分にはCGのモダン・アートがかかっている。
 結構きれいにしてるんじゃん、男の一人暮らしのくせに。
 と奈々は内心一人ごちる。
 少なくとも奈々の部屋よりは数倍きれいだ。
「その辺に座ってて。あー・・・・・・パソコンは見てもいいけど余計な操作はしないように。なんか飲む?」
「ミルクティー。さっきコンビニで買った中にあるでしょ。」
 譲は奈々に缶を放り投げた。
 自分もコーヒーの缶をあけ、勢いよく飲む。
 務のあの口ぶりだと今日は長い夜になりそうだ。面接でだるくなった脳と体にはある程度カフェインが必要だろう。
「ホントに今夜ここに泊まってく気か?」
 念のために奈々にもう一度確かめた。
「迷惑?」
「いや、俺は別にいいけど、見ての通りあんまり広くないからな。寝るとこって、この部屋のソファか、俺らと一緒の部屋しかないけど・・」
「いい、いい、なんでも。どうせ着替えも持ってきてないんだから、そこら辺にごろ寝で。」
 奈々はソファにひっくり返る。
「務が来なかったら俺と二人っきりでここに泊まるつもりだったのか?」
「そう。」
 奈々はあっけらかんと答えた。
「そうってあんた・・」
「だって、譲は高校生にいきなり襲いかかってきたりしないでしょ。それとも、夜になると変貌するの?」
「いや、そんなことはないけどさ・・・・・・」
 信頼されているのか舐められているのか、ただ単に無防備なだけなのかよく分からない。
「考えてみたら、俺と直接会うのってまだ三回目だろ。赤の他人をそんなに信用していいの?」
 いや、逆もそうか、と譲は気づく。
 よく知りもしないハッカーを自分の家に泊めるなんて俺もどうかしてる。
「関係ないじゃん。会った回数なんてさ。一度も直に会ったことないネットの友達があたしを助けてくれたし、毎週会ってる先生は相変わらず学習端末も触らせてくれないし。」
「まだグローバルIDも使えないんだ?」
「半年は禁止。ひどいよね。もう窒息死しちゃいそう。」
自走式プログラム(あいつ)が、よりによってあんなとこに忍びこまなきゃな・・・・・・」
 いいかけてふと譲はある可能性に思い当たり、口をつぐんだ。
 そうだ。なんで思いつかなかったのだろう。なぜ(ワーム)が政府のサイトに侵入したのか。
 奴は姿をのっとった人間のハックした手口を記憶する。
「奈々、もしかして以前、政府のサイトを・・・・・・」
「違うんだってば。」
 奈々が素早くさえぎって口をふくらませた。
「政府がサイトをオープンした時、セキュリティを破った最初の人には賞金をあげるって広告してたのよ。私たちにしちゃこんないいチャンスはないじゃない? 腕試しにもなるし、賞金も稼げる。とーぜん、トライしたわけよ。」
「で、奈々が一番乗りしたと。」
「そう思われてるんだけどね。」
 奈々は微妙な言い方をする。
「違うのか?」
「うーん、違いはしないけど、なんかまぐれって感じなのよねぇ。」
 そう、計算通りでうまく入れたんじゃなかった。
 なんとなく色々試していたら、裏口ルートが発見できた。それだけ。
 OSの開発元が情報収集用にこっそりしかけていた裏口ルートに偶然アクセスできちゃった。端末の情報、所有者名、そんなものがいろいろ手に入って、侵入の手がかりができたというわけ。
「開発元が情報収集してたってことか?」
「やってた証拠はないけどね。でもあれが偶然のバグとは思えないなあ。」
「奈々がハックに成功したのも、全くの偶然ってわけじゃないだろ。」
「まあね。でもなんか複雑。ほんとはそんなに技術があるわけでもないのに、妙に注目浴びちゃうし、若い連中に尊敬されちゃったりして。挙げ句の果てに、『ハッキングツールくれ』なんてメールで脅迫してくるアホも出てきて。こっちは結構負担なんだけど。」
「この際、廃業したら?」
「いいのよっ。そのうち噂に恥じないすごいテクを身につけてやるんだから。」
 譲が返答に困った時、チャイムが鳴った。
 紙袋を抱えた務が部屋に入ってくる。
「よう、待たせたな。仲良くやってたか、お二人さん。」
「なに買ってきたんだ?」
 譲は袋をまじまじと眺めた。
「電話。それにチップを少々。」
「何、はじめるの?」
 奈々が興味津々といった顔で身を乗り出す。
「まあ、お楽しみは後さ。つかまえた自走式プログラムの解析結果はもう見たか?」
「まだ。全然。」
「じゃあ、そいつをまず見せてやろうぜ。」
 務が譲を促し、マシンを起動させた。
 プログラム形状とソースリストがメモ書きとともに表示される。
「ま、簡単にいやぁ、人の姿を『乗っ取って』情報を片っ端から集めてくワームだ。ExtremeJAVAで書いたソースプログラムを侵入先に送りこんで、相手のコンピュータの中でコンパイルをかける。そいつが先鋭隊になって本体のワームをコンピュータに引っ張り込む。基本的にはほとんどのプラットフォームに対応可能だ。盗んだ情報は暗号化して送信する。使えそうなオブジェクトがあったら、自分のソースコードに取りこんで再利用する。」
「盗んだ情報の送り先は?」
「SHADOW.COM。そこからBLUR.COMっていう宛先に自動で転送をかけてる。BLUR.COMには誰かが定期的にきて情報を持ってってるみたいだけど、どこから接続してるかは調査中。」
「へぇぇ。」
 ファイル全体に目を走らせていた奈々は、ふとあることに気づき、息をのんだ。
「ちょっと待って。このファイル名の666って!」
「なんだ、何か知ってるのか?」
 奈々は失踪したハッカー達のこととそれに関連する666というキーワードについて、手短に話した。
「そうか! おい譲、例のファイルの意味、分かったぜ。」
 務が興奮して叫ぶ。
「何、どうしたの?」
「今まで666っていう数字についてネットワーク上でなにか議論されてないか調べてみてたんだ。で、こんなのが見つかった。」
 務がテキストファイルを広げてみせた。
 奈々は身を乗り出してスクリーンを眺めた。
 務が広げて見せたのは、どこかの掲示板のやり取りらしかった。
 元ネタは海外のアングラサイトだろう。
 誰かが日本語に翻訳して転載したものらしい、

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Topic:666について・・・・・・
Name:r00tMania
Date:6:35PM Jan. 23

ダーク・ホースを解析してみた人、いる?
俺はやってみたんだけど、サブタイトルが666に
なってるんだよね・・・・・・
これってどこかで見たことあると思わない?
(i.e. GreenとFire)
失踪事件と何か関係あるのかも。

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Topic:それって
Name:Unsigned Int
Date:11:55PM Jan. 23

それってつまり、誰かが私たちを狙っているという
ことですか?
(FBIの陰謀か?!)
でも、そうだとしたらなんのために? 
いなくなったハッカー達に共通点は特にないですよ
ね。三人ともすごく頭がいいってことくらいで。

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Topic:失踪事件
Name:HεllM@ster
Date:1:43AM Jan. 24

失踪事件なんて他にもあるわけだし、数字だけで関
連があると決めつけるのは早いと思う。

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Topic:失踪事件
Name:Evil Eye
Date:7:23PM Jan. 24

恐らく、全てはオメガに関連している。
けれど、私は多くを語らない。

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Topic:教えてください。(オメガ)
Name:Thunder
Date:10:30PM Jan. 24

私の友人(IDはKiller。知ってる人も多い
でしょう)が、半年前から行方不明です。遺書のよ
うな日記が残っていたので、警察には自殺だと片づ
けられました。
ところが、いなくなってしばらくして私にメールが
届きました。
生きる方法が見つかったかもしれないと書いてあり
ました。
発信元は不明でしたが、Omegaというサーバを
経由していました。
オメガについて知っていることを教えてください。
私は友人に会いたいのです。

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 ややぎこちない翻訳はそこで終わっていた。
 奈々が読み終わったのを見計らって、務は画面を指差してみせる。
「つまりこのGreenとFireってのはグリーン・アイズとファイア・プルーフってハッカーのIDだったってことだな。うん、それで話の辻褄はあう。」
「キラーとOmegaについては調べたの?」
「検索エンジンで探した限りじゃ見つからなかった。正直言うと、そんなに突っ込んで探しちゃいねぇんだ。色々アンテナに引っかかった中で、こいつがDEATHに関係あるって保証もなかったし。」
 失踪したハッカー達とDEATHが関係あるのかどうか。
 単なる偶然の一致なのかもしれないけれど、調べてみる価値はありそうだ。
 奈々は身をのりだした。
「世界中のH/C(ハック・クラック)情報を集めた日本のサイト、知ってるよ。E・Boxっていうの。ニュースのバックナンバーもいっぱいそろってる。」
「あぁ、聞いたことある。でもあのサイトはWWVSにゃ開放されてねぇだろ。会員制で、決まった電話番号からの接続しか受けつけない。」
「えへへ。じ・つ・は。あたし、会員だったりして。」
 奈々は少々誇らしげに胸を張った。
 それに応対する務の言葉にも少々驚きの念がこもっていて、
「ホントか?!」
 E・Boxのメンバーになるには価値のあるネタを提供しなければならない。オリジナルのハッキング・ツールとか、OSの未発表裏技とか、暗証番号リストとか。
 E・Boxの通行証(パス)は、いわばエリート・ハッカーの証なのだ。
「ただ、ひとつ問題があって。」
「なんだよ、言ってみな。」
「あたし、今謹慎の身なの。電話の使用禁止されてる。」
 奈々は悔しげに唇を噛む。
 身柄は自由でも、ハッカーにとっては世界から閉ざされた状態。なんにもできやしない。
 ところが、務は残念がるどころかニヤリと笑った。
「俺って冴えてるねぇ。いよいよこいつのご登場ってわけだ。」
 紙袋を逆さにすると、電話とペンチ、部品類がバラバラと落ちてくる。
「何をはじめる気だ?」
 譲は怪訝な顔をしたが、奈々は、あ、とつぶやいて、
「電話機を改造するの?」
 務はぱちんと指を鳴らす。
「ご名答。携帯電話は物理的に回線がつながってない。どんな番号を名乗るもこっちの電波しだいってわけだ。」
「おい、そいつで奈々の電話番号を偽装するつもりか?」
 譲があわてて口をはさむ。
「ま、そーゆーこと。」
「あたしの番号、見張られてるかも。今使うとヤバい。」
「じゃ、俺のダチの番号でつないどくか? とりあえずあんたは中を案内してくれればいい。」
「待てよ。それって犯罪じゃないか?!」
 譲が再び割りこんだが、務はへらへら笑っているだけだ。
「ま、細かいこと気にすんなよ。後で通話料分おごってやれば問題ないって。それより、改造してる間に、複合条件で検索できるロボットプログラム書いといてくれよ。指定範囲の空間で、ANDとOR指定してテキスト検索できるやつ。」
「どうなっても知らねーぞ、まったく。」
 譲はため息をついた。
 こいつらとつきあっていると神経がおかしくなりそうだ。世の中の法律なんて屁とも思っていないのだろう。
 ともあれ、ウイルスプログラムを相手にやり合うからにはこっちも常識を持ち出している場合ではなさそうだ。しばらくは彼らのペースにあわせた方がいいのかもしれない。
 端末に向かい、ツールを製作しはじめる。
 検索ロボット自体は以前書いたものがあるので、ごく一部を書きかえれば事足りる。十分もあれば充分だ。
 譲は変更すべき個所にカラーでコメントをつけ、素早く修正を施していく。
 務の方は、奈々がじっと見守る中で携帯電話を分解しはじめた。
 電話機のカバーを開き、中から細いワイアーを引っ張り出す。
 目当ての銅線を探し出し、ペンチで切りとって絶縁膜をとりのぞく。
 チップを埋め込み、接続確認のランプを点灯させて終了。
 これで、#10(シャープイチゼロ)の後に数字を打ち込むと、認識用のペア番号ー発信者番号と携帯電話の固有番号を変更できる、フリー電話のできあがりだ。
 この場合、ネットに出入りできる友人の携帯電話番号にしておけばよい。
 譲の家の電話に着信させて接続試験する。
 電話回線に接続されたコンピュータの画面にメッセージがポップアップした。
『発信者名:不明 発信元:***ー****ー・・・・・・』
 出てきたのは務の友人の番号だ。これで番号の問題はクリア。
 ラップトップマシンに携帯電話をつなぎ、E・Boxにリモート接続する。
 画面中央に黒い空間が現れ、無機的な、顔だけのポリゴンが姿を現した。
 髪がなく、目は眠たげな二重(ふたえ)で、分厚い唇がせわしなく動いている。
 発している言葉は、
『PASSWORD PLEASE』
 パスワードを求めているのだ。
 務は八文字程度の文字を叩きこんだ。
 反応はない。
 別の文字列で試してみたが、駄目なようだ。
 務が頭を掻く。
「ああ、くそ。パスワード変えやがったのかな。電話してみるか?」
 三回パスワードを間違えると強制切断されてしまう。何度もかけ直すのも面倒だし、管理者に怪しまれる。
「その人、何してる人なの?」
「ptpコミュニケーション社の研究所で働いてる。光プロセッサの研究をしてるとか言ってたな。」
「それって、筑波の研究所?」
「ああ、そうそう。よく知ってんな。」
「研究所のシステム、ハックしたことあるから。研究所の回線からE・Boxに接続してきてる人がいたんで、トレースしてみたの。林って人じゃない?」
 学校のクラスメートの名前は覚えていなくても、こういうことに関して奈々の記憶力は抜群だ。
 務は面食らいながらうなずいてみせる。
 奈々はしばらく考えてから、キーボードに手をのばした。
 文字列を叩きこむ。
 lc8wood。
「ようこそ。」
 巨大顔ポリゴンがブツブツとつぶやいた。
 ブルーのグラデーションの空間が消え、暗いホールが浮かびあがった。
「おい、なんで分かった?」
「研究所のパスワードファイルの中にla7woodっていうのがあったから。la7が開発中の製品名だし、woodは林のことでしょ。で、今の最新版がlc8。」
「なるほどね。」
 務は思わず舌を巻いた。
 伊達にE・Boxの会員資格を持っているわけではない。記憶力もいいし、推理も鋭い。研究所に忍びこんだということは、ハッキングスキルもかなりあるに違いない。
 譲がふり返った。
「検索ツールできたぜ。今、そっちのマシンに転送する。」
 こちらのスピードも相当なものだ。プログラムに透過(ステルス)性がほどこしてあるのに気づいて、務は思わず苦笑する。
 つまり、このプログラムを使って何をしたのか、サイトの管理者側に知られないということだ。
 あんたもこっちの世界の人間らしくなってきたじゃないか、譲。
 早速プログラムを走らせ、ついでに奈々に『道案内』をお願いする。
 奈々は巨大なスクリーンに映し出された建物をひとつずつポイントしてみせた。
「こっちが過去のH/C(ハック・クラック)ニュースのためてある図書館になってる。最新の話題から、2600マガジンの創刊号までそろっ
ちゃう。あっちがツールショップ。パスワード破り(クラック)ツールとか、特殊ハードも通販で売ってる。向こうが会議室とチャットルーム。」
「ニュースの検索はプログラムにまかせるとして、話を聞いてまわってみようぜ。」
 務が提案する。
 奈々はうなずき、チャットルームへポリゴンを進ませた。
 チャットルームの外見は、サーカスのテント小屋みたいだ。
 奈々はグローブを借りて、務の友人のポリゴンを小屋の中へと進ませる。
 周囲が一瞬暗くなり、現れたのは赤と青のライトに照らし出された幻想的なステージ。
 中には既に先客がいて、泣き笑いのような表情をしたピエロと、怪獣みたいな生き物、ぐるぐると転がるボールがなにか話し合っている。
「こんにちは。」
 声をかけると、三人が一瞬時間差で答える。
「ようこそ。」
 エコーのようにハモッた後、ピエロが首を傾げる。
「ここは初めて?」
「そう。SEVENです、よろしく。」
 うわ、馬鹿、と務がつぶやいた。
 いきなり本物のIDを名乗る奴があるか。
「だって嘘ついたってしょーがないじゃん。」
 奈々は務に向かって口をふくらませる。
「なんだって?」
「あ、いやこっちの話。あたし、いま人のポリゴン借りてアクセスしてるから。」
 奈々が悪びれた様子もなく言うと、怪獣が仲間を紹介してくれた。「俺はノリオ。こいつがマッドマン。こっちのボールがハク・チューム。ってID見れば分かるよな。」
「なんの話してたの?」
「環境問題と人類の未来について。」
 ピエローマッド・マンがくすくす笑う。
 ノリオが脇から補足する。
「VRーOSとCOSとどっちを選ぶべきかって話してたとこさ。COSはマシンをいっぱい組み合わせて並列処理ができる。VRーOSはなんたってシェアが大きい。俺たちハッカーとしちゃ、性能のいいOSが欲しいけど、みんなの使ってるOSを研究しないとなんにもならない。」
「そりゃ人類の存亡に関わる大問題だろ。」
 とピエロ。
「S/OSってのは?」
 譲が口をはさんだ。
「あんた、誰だ?」
「ああ、失礼。傍観者その一ってやつ。SEVENと一緒にいる。」
「その二もいるのか?」
 ピエロが不信げに尋ねたが、怪獣(ノリオ)が興奮した調子で割ってはいった。
「S/OSね。あれはサイコー。すげぇよ、いや、マジで。」
 早口に叫ぶ。
「デヴィン・ルーセントは天才だね。めちゃクール。」
「あいつも元ハッカーだよな。社長になる前は。」
 ピエロがコメントする。
二十(はたち)で社長。十年で消えたけど。でもそこがいい。じじいになっちゃ伝説にならない。」
「アノOSガ普及シテタラドウナルト思ウ?」
 そう言うハク・チュームの声は少しエフェクトをかけているみたいで、甲高い。
「マダ侵入ニ成功シタ奴ハイナイ。メチャクチャ堅イ。はっかーヲ廃業スル奴モイルカモネ。」
 キキッと金属的な笑い声がする。
「ふん、設定をとちるヤツも出てくるさ。穴のないシステムなんてあるわけがない。」
 怪獣が火を吐いて豪語する。
「天才デヴィンに挑戦するって? リモートサービスがオフになっててもソフトをインストールする方法がある?」
 しばし専門的な会話がやりとりされた。プロトコルがどうとか、接続手順(ハンドシェイク)がどうとか、暗号化がどうとか。
 奈々は適当に聞き流していたけれど、途中で腰を折った。
「ね、全然関係ないけど、オメガって知ってる?」
 一瞬、沈黙が流れた。
「なに、それ?」
 ボールが転がるのをやめて問い返す。
「ギリシャ語の最後の文字。」
 マッド・マンがもったいぶった口調で言う。
「アルファが初めでオメガが終り。アルファにしてオメガなら全能の神。」
 例の失踪がらみのオメガについては、聞いたこと、ないんだろうか。
「じゃあ、キラーは?」
「同名ノういるすそふとハ山ホドアリ。」
「アメリカのハッカーだろ。3年前にいなくなった。俺のメール友達でサンダーって奴から聞いた。」
 マッドマンが肩をすくめる。
 ひょっとしたら、メールのやりとりに出てきたThunderのことだろうか。
 ThunderはKillerと文通してたと書いてあったから、もしそうならマッド・マンとキラーは友人の友人ということになる。
 『666』についても聞いてみたけれど、有用な情報は手に入りそうにもない。
 奈々はお礼を言ってサーカス小屋を出た。
「他になにか調べる?」
 譲と務の方をふりかえった時、
「SEVEN、ちょっと待った。」
 後ろから声をかけられた。奈々はグローブで風景を回転させ、後ろをふりかえる。
 さっきのピエロだ。
「Omegaについて知りたいんだろ。」
「何か知ってるの?!」
「LineMastersに出品するって噂を聞いた。」
 奈々は目を見張る。
 オメガが出展?
 ずっと手の届かないところにいると思ってたのに、そんな身近なところに現れるなんて。
「それ、確かな情報?」
「サンダーがそれらしきことを仄めかしてた。」
 サンダーが!
 Killerのことを探していて、何かつかんだんだろうか?
「ね、あたしにサンダーを紹介してもらえない?」
「LineMastersで何かイベントをやるらしくて、しばらくネットにも顔を見せないんだ。」
 Omega、Killer、666・・・・・・点が線になり始めている。
 それがもしLineMastersに終結されているのなら、アメリカまで飛ぶしかない。
「LineMastersに行ったら会えるかな・・・・・・」
「Thunderに会うなら、俺の名前を使っていいよ。MADMANの紹介だって言ったらきっといろいろ教えてくれる。」
「ほんと? 初対面なのに、ありがと!」
「なんか、初めて会った気がしないんだよな。こっちは。」
 マッドマンが照れくさそうに言った。
「俺にとっちゃ、あんたヒーローだからさ。日本政府のサイト破り、俺も参加したんだけど全然歯がたたなかった。そのポリゴンだって誰かの奴をハックしたんだろ。やっぱ、すげぇよ。」
 奈々は複雑な気分になる。
 あたし、そんなんじゃないのに。
「捕まったって聞いた時も、影ながら応援してたんだぜ。困ったことがあったら連絡してくれよ。じゃあまた。」
 ピエロが去っていくのを見送って、奈々はログアウトする。
 務が口笛を鳴らした。
「あんたがあの百万円せしめた張本人ね。うらやましいこった。」
 奈々は返事に困って後ろを向いた。
 譲は素知らぬ顔をしている。
 ちょうどタイミングよく、画面に丸いポリゴンが現れた。譲が走らせていた探索プログラムが、検索(サーチ)を終えて戻ってきたのだ。
 譲は集めてきたファイルを画面上に展開させた。

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「消えたクラッカー」
 6月2日、コンピュータハッカーであるフレッド・
ハワードが友人宅からいなくなった。一週間たった
今も、消息は依然として不明。
 フレッド(19歳)はKillerの名で知られ
たその筋では有名なクラッカーであり、地域電話会
社パシフィック・ベルの社内システムに侵入して連
邦起訴された経歴がある。
最近はコンピュータの専門学校に通うかたわら、セ
キュリティの診断でアルバイトしていた。
 事件当日、彼は友人の家でスキャン用のプログラ
ムを書いていたが、友人が席を立ったすきに部屋か
ら出ていった。コンピュータにはプログラムが書き
かけのままで、伝言の言葉が画面上に残されていた。
 手紙には、人生の意味を見失った、もう生きてい
ても仕方がないなど
と書かれており、警察では自殺した可能性もあると
みて捜査を進めている。(手紙本文へのリンクはこ
ちらをポイント。)
 友人の話によれば、彼は長い間鬱状態にあったが、
ここ数日はなにかに熱心になっており、いつもより
生き生きしてみえた。自殺するようには見えなかっ
た、とのことだ。

(手紙本文)
 人はなんのために生きるのか。僕はなんのために
生き続けるのか。人間の営みは、果たして前進して
きたといえるのか。歴史は繰り返すだけなのか。
 人種問題、環境問題、南北問題、宗教闘争・・・・・・
あらゆる問題が世の中に渦巻いている。

何が正しくて何が間違っているのか、僕にはもう分
からない。世の中は運命という得体のしれない力に
よって流れていく。一人の人間の存在とはなんと希
薄で軽いものなのだろう。

 世の中を動かすのはなんなのか。僕は神を信じな
い。不確定なダイスが人の運命を決める。歴史は偶
然の積み重ねで作られる。

 僕は力が欲しかった。自分の運命を自分で制御し
たかった。僕はコンピュータを操ることを学び、何
が世の中を動かしているのか知ろうとした。自分の
成績表がどのように採点されているのか、教師は、
親は何を考えているのか。
お金がどのように流れるのか、株価はなぜ変動する
のか、会社はどうやって動いていくのか。役人は何
をしているのか、国家はどのように取り引きするの
か。愛はどうして芽生えるのか、そしてどうやって
壊れるのか。微笑みの裏に何が隠され、人はどう人
を裏切るのか。(盗聴を恥ずべき行為だと非難する
人もいるかもしれないが、僕はただ知りたかっただ
けだ。)

 僕は裏の世界を思うまま探索し、あらゆる情報に
アクセスすることができた。口座の預金を増やすこ
とも、新車を手に入れることもその気になれば簡単
だった。(僕は実際には何も盗んだことはないが。)
しかし、それが何になっただろう。どんなに知識を
手に入れようと、どんなに個人があがこうと、組織
という不可解な存在の前には塵に等しいのだ。

 僕はFBIに二度牢獄へぶち込まれ、マスコミと
大衆は僕を罵倒した。三つの会社でアルバイトし、
小銭を稼いだ。人間は実態のない組織にぶらさがり、
運命を決定され、自分の行く末を覗き見ることすら
許されない。自分自身のデータを、自分の未来を知
ろうとすれば、組織に叩きのめされる。

 僕は全てにうんざりした。
 学校に。会社に。FBIに。人間に。社会に。自
分自身に。無意味な時間に。
 そしてうんざりしながら、毎日を生き続けること
自体に。

 今は何もかもが混沌としてよく分からない。
 僕はなぜここにいるのか。なんのために生きてい
るのか。

 一縷の希望はあるように思える。自分の運命を自
分で決める、唯一のチャンス。

 ****(友人の名)、さようなら。僕はもう二
度と君に会うことはないだろう。今まで退屈してい
た僕の人生をなんとかここまでもたせてきてくれた
のは、君たちのお陰かもしれない。先に舞台から消
えることを許してもらいたい。
 さようなら。僕をとりまいてきたすべての環境に。
 もしかしたらいつか・・・・・・
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 読み終えて、譲は息をついた。
 なんだか他人事とは思えなかったのだ。
 まわりの環境に翻弄され続ける自分。無意味なあがきを続けているようにも感じられる。
 もちろん、彼の言うように盗聴行為が許されるとは思わない。
 他人の通信をのぞきみる? 会社のシステムに侵入する? そんな自分勝手が許されるものか。
「こいつの失踪が、例のプログラムと関係してるとも思えねぇけどなぁ。」
 務がつぶやいた。
 666、という数字の一致は単なる偶然なのだろうか?
「Thunderに会って、プログラムを見てもらうのが一番いいかもしれない。でも、アメリカかぁ・・・・・・お金ないし。」
「奈々だったら俺たちより稼ぎがいいんじゃないの?」
 揶揄するような譲の言葉に、奈々は思わず叫びかえした。
「馬鹿、お金なんかないったら!」
 譲は面食らって黙りこむ。
 譲は知らない話だけれど、捕まるよりも前から、バーチャル・デートでは一銭も儲けてないのだ。久々にいい客だったユキオとのデートも、小林のせいで邪魔されちゃったし。
 問い合わせがなかったわけじゃない。何度か途中まで試してみた。で
も、楽しんでるふりができない。退屈が声に出てしまう。
 それまでは多少なりと楽しみながら仕事してたのに。
 原因は分かってる。多分、こうして隣に座ってるのが別の人だったらいいのに、と想像してしまうからだ。
 そうよ。誰のせいでお金がないと思ってるのよ。バカっ!
「デートはもうやめたの。それに今は、ネットワークをとりあげられちゃって、どうしようもないし。」
 知り合いのハッカーの中には、セキュリティ検査をしたりExtremeJAVAで簡単なプログラムを書いたりして小遣い稼ぎをしている者も結構いる。
 IDを剥奪されたハッカーなんて、免停をくらったタクシー運転手みたいなものだ。
 陸にあがった魚。身動きがとれない。
「でも、なんとかしてみる。あてが全然ないわけじゃないんだ。」
「こっちももう少しくわしいことが分かったら連絡する。いや、待てよ、そうか、電話は・・・・・・」
 使用を禁止されていることを思い出して、務は言葉をきった。
 奈々が友人の電話か公衆電話で連絡してくるのを待つしかないわけだ。
「あたし、このまんま譲のうちに居候しちゃおっかなぁ。」
「おい、ちょっと待て!」
 奈々の言葉に譲は本気であわてかけた。
「やだ、冗談だってば。譲ったら、驚いた?」
 奈々が譲の顔をのぞきこむ。
 譲としては、苦笑するしかない。この子に会ってから振り回されっぱなしだ。まったく。
「友達の電話借りて、毎日電話するから。ね、ところでシャワー貸してくれる?」
「へいへい。タオル、その辺の適当に使っていいぜ。」
「ありがとっ。」
 奈々が鼻歌を歌いながらバスルームに向かうと、譲は画面を見つめた。
 毎日十二時に、BLUR.COMのログ情報を集めたロボットプログラムがデータを送ってくる。もうすぐ今日もデータが届く筈だ。
 その中に、盗まれたデータへのアクセス履歴が残っていればー犯人に一歩、近づくことができる。
 見てろよ、もうじきあんたの正体を突き止めてやるぜ。
 譲は見えない敵に向かってそうつぶやいた。

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