Project Seven presented by PSY ■第五話・追跡■ |
奈々はあくびをした。 5時間目、国語の授業。 ちょうどお腹がいっぱいの時間帯、先生の声は子守り歌にしか聞こえない。 腕時計が点滅した。誰かからメールが来たのだ。 ふたを開けると、手のひらサイズの液晶パネルが顔を出す。 なになに、 『イエロー・ハッカーズ緊急ニュース/マシン・ノイズが行方不明。これで四人目?』 「嘘!」 思わず椅子をけたてて立ち上がる。 先生がじろりと奈々を睨んだ。 「なんですか?」 いけない、今授業中だったんだっけ。 しかも遠隔じゃなくて教室の中。 「あ・・・・・・え、ええと、お腹が痛いので保険室へ行ってきます。・・・・・・いたたたた」 明らかにわざとらしい演技をしつつ、奈々は教室を出た。 先生の視線が背中につきささるけど、気にしない気にしない。こんな大ニュースがある時に、授業なんて聞いてらんないわよ。 視聴覚室へ行ってドアにカードを差しこむ。 授業のない時は鍵がかかっているのだけれど、パンチカード式だからちょろいものだ。 ドアについたリーダは、パンチカードの小さな穴の配置で個人を識別する。月に一回、パンチ穴の位置が変わるけど、カードの情報は学校のSOCースクール・オペレーティング・コンピュータに貯えられている。 奈々にとっては合鍵の石膏型がいつでも手に入るようなもの。 もっと簡単な方法もある。事務所に言えばカードキーを貸し出してくれる。穴の位置をうつしておいて、まとめ買いした磁気カードに穴を開ければオッケー。 こんなんなら、最初っから鍵を開けておいてもいいんじゃない? と奈々は思う。 適当なコンピュータの前に座ってバーチャル・ワールドにログインした。 アングラ・サイトのアドレスを叩き込む。 学校のマイ・ルームが消失し、ゆっくりとバーのような光景が姿を現した。 グリーン・ライトに照らし出された暗めの部屋。 イエロー・ハッカーズニュースの会議室、イエロー・フィッシュカフェだ。 カウンターの向こうには水槽があって、黄色い魚がいっぱい泳いでいる。 壁は暗くてよく分からないけれど、よく見るととても精密なICチップのテクスチャになっていて、しかもそれが本物のCPUやグラフィックチップを模したものだから、マニアが見たらよだれが出そうな代物。 部屋の真ん中の柱には、ここを訪れた人たちのメモが無造作に貼りつけられている。ソフトウェアの交換募集から最近ハックしたサイトのパスワード、彼女募集まで、内容は実にさまざまだ。 何十年も前のSF映画みたいな、角ばった形のロボットが滑るように近づいてきた。 「誰かご指名は?」 「プリティ・アックス、XRATE、それとスヌーピー。」 合言葉か何かみたいだが、全部ハッカー友達のハンドル名だ。 ロボットがカフェの中を検索して、ちょうどログインしていたプリティ・アックスと奈々を引き合わせる。 「ひさしぶり。元気してた?」 斧を背にした女戦士が椅子から立ち上がった。筋肉質のしまった体つきをしていて、奈々の1.5倍くらいは身長がある。 必要以上に露出度が高いのは、ファンタジー系キャラクタのお約束。 彼女ーもしくは彼の情報収集力には、奈々も一目置いている。英語も得意らしく、海外系サイトのネタは早い。 「SEVEN、あんた学校は?」 「野暮なこと聞かないのっ。それより、さっきのニュース、見たでしょ?」 奈々は配信されたトピック記事をほのめかす。 「ああ、マシン・ノイズのことね。最近聞かないと思ったら、3月頃から消息をたってたんだって。驚くわよねぇ。」 マシン・ノイズはアメリカの凄腕ハッカーだ。ウイルス・ソフトやハッキングツールをよくネット上に流していて、この世界では知らない人はほとんどいない。 もちろん、奈々も間接的にお世話になっている。 「これでもう四人目よ。最初がファイア・プルーフ。あの伝説的な盗聴ソフトを作ったハッカー。」 「プリティ・グッド・タッピングだっけ? あたしも持ってる。カナダのハッカーだよね?」 「そう、それからキラーにイスラエルのグリーン・アイズ。」 「それで今度のマシン・ノイズか。ね、どういう経緯でいなくなったの? 教えてよ。」 「あたしもよく分からない。ただ、マシン・ノイズの友達が、いなくなる前に一度だけメールをもらったって。こう書いてあったそうよ『俺は、仕返ししてやるんだ。』」 「仕返し・・・・・・誰に?」 プリティ・アックスは肩をすくめてみせる。 「それと、おかしな話なんだけど、三日前・・・・・・マシン・ノイズがいなくなってから、掲示板に彼の名前で投稿があったのよね。ただ、投稿元のコンピュータ名は消されてるし、本当に本人が投稿してきたのかどうか分からないけど。」 プリティ・アックスはジェスチャー豊かにあとの三人の話も続ける。 ファイア・プルーフがいなくなったのは半年前。 彼の運営していたVSサーバのサイトが突然使えなくなった。メールも電話も一切つながらない。サーバ上で提供していたサービスも全て停止。 サイトのデータは全て消え、白い馬と「666」の数字だけが表示されていたという。 二人目はキラー。子供の頃にFBIをハックして捕まったことがある。 昨年の六月、パソコンを立ち上げたまま、友人の前から消えた。 グリーン・アイズは悪名高い いなくなった時期は正確ではないけれど、グリーン・アイズの流していた海賊放送がとぎれたのが半年ほど前だから、その前後とみていいだろう。 「ハッカーが四人もいなくなってるなんて。なんか、やな感じ。」 「各国にまたがってるっていうのが気持ち悪いでしょ。あんたも気をつけた方がいいんじゃないの、SEVEN。」 「あたしが? なんで?」 「あんたもこの世界じゃ結構名が通ってるしさ。それに・・・・・・」 誰かが奈々の肩を叩いた。 ふりかえるけれど、誰の姿も見えない。 奈々は勢いよく向きを変えー 「いてっ!」 悲鳴があがった。 ハッと気づいてヘルメットとグローブを外す。 「ああ、あんた!」 「いてて、ひどいなぁ、もう。」 小林 一樹が右手を押さえて立っている。 奈々が振り返った時、ヘッドセットの突出部が思いっきり指を直撃したのだ。気の毒に。 ボディ・スーツもつけていないのに、触感があるとすればそれはバーチャル・ワールドじゃなくて現実の世界のものなのだ。 ちょっと考えれば分かる筈でしょ、おばかさん、と奈々は自分をののしり、自然と語調も荒くなる。 「なんであんたがこんなところにいるわけっ? 盗み聞きしてたの?」 「そっ、そんなことしないよ。多分、ここにいるんじゃないかと思ってさ。」 一樹があわてた様子で弁解する。 悪かったわねぇ。行動パターンが単純で。 「さっきの授業のノート、持ってきてあげたよ。ホラ。」 へえ、意外といいとこあるじゃん、と感心しながら奈々はノートを受けとる。 丁寧な字でびっしり文字が書いてある。奈々のノートの、軽く3倍はあるだろう。 この際だから、全部コピーしちゃおうか。どうせならテキストファイルで渡してくれるとありがたいんだけど。 「それとこれ、さっき配られた修学旅行の資料。」 「ありがとう・・・・・・って、ええっ?!」 奈々は声をはりあげる。 「なにそれ、修学旅行っていつ決まったの?」 「ほら、アメリカとアジアとオーストラリア、好きなところ選べるって言ってたでしょ。さっきの 「じゃ、あたしは?」 「残ってたとこ。アジアだって。」 「あちゃぁ〜。」 奈々、床にへたりこむ。 二時間もたってるなんて気づかなかった。 どうせ呼ぶならもっと早く呼んでよね、もう。 「嫌なの?」 「アメリカで予定があったのよぉ。」 LineMastersという大規模なハッカー集会を、プリティ・アックスが案内してくれる予定だったのだ。 開催場所は修学旅行のホテルと目と鼻の先。今年が第一回目で、その筋からもマスコミからも注目度ナンバーワン。誰だか分からないけど謎のスポンサーがいて、参加費用はたったの3ドルだ。 クールな人たちといっぱい知り合いになれる筈だったのに! 「大体さ、修学旅行なんて好きなところを選べるようにすりゃいいのよ。学校側で人数を決めてるなんて、ずぇったいクレイジー、ナンセンス!」 「俺、アメリカ希望してたんだけど、もし良かったらとりかえられるか聞いてみようか?」 奈々が首を横にふる。 「駄目。あんたも行きたかったんでしょ?」 「まあね。グランドキャニオンの谷間を飛行機で飛ぶの、夢だったし。でも・・・」 奈々は一樹の顔に指をつきつけた。 「でもじゃないっ! そんな簡単に人に夢を譲るもんじゃないわよ。」 奈々の勢いに一樹は思わず戸惑う。 「・・・・・・け、けどさ、友達と約束したんだろ?」 「あたしはあたしでなんとかするから。とりあえず、ノートありがと。」 奈々は部屋を飛び出した。 ふんだ、いいわよ。修学旅行なんかブッチして、アメリカは自分のお金で行ってやる。 今日はこれで学校も終わりだし、後はお金を稼ぐだけ。 あたしのこの美貌と才能があれば、十万や二十万、すぐにたまっちゃうんだから。 心にそうつぶやきながら奈々が自転車で校門を風のように通り抜けたころ、残された一樹は奈々の使っていた端末をふりかえった。 さっき、電源切っていったっけ? いや、まだみたいだ。 ヘッドセットをとりあげ、かぶってみる。 目の前にいるグラマラスな女戦士が尋ねた。 「SEVEN、突然どうしたの?」 『彼』はへらへらしていた。 だまされてるのかもしれない。そうかもしれない。でも! いいじゃないか。 とりあえず目の前にはとびきり可愛い女の子がいて、愛らしく笑いかけてくれる。 現実の世界じゃありえないこと。 ひょっとしたら中年のおばさんかもしれないし、すごいブス、男だってことさえあるかも。 ノーノー、今はそんなこと考えちゃいけない。 せっかくのデートなんだから。 彼は彼女の腰に手をまわそうとする。 「やだ、エッチ。」 女の子が軽く手をはたく。 やわらかい感触がした。 多分、彼女も体感スーツをつけているのだろう。そう思うとゾクゾクする。 「どこに行きたい、ええと・・・・・・ナナちゃん。」 「そうねぇ。」 奈々はぶりっ子っぽく首をかしげる。 頭をゆらすと、赤いポニーテールがふわりとゆれる。 「伸也、お勧めのスポットは?」 男がめいっぱい緊張した声で、 「タイ政府のサイトでバーチャル国めぐりっていうの、知ってるんだけど。寺院をみたり、記念写真もとれるし、確かマッサージとかもあったと思うよ。体感スーツを着てるんなら、ね。」 「素敵かもぉ。」 奈々は微笑んでみせる。と、いうより、ポリゴンに微笑ませる。 「じゃ、行くよ。いい?」 伸也はアドレスを叩きこんだ。 目の前に扉が現れ、二人はその中に入る。 耳に飛び込んできたのは騒がしい雑踏。 デパートがあり、雑然と立ち並んだボロ屋があり、その向こうに燦然と輝く寺院の黄金の屋根が見える。 三輪タクシーが猛烈な勢いで通りすぎ、屋台の売り子がせいいっぱい声を張りあげる。 多分、半分はノン・プレイヤー・キャラクター。コンピュータのプログラムで単純な動きを繰り返すロボットみたいなものだ。 「川、渡ってみる?」 「うん、伸也にまかせちゃう。」 川に続く裏通りには、屋台が所狭しと並んでいる。 ヤシの実だの魚の干物だのチョコレートだの。手描きの絵つき扇子に木彫りの象、腰巻き布。 「あ、あれ可愛い! ね、買って買って。」 奈々が声をはりあげた。 指さす先には、銀細工のネックレス。実物を3Dスキャンして読み込んだものだろうけど、ポリゴンとは思えないくらいよくできている。 「うーん、こういう所は詐欺が多いからなぁ・・・・・・」 「大丈夫だって。ここ、政府のサイトでしょ? ね、お願い?」 奈々は思いっきり甘えた声を出した。 アメリカ旅行がかかっているだけあって、いつもより営業に気合が入っている。 つい頬の筋肉がゆるんで、伸也はカード番号を打ち込み、奈々の家に品物が届くように申し込んだ。 実物が届くのは一週間後だが、ポリゴン形状の方はすぐにバーチャルスペース上で使用可能だ。奈々はネックレスを首にかけ、飛びはねるように歩いていく。 かわいいなぁ。伸也は小さくつぶやく。 「なんか言った?」 「い、いや、別に。」 船に乗り込むと、まわりの景色がゆっくりとゆれながら流れ出した。 しまった、ちょっと酔いそうだ。 そう思いながら、伸也は奈々の横顔を見つめる。 少し上を向いた鼻、形のいい顎、愛らしいけれどちょっぴり生意気そうな目に、ふっくらした頬。 いいなあ、こんな子がホントに彼女だったらなぁ。 「ナナちゃん・・・・・・」 いいかけた途端、電話のベルがなった。 「あ、ちょっと待って。」 奈々が腕を上げ、なにか話し出す。 「・・え、ホント? 今どこ? すぐ行く。」 あわてた様子で電話を切る。 「ナナちゃん?」 「ごめん。ちょっと急用が・・・・・・続きは、またの機会に。じゃね!」 奈々は自分にしか見えない扉を開き、船の上からジャンプする。 伸也には、川に飛び込み、途中で消えたようにしか見えない。 「・・・・・・くそ!」 伸也はヘッドセットをもぎとって床に投げ捨てた。 だまされた! 人を馬鹿にしやがって。 もう二度と、バーチャルデートなんかするもんか。 「JOH、お待たせ!」 派手な音をたててバイクのポリゴンが譲の隣に横づけした。 奈々のお気に入りの 上に乗っているのは、もちろん真っ赤なスーツ姿の奈々。バイク型装置で操作している現実の奈々とちょうどシンクロするようになっている。 「派手なご登場だな。無免許運転?」 「冗談言ってないで、早く乗ってよ。」 「乗るってそいつに?」 「レーシング・スーツのポリゴンなんだから、ちょうどいいでしょ。」 この格好で、女の子の後ろにしがみつけって? 譲は少々顔をしかめたが、まあこの際仕方ない。 「どうやって乗るんだ。」 「後部座席をポイントして。そしたら、バイクとJOHの形状がグループ化される。」 JOHが乗り込むと、奈々はもどがしげにエンジンをふかす。 「で、あたしの偽物はどっちに走ってったの?」 「プログラムの記録によると、この広場のまっすぐ先だな。俺も実物はまだ見てない。」 二人をのせたバイクが、勢いよく走り出す。 譲は思わず口笛をふいた。 「凄いね、これ。 「ま、そんなとこ。」 本当のところは市販ソフトを、ネット友達が改造してくれたものだ。世界中でもふたつとないクールな乗り物。 奈々にとっては結構自慢の代物だったりするけれど、今はそれどころじゃなく。 「それより、ね、周りよく見ててよ。通りすぎちゃうかも。」 「移動速度が速いからな。つかまえるの、大変かもしれないぜ。」 「そんなこと言わないでよ。仕事、途中でほっぽってきたんだから。絶対今日つかまえてやる。」 奈々は唇をかみしめる。 なんだかあれじゃ詐欺みたいで後味が悪い。 「仕事って、学生だろ?」 「違う。バーチャル・デートのバイト。」 「なるほど。それで金には困らない、と。」 譲が納得したようにうなずく。 「バーチャル・スペース上で一緒にネットサーフするだけよ。こっちはちょっぴりお金もらって、向こうは何時間か、楽しい思いするだけ。いいでしょ、別に?」 「悪いなんていってないぜ。」 譲が肩をすくめてみせる。 むきになって弁解していたことに気づき、奈々は顔を赤らめた。 そうだ、何もこの人に言い訳すること、ないのに。 「なんのバイトをしようと、あんたの勝手だろ。人のこととやかく言うのは好きじゃない。俺も干渉されるのはごめんだしな。」 私も、そう。おせっかいやくのも、やかれるのもキライ。 勉強のこと、学校のこと、バイトのこと、先生だの親だの友達だのが色々口を出してくるのにうんざりしてた。 でも、なんだか今はさびしい気がするのはなぜだろう。 「お、あいつ!・・・・・・」 譲が叫び、奈々はバイクの上から背伸びした。 前の通りを、赤いスーツの女の子がかけてゆく。多分、胸にはSEVENのマークが刻まれている筈。 「よくもまあ、あたしのカッコで荒らしまわってくれたわね。ずぇったい許さないんだからっ!」 奈々の格好をした 奈々は勢いよくカーブを切って、店の入り口へ突進する。 「荒っぽいな。大丈夫か?」 「平気。バイクが親でJOHは子ども。ちゃんとグループ化されてるから、ふり落とされない。」 「そーゆー問題じゃなくて!」 店の中は大型スーパーみたいだ。午前中なので客はまばらで、食料品の山がそこかしこに積みあがっている。 「ちょっと、な、なんなのよ、キャアッ!」 缶詰を物色していた単純な形のポリゴンが悲鳴をあげた。 衝突判定をオフにした自走式プログラムが、彼女の体を突き抜けたのだ。 しかも後から猛烈な勢いでバイクが走ってきたからたまらない。あっという間に通路からはじき飛ばされ、冷凍食品の中へ頭から突っ込む。 「おい、SEVEN!」 「あは、ごめんごめん。でも、大丈夫。さっきのおばさん、多分体感スーツじゃないし。」 「前見てろって! うわ!」 いきなり激しい音がして、譲の手に強い振動が加わった。 バイクがオレンジの山に突っ込んだのだ。 ゴロゴロと、視界の周りじゅうを橙のボールがはねていく。自分の位置がよく分からないし、手がしびれてじんじんする。 体感スーツを着ている奈々はもっとひどい目にあっているだろう。 「おい、大丈夫か?」 「いてててて・・」 「レーシングゲームじゃないんだから。衝突判定、オフにしとけよ。」 「あ、そうだった。」 奈々は横倒しになりかかったバイクをたて直し、追跡を開始する。 自走式ウイルスは山積みの果物売り場をまっすぐ抜けて、もうレジのあたりだ。 通りに出れば、すぐに追いつけるだろう。 ただし、どうつかまえるかは別の問題。 「あいつ、ポイントしてもピックできないようになってるぜ。どうやってつかまえる?」 「これ、捕獲銃。」 奈々がピストルの形をしたオブジェクトを放り投げた。 「あいつに照準をあわせて、撃って。射程範囲は一ブロックくらい。」 「オーケー。」 ターゲットとバイクは店の外へつきぬけた。 譲はターゲットに狙いをさだめる。 「くそ、視界が動いて狙いにくな。」 「もう少し近づくね。」 奈々はエンジンをふかす。 バイクはウイルスの隣に追い上げた。 「どう?」 「いいね。そのまましばらく・・・・・・よし!」 譲の指が引き金を引いた。 網の形のオブジェクトがぶわりと広がりー地面に落ちる。 敵は直角に向きを変え、左手前方を疾走中だ。 「チッ、なんだってこんな所で気まぐれ起こしやがって。」 奈々が急カーブを切り、タイヤが甲高い音をたてた。 「もう一回、接近するから。隣に並んだら、撃って。」 「おう、まかしとけ。」 二人は再び加速を始める。 「なんで方角を変えたんだろ。あたしたちから逃げるほど頭いいのかな。」 「むしろ、どこかに向かってるような・・・・・・この先は何がある?」 「あ・・・・・・まさか!!」 奈々が顔をひきつらせた。 「なんだよ、おい・・・・・・」 奈々が答える前に、視界が開けて目の前に伝統的な建物が姿を現した。 国会議事堂ー 「やぁん、どうしよう。入れるわけないのに!」 「なんだって?」 奈々の狼狽ぶりに、譲は思わず問い返す。 ターゲットは階段を登り、入り口の前で立ち止まっている。 中に入るには個人認証が必要だ。不正なプログラムの侵入は許されない。 と、ウイルスが速度を落として壁沿いに移動し始めた。 別の入り口を探しているのか。 あいつ、何するつもりなんだ? 「ええい、もうっ。いくわよっ!」 奈々は勢いよくバイクを走らせた。 角を曲がって5ブロックほど進んだところで、敵がいきなり立ち止まる。 その目前に現れたのはー小さな扉。 目標はするりとその中へ消える。 奈々のバイクも勢いよく中へ飛びこんだ。 不意に辺りが暗くなり、譲は目をパチクリさせる。 辺りには何も見えない。 「ちぃっ、足の速い奴!」 奈々が中空をポイントし、何か文字列を叩き込む。空中に絵文字のようなものが並び、低い声とともに周囲が明るくなった。 「いらっしゃいませ。」 正確な発音の合成音声だ。 浮かびあがったのは長い廊下。白と黒のタイルがあり、壁には柱と大きな窓が交互に並んでいる。 「ここは?・・」 譲は思わず声をひそめて尋ねた。 「日本政府のローカルサイト。」 「待てよ、それってもしかして不正・・・・・・」 柱の隙間からワラワラと黒っぽいものが這い出してくる。警備ロボットだ。 8つの足と黄色い目。触覚にはあらゆるソフトウェアを停止させ、解析するプログラムが仕込まれている。 前方にチラリと赤い影が動いた。 「いた! あいつっ!」 奈々がバイクを急発進させ、後を追う。 追いすがる警備ロボットを避けながら、蛇行するように走る。 「撃って、JOH!」 譲は引き金を引いた。 届かない。代わりに網は前を走っていた警備ロボットを捕らえる。 もう一度。 奈々が突進してきた警備ロボットを飛びこえた。 譲は再び狙いを定める。 シュート。 網が赤いスーツ姿のポリゴンへ覆いかぶさるように襲いかかった。 高速で移動していた標的は不意に片足をあげたまま凍りついた。 時がとまったかのように微動だにしない。 占有していた けれど、警備ロボットの方は止まる気配はない。ジワジワと包囲を縮めてくる。 「おい、こいつら・・・・・・」 「ログアウトして! ウイルスの方、お願い。」 「お願いって、おい・・・・・・」 SEVENの姿が通路から消えた。 譲は獲物を入れた網を手にし、自分のルームのアドレスを叩き込む。 群がるロボットが一瞬にして消えた。悪夢を見ていたみたいだ。 ヘッドセットをむしりとり、椅子から立ち上がる。 空調とコンピュータの無機質な音が、現実感を呼び覚ます。 時計を見ると、四時十五分。うんと時間がたったような気がするが、実質の追跡劇はものの十数分だったわけだ。 譲は伸びをして、コーヒーを飲みに人気のない土曜の廊下へ出た。 譲は椅子の上でもぞもぞと体を動かした。 背広という奴はどうも窮屈だ。ネクタイなんて首に縄をつけられているようにしか思えない。まったく、奴隷じゃあるまいし! 大学時代、彼女がスーツも似合うって言ってくれたっけ。 ユズルは背が高いし真面目な顔してるから、フォーマルなカッコが似合うわよ。ほら、姿勢が悪い。もうちょっとしゃんとしたら? ドアが開いたのに気づいて譲は姿勢をただした。ざわついていた周りの席も静かになる。 多分社長と直接顔をあわせるのは、年に数回しかないことだ。部屋の中に緊張した空気が感じられるのも無理からぬこと。 社長が壇上に立った。眉根に深いしわがよっている。 「皆さん、今日わざわざこうしてお集まりいただいたのは、重大な発表があるからです。ごく一部の方は既にご存知かと思いますが・・・・・・」 いきなり単刀直入に本題に入り、 「本日、WSソリューション社は松田コーポレーションに売却されることが正式に決定いたしました。」 ざわめきが走った。 譲にとっても寝耳に水だった。 何それ、どういうこと? と、まわりから声がする。 これからどうなるのだろう。 「当社の親会社であるワールド・スマート・エレクトロニクスが過大な投資により収益悪化に陥っていたのは皆さんご承知の通りです。」 岩田が、会場を静めるかのように声を張りあげた。 「プロバイダ事業の失敗、アジアの地価暴落によるインテリジェントビルの経営困難などにより、WSEは非常に経営の苦しい状態にたたされております。WSソリューションは少しずつ収益をあげてきているものの純利益は以前低い水準にあり、本社の経営陣はこの苦境を乗りきるため、売却という苦渋の判断を・・・・・・」 「今までどうして一言も説明がなかったんですか!」 興奮した声があがった。 「何が苦渋の判断だ。」 「勤務地はどうなるんですか。」 「出向社員の扱いは?」 「質問は後でまとめてお願いします!」 進行役の議員が叫ぶ。 一通り説明がされた後、質疑の時間が設けられた。 待遇や退職金について、様々な質問が飛び出してくる。 譲も手をあげようとし、結局やめて頭を押さえた。 考えがまとまらない。 分かってるのはつまり、親会社が赤字になって、この会社をうっぱらったということ。 で、それが俺とどう関係ある? どうせもう少しで会社をやめるところだし・・・・・・ いや、そうだ。俺がこの先どうなるのか聞かなきゃならない。 質問がしばらく止んだのを見計らって、譲は手をあげた。 「すみません、私の扱いはどうなるんでしょうか?」 「どういうことかな?」 「昨年から二年契約で仕事していますが・・・・・・」 「ああ、彼はですね、」 前の席からキンキンした声が割って入り、譲は頭痛を感じた。 顔は見えないが、確かめるまでもない、加納課長だ。 「今やっているプロジェクトの終了と同時に契約を終了させたいと、そう話していたんですよ。売却によってプロジェクトが中断する場合、どういう扱いになるのか、と。そういうことでしょう。そうだろう?」 同意を求められて、譲は目を壇上に向けたままうなずく。 「契約の期間についてはとりあえず忘れてもらっていいよ。君はどうしたいと思ってるんだね。」 「私は・・・・・・」 譲はどう答えていいか戸惑う。 よく分からない。EIの最後を見届けたいという思いはある。けれど、どのみち開発はこれで終了するのなら・・・・・・ 「そもそも、なんで契約打ち切りになったんだ?」 「私の携わっていたEIの開発プロジェクトが中止になったからです。でも実際のところ多分・・・・・・」 譲は不正侵入の件を説明した。 自分の姿をした何かがネットワークをうろついていたこと。実際には、それはなにかのプログラムらしいこと・・・・・・ 「その話は私も聞いたことがある。ただ、契約期間を短縮したのはそれだけが原因ではないよ。」 部長の平田が話をさえぎった。 「そうすると?」 「開発が予定より大幅に遅れていたからだ。EIの事実上の開発責任者は君だと聞いている。」 譲は呆気にとられる。 俺のせい? 遅れたのは俺のせいなのか? 仕様を二転三転させたのは俺じゃないのに。 「もうひとつある。会社の方針が変わる予定だったからだよ。松田コーポレーション傘下に入れば、当分新規の開発はしない、いやできない。今までに作った製品を売っていくことがメインタスクになる。今までしてきた投資を一刻も早く回収するというのが今後の方針だからね。さっきも聞いたことと思うが。」 譲はうなずいた。 半分聞き流してはいたが、社長がしつこいほど繰り返していたのは覚えている。 「つまりだ、これから必要になるのは開発者ではなくて技術営業だ。設計やプログラミングはできなくてもいい。市場を知っていて、交渉力に長けた人間が欲しい。」 「では、他の契約SEは?」 「君とは値段が違うだろう。」 譲は採用時を思い出した。 他にもっといい条件を出している会社もあるだろうが、うちではこれが精一杯だと人事課長が頭をさげていた。譲は他のSEより随分高い条件で採用されたというわけだ。 「君が安い給料で営業してもいいというんなら話は別だがね。ただ、せっかくの才能をここで埋もれさせるのはもったいないんじゃないかね。」 譲は考えこんだ。 営業はまったくもって希望外だ。だが自分の作った それで次に作るソフトが少しでもいいものになるのなら・・・・・・ 「・・・・・・少し時間をいただけますか?」 「ハッキリ言わないと分からないかなあ。」 甲高い声が響いた。 全身が総毛だつのを感じる。 「正直、君はうちに向いてないと思うね。君も本当は大学に戻りたいと思ってるんじゃないの。」 笑い声。 我慢していたものが爆発した。 机を叩き、立ちあがる。 「やめますよ。そんなにやめさせたけりゃ、最初っから言やあいいんだ。クビにするって。」 会場を見渡す。 驚いている顔。気づかうような顔。怯えたような顔。 「せいぜい苦労すりゃいい。バグだらけのソフトを売るのがどんなに大変か、いずれあんたらにも分かるだろ。」 捨て台詞を残して会議室を出ると、誰かが後ろから追いかけてきた。 「藤田さん!」 新入社員の好川だ。 あまり器用ではないけれど、いつも一生懸命遅くまで仕事していた。 「やめられるなんて・・・・・・ホントですか? 」 「いらないって言われたんだから、しょうがないだろ。」 譲は肩をすくめてみせる。 「あんなの絶対おかしいです。藤田さんがいなかったらEIは完成しなかったのに。藤田さんがやめたら・・・・・・残った僕たちはどうしたらいいか・・・・・・」 譲は返事に困る。 「できるだけの資料は残していくよ。分かってるバグも・・・・・・」 「僕は藤田さんのこと尊敬してました。仕事がきつくても、残業してても、この先輩と一緒ならってがんばれた。なのに・・・・・・」 言葉を詰まらせ、 「新しい就職先が決まったら連絡してください。じゃあ。」 好川は深く頭をさげ、部屋へ戻っていった。 譲はため息をつき、廊下を歩きはじめた。 「おい、譲! 譲ったら!」 何度か声をかけられて、ようやく譲は顔をあげた。 グレーのオーダーメイドスーツでびしっと決めた務の姿がそこにある。めったに見られない格好だ。 「譲よぉ、その・・・・・・」 何を話そうかというように頭を掻く。 「飯、食いにいかねぇ?」 「ああ・・・・・・そんな時間か。そうだな。」 会社のロビー。そこで待っているように務からメールが入ったのだ。 好川のように、後を追って飛び出してくるほどお人よしではない。 「どこで食う? 最後に社食で食べとくか?」 「いや・・・・・・やめとくよ。」 今は同僚や上司と顔を合わせたい気分ではない。 譲は務と一緒に外へ出た。 空は青く、何事もなかったかのように澄み渡っている。いっそのことどしゃぶりだったら良かったのに。 「マジで会社やめるのか?」 務があっさりした口調で尋ねた。意図的なのが分かるくらいあっさりと。 「ああ。もともとやめる予定だったし、会社もやめさせたがってたみたいだし。」 譲は唇をかみしめる。 「俺がEIの責任者? よく言うよな。意見なんかろくすっぽ聞いちゃくれなかったくせに。」 「そうかっかすんなよ。バカ相手に怒るなんて体力の無駄だぜ。」 怒ってる? 俺が? 譲は自問自答する。 違う、当惑を隠したいだけだ。落ち込まずにすむように怒っているふりをしているだけだ。 怒りに我を忘れていれば、自分の惨めさを感じずに済むから。 だとしたら、一番バカなのはこの俺じゃないか。 「悪いのはあんたじゃない。みんな分かってることさ。加納の奴、納期が遅れた責任が自分にふりかかるのが恐くてあんたに押しつけたんだろ。汚ねぇよな。」 「そっちは? 会社、続けるのか?」 「まあしばらく様子を見てみるよ。このご時世じゃ再就職先を探すのも楽じゃないし、様子を見てからでもいいと思うしさ。あんまし面白くもなさそうだけど。」 務はいらついたように舌打ちした。 「間抜けだよなぁ。WSソリューションが利益をあげてないって、そりゃ当たり前だろうが。開発に手をつけただけでまだ販売してないソフトが山ほどあるんだから。それを全部途中で打ち切るとは、どうかしてるね、まったく。」 「俺達の作ってたEIはどうなるって?」 「とりあえず、WSソリューションの名前で販売するらしいぜ。あれはうちの目玉だったから。売った後のアフターフォローはどうするつもりなのか・・・・・・まぁ俺達の知ったこっちゃねぇけどな。」 「なるほどね・・・・・・」 譲はつぶやき、不意にどうでもよい気分になる。 中途半端な仕事。無駄な作業の堆積。 結局自分たちは、会社、社会という手に負えないほど複雑な機構の中で、無意味に回転を続ける歯車に過ぎないのだ。 会社は給料をくれ、俺たちは労働力を提供する。それだけ。それが契約。 労働が給料に見合うものかなんて知ったこっちゃない。そもそも、会社の仕事にどれだけの価値がある? WSソリューションが別の会社に売却されたところで、困るのは社員の一部と取引先の数社程度。世の中にはどうってことないのだ。 「しかしあれだな、解雇される方もたまんねぇけど、会社もどうするつもりなんだろうね。人員削減して縮小路線でやってったって、長期的に収入が増加するあてはないだろうに。うちの部署なんか、来年、再来年にゃ稼ぎ頭になってたかもしれないぜ。」 「タコみたいだよな。」 譲はぽつりとつぶやいた。 「タコ?」 「タコって腹が減ると自分の足を食うっていうだろ。会社もそれとおんなじでさ・・・・・・。ヤバくなるとわが身を切り捨てる。」 足を食って、その後はどうするんだろうと譲はふと考える。 腹まで食ったら、消化もできない。 会社の実態ってどこにある? 会社を存続させるってのは、とどのつまり何を守ってるんだ? 「タコね。そういや、ここの先の店、タコ入りラーメン始めたらしいぜ。行ってみるか?」 こういう話の流れでよくタコなんか食う気になれるな、と譲は思ったが、それもいいかもしれないという気がした。 くよくよ考えていても仕方がない。 務の案内で、ラーメン屋の暖簾をくぐると、いらっしゃい、という威勢のいい声が二人を迎える。 譲は少しほっとした気分になった。 つまらない仕事を耐えられるものにしてくれるのは、面白い同僚という奴かもしれない。いや、ホントの話。 席につくと、務はたばこに火をつけながら別の話題を持ち出してくる。 「そういやお前、エンターテイナーに載ってただろ。しかも若い女の子と! くそ真面目な仕事人間だと思ってたけど、結構遊んでるんだな。」 「エンターテイナー?」 「ゲームセンターに置いてある雑誌だよ。ほら、ヘブンズゲートで1000万点出したとか・・・・・・」 「ああ、あれか。いや、あれは・・・・・・」 奈々とやったシューティングゲームだ。店で初めての高得点だとかって店員が写真をとりにきてたっけ。雑誌に載ってるとは知らなかった。 「可愛い子だったじゃないか。俺にも紹介しろよ。」 「あの子、俺に脅迫メールを送ってきたハッカーだぜ。見た目じゃ分かんないだろうけど、相当ぶっ飛んでる。」 「っていうと、お前の格好をして俺のマシンに侵入したのも?」 「いや、それは違う。話すと長くなるけど・・・・・・」 「おい待て、その話には目茶苦茶興味があるけど、今話してたら麺が伸びちまう。後でゆっくり聞かせてくれよ。仕掛けておいたトラップの話も含めて。」 料理が運ばれてきたのを見て、務が話を打ち切る。 譲はうなずき、ついでに相談をもちかけた。 「あんたに手伝ってほしいことがある。ソフトの解析だ。」 「ソフト? 何の?」 「ウイルスソフト。多分、めったにお目にかかれないシロモンだぜ。」 「いいねぇ、そういうの。久々に腕がなるぜ。」 務が心底嬉しそうに相好を崩す。 このハッカー野郎。 美味しそうに麺をすすりだす務を見て心の中で悪態をつきながらも、譲はふと思った。 監視プログラムを作ってた時、実りのない会社の仕事よりはよっぽど俺も楽しんでたんじゃないのか、と。 「ななちゃん…ななちゃん?」 「え、あ、ああゴメン。」 奈々はふと我に帰った。 目の前には巨大なニコニコマークがどんと腰を下ろしている。黄色い円形の顔に手足がついた不格好なポリゴン。 背景がゆっくりと回転している。 実は奈々とニコニコマークが座っているテーブルがゆっくりと回っているからで、ここはバーチャル・スペース上の遊園地だ。 「疲れた?」 「ううん、そんなことないよ。」 奈々はあわててニコリと笑ってみせる。 「次、どこ行こうか?」 「ホラーハウスってどう?」 「うひゃあ、あたしそういうの苦手なのぉ。」 奈々はこわがるふりをしてみせるが、もちろんこれはオーバーアクション。絶叫マシンもお化け屋敷も、基本的にはオッケーである。 「ユキオが好きなら行ってもいーよ。ちゃんとあたしのこと、守ってくれるんでしょ?」 ニコニコマークがくすくすと笑い声をたてる。 常に笑っているだけあって、なんとなく不気味だ。怒ったら顔の表情も変わるんだろうか? 二人は立ち上がり、ホラーハウスへ向かう。 アメコミ調のけっこうケバイ建物がそれ。 あんまり面白そうでもないけど、ここはスポンサーの顔をたてておかないと。 中に入ると、いきなりただっぴろい空間に出た。 くねくねした石畳が暗い平野を伸びて、前方の洋館へと吸い込まれていく。右手に崩れかかった道標があり、道の先を指している。 HOUSE OF HORROR。 時折、紫色の雷鳴が閃き、洋館の青い屋根をライトアップする。 周囲には傾いた墓石があって、カラスが黄色い目を光らせながらじっとこっちを睨んでいる。 実は結構恐いかも。 恐る恐る歩き出してまもなく、墓石がグラグラと揺れて奈々目がけて飛んできた。 「きゃああっ!」 悲鳴は本物だけれど、ユキオに抱きついたのは半分サービス。 墓石はズシンと音をたてて反対側の地面に突き刺さる。 「これって、アクションゲームじゃないよねぇ。」 「た、多分ね。」 うえ、こいつもびびってるみたい。まったく、男らしくないんだから。 用心しながら道を進み、入り口の扉を開けた。開けた途端、お約束のように上から首がふってくる。 「ギャーッ。」 と、これは奈々ではなくユキオの悲鳴。 奈々は目玉の飛び出た死体の顔をみて思わず顔をしかめる。 顔がゆっくりと消失し、中に足を踏み入れると、背後でドアがバタンとしまった。試しに押してみても、当然開くわけがない。 部屋の中は真っ暗で、二人の四方一メートル程度を黄色いスポットライトが照らし出している。暗闇の中から何が飛び出てくるか予想がつかない。 赤い絨毯の上をとりあえず前進していくと、突然ミイラが飛び出してきた。 二人に近づいてくるけれど、目の前までくると床に崩れおちる。 シャンデリアのまわりを飛び回っていたコウモリが、突然頭上に舞い降りる。頭の上を周回するけれど、それ以上近づいてくる気配はない。 奈々はだんだんしらけてきた。 「恐い? 手、握ってよっか?」 「ありがとう。」 にこにこマークの後ろに隠れるようにして歩きながら、なんだか自分の演技が白々しい気がして奈々は不愉快になった。 面白くない。つまんない。 商売なんだから、それほど面白くないのは当たり前。でも今までは、たとえつまらない相手でも面白いスポットを選んだら、それなりに楽しめた。 それがどうして突然、不快になったのだろう。 見知らぬ相手とのバーチャル・デート。空虚な会話。 しっかりしなさい、奈々。これからお金がいるんだから。この間、予想外にお金つかっちゃったし。 スポットの外から黄色い塊が飛び出してきた。 よける間もなく奈々に突進する。 衝撃! 視界からにこにこマークが遠ざかるのが見える。床がくるりと反転して、下に吸い込まれる感じ。 どうなってるの?! 周りは暗くてよく見えない。手探りで辺りを探るうち、薄ぼんやりとした明かりがついた。 青白い明かりに照らされて、棺桶みたいなものがいくつか見える。 隠しステージ、という奴だろうか。でもどうして? 棺桶の上に黄色い影が座っているのが見える。 カンガルーのような格好。愛らしいポリゴンだけれど、目が赤く光っているのとこの状況なのとで、どこか無気味に感じられる。 「ちょっとあんた、どういうつもりよ?!」 奈々はカンガルーに問いただした。 答えは、ない。 お化け屋敷のキャラクタではないのだろうか? どこかで見たことがあるような気がするけど・・・・・・ 考えるうち、奈々はあることに思いいたってゾッとした。 そうだ、文化祭でJOHのポリゴンを追った時。それに、マイ・ルームの外やハッカーのアングラサイトの入り口で見かけた黄色い影。 あたしをつけ回してたあのポリゴンだ。 「あんた、何者なの?」 奈々は鋭い声で尋ねた。 思いもよらず、声が帰ってきた。 「オカネニナレバ、ダレトデモでーとスルノカ?」 合成音声。 とりたてて珍しいものではないけれど、こういうシチュエーションだととりわけ薄気味悪い。 「そんなの、あたしの勝手でしょ。なんであんたにとやかく言われなきゃいけないのよっ!」 やや間があって、答えがあった。 「ワルカッタ。」 機械の声には感情が感じられない。相手がどんな表情をしているのかも分からない。 反省してるのだろうか。軽蔑してるのだろうか。怒っているのだろうか。 「ヒトツ・ケイコクガアル。」 カンガルーが言った。 「シッソウシタはっかータチヲシラベテイルネ?」 奈々は戦慄した。 カンガルーが立ち上がり、じっとこっちを見ている。 大丈夫、ログアウトならいつでもできる。でも今は、話をもっと聞かなくちゃ。 「666ハキケンダ。テヲヒイタホウガイイ。」 カンガルーがゆっくり近づいてくる。 「カカワルト、キミモケサレル。」 奈々はマイ・ルームのアドレスを叩きこんだ。 暗い部屋が一瞬にして消え去り、目の前に浮かぶのは明るい、可愛い ヘッドセットをむしりとり、荒い息をつく。 あいつは何者なんだろう。なんであたしのことを知ってるの? 動悸がまだ早い。見知らぬ誰かに話しかけられるのが、こんなに恐いなんて。 もう少し落ち着いたら、あいつの正体を調べてやらないといけない。IDは、KANGARU。すぐに見つかる筈。 部屋を出ようとした時、弟の弘とはちあわせした。 「何、なんの用?」 思わずきつい調子で問いただす。 弘が憮然とした表情で答えた。 「ねーちゃんにお客様。警察だって。」 |
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