Project Seven presented by PSY ■第四話・対面■ |
3時5分前。 譲はビルのまわりを見渡してみる。 新宿PLAZAの入り口前は、待ち合わせのメッカみたいなものだ。 銀色の天使の像のまわりには、大勢の待ち人達の群れ。 大学のサークルらしき一団から、パートナーを待つ恋人のかたわれ、私服でくつろぐ中年サラリーマンや主婦集団まで、年齢も性別も様々だ。 で、あいつ、SEVENってどこにいるんだろう? これだけの人だかりの中で、どうやって探せというのか。 初対面の人と会う時は、普通、目印になるものとか服とか決めておくものだろう。 ところが今回は年齢も身長も分からない。性別さえも怪しいものだ。 特にああいう、ゲームおたくが喜びそうなSF系少女のポリゴンは用心してかからないといけない。マニアックなツールがぽんぽん飛び出してきた辺り、実に怪しい。 あの隅っこで雑誌に目を落としている眼鏡をかけた少年が、ひょっとしたら奴かもしれない。 一人一人声をかけるわけにもいかないし、アイ・コンタクトでそれらしき人物を探し出すしかなさそうだ。 譲は右肩に斜めにひっかけていたリュックを背負い直し、辺りをグルリと歩きはじめた。 と、その時。 「ゆずるぅーっ!」 いきなり甲高い声が空気をつんざいた。 周りの人間がびっくりしたようにふりかえっている。 「ゆずるーっ!」 もう一度声がした。 おい、まさか・・・・・・ 嫌な予感を感じながら、譲はおそるおそる天使像の方をふりかえった。 「ゆずるぅーっ!」 奈々は二度めの声をはりあげた。 読み方、間違えてないよね? オッケー、だって昨日確認したもん。じゃあ、もうそろそろ気づく筈。 周りの様子をうかがってみる。呆れたようにこっちを見た待ち合わせの人たちは、奈々が見ると視線をそらすように向こうを向く。 そんなことを気にする奈々じゃない。 顔をそらさない人を探していると・・・・・・ いた! 向こうから背の高い青年がかけよってくる。 思ったより若い。見たとこ学生風。 ブルージーンズにさっぱりしたチェック柄のシャツを着ている。 サラリーマンばなれした黒いボディスーツのポリゴンにはお似合いかもしれない。 「譲?」 奈々が顔をのぞきこむと、男はやや不安げに問いかえした。 「SEVEN?」 「そ。あたしがプリティ・ななちゃん。よろしくねっ。」 奈々は握手できるように手を差し出すが、譲の方は一瞬めまいを感じて額を押さえる。 人目を気にする 「・・・・・・驚いた?」 譲の顔をのぞきこんだ奈々は、驚くほどバーチャル・スペースのポリゴンとそっくりだ。 いや、ポリゴンが似ているのか、と譲は思いなおす。 肩より少し長いくらいの真っ赤な髪も、色白であどけない感じだが少し生意気そうな顔立ちまで。現実の姿をモデルに特注したのだろう。 可愛い顔といって十人中八、九人は賛成するだろうけれど、それにしても・・・・・・ 譲はため息をついた。 「・・・・・・こんなところで名前叫ぶかフツー?」 「名字の方がよかった?」 奈々が真顔で問い返す。 「でもさ、あたしのこと分かんなかったでしょ? 名前呼ばなかったら気づかなかったんじゃない?」 「まあ、あのマニアックなハッカーがこんな可愛い女子高生だとは思わなかったけどな。」 譲がしぶしぶ認めると、奈々は頬を赤らめた。 上目遣いにちらっと譲をみやり、 「あたしだって、あんなガキくさいポリゴンが、これほどオヤジだとは思わなかったしね。」 「こら!」 譲のふりあげた拳から逃げるふりをしながら、奈々は心の中で謝った。 (ごめん、嘘) 照れるとつい本心と逆のことを言ってしまうのが奈々の悪い癖だ。 急いで話題を変えることにする。 「ね、どこか入ろうよ。」 「そうだな、こんなとこで立ち話もなんだし。この辺はよく知らないけど、どこか行きたいところはある?」 奈々の返事は早かった。 「スイート・ハウス!」 嬉々とした様子で叫ぶ。 「何だって?」 「知らないの? すっごくおいしい喫茶店。まだ行ったことないけど、ネットでもバーチャルショップで通販やってる。どう?」 「いいんじゃないの。っていうか、最初からそこに行くつもりだったろ。」 「えへ、そう。だってそのために3時に待ち合わせしたんだもーん。」 奈々はぺろりと舌を出し、先頭きって歩きだす。 勝手なことこの上ないが、譲は年上の余裕もあって苦笑しながら後を追う。 「ところで譲、こないだ言ってた形状追跡プログラム、できた?」 「八割方ね。一応実行形式になってるけど、まだ動かしてみてない。つまり、デバッグが終わってないってこと。」 「バグとり以外は全部終わったんだ?」 「デバッグが一番大変なんだぜ。ホントは君に会う前に済ませとこうと思ったけど、今週はいろいろ忙しくてね。」 そういえば、JOHって会社の仕事があるんだ。 奈々ははたと思いあたる。 形状探索のトラッププログラム、できたって聞いたのが一昨日のこと。作ると言ってから3日しかたってない。 仕事が終わって帰宅してからなら、実質作ったのって数時間? さすがプロって感じ。 「形状検索なんてさ、ツールは使ったことあるけど、どうやってやるのか全然わかんないよ。」 「俺だってよくは知らないさ。類似形状を洗い出すライブラリがあるんだ。俺がやったのは、パラメータをいじって それだって、誰でもすぐに使えるわけじゃない。 奈々としては、感心するばかりだ。 「そういえば、ちょっと譲のこと調べさせてもらったんだけど、高校生の時プログラムオリンピックで優勝したんでしょ。」 奈々は興味しんしんの顔で尋ねた。 プログラムのコンテストは色々あるけれど、この大会はスポーツのオリンピックと同じ、四年に一度しかない。 年齢制限も、もちろん国による制限もないから難易度はぴかいち。三位以内なら無試験で合格できる大学が世界中にあるし、ハッカー連中の間でも、予選を通るだけでかなりのステータスだ。 それに優勝っていうことはアマチュアで世界一! ヒーローである。 それってかなり凄いんじゃない? 一方の譲は、ちょっとって、どのくらいの情報が筒抜けなんだろう、と心につぶやく。 会社のサーバのデータはもちろん、盗聴だってされているかもしれない。 あるいは自宅のコンピュータも、ひょっとして電子マネーの暗証番号も? 「こっちは君のことは全然知らないぜ。そういえば、名前もまだ聞いてないよな。」 「だからぁ、奈々っていったじゃん。望月・奈々。」 奈々が、胸を張って自分を指さす。 「奈々でいいよ。」 「なな・・・・・・ああ、それでSEVEN、ね。それって本名?」 「偽名・・・・・・っていいたいところだけど、ホントの名前。ごくごく平凡な高校生。別にあたしのことなんか知っても、面白くもないわよ。」 「平凡ねぇ・・・・・・」 譲はため息をつく。 標準的な女子高校生がこうだとしたら、日本の将来が心配なところだ。 「いつかなんか凄いことやりたいんだけど、スキルもチャンスも度胸も足りなくて。あ、ほらこの店。」 奈々が足を止めたのは、ピンクの看板に大きく金色でSWEET HOUSEと描かれた店の入り口。 中には女の子のグループがいっぱいで、ちらほらカップルの姿も見うけられる。 内装は思いきり少女趣味だ。 「大の男が入るにゃ、ちょっと勇気がいる店だな。」 「いいじゃない。カップルだもん。」 奈々は譲の顔をうかがったが、別になんの反応も見られない。 奈々はムッとして、からかうようにつけ足した。 「ま、あたし達の場合パパと娘かもね。」 「あのな。」 店の中に入り、奈々はミニスカートの店員にチーズケーキのせストロベリーパフェを注文する。ついでに、譲の分のケーキセットも。 「何がいい? マロンケーキ、お勧めなんだけど。」 「ああ、何でもいいよ。俺、好き嫌いないしね。」 はしゃいだ様子の奈々をよそに、譲はリュックからノートパソコンを取り出した。 黒の合金製ボディでA4サイズ。重さはそれほどないけれど、ディスクドライブと文字認識用カメラ、簡易レーザプリンタを内蔵しているので厚みは結構なものだ。 「わお。ゴッツイの持ってるねぇ。特注?」 奈々が目を輝かせた。 「会社の。開発用のライブラリが色々使えるからね。」 答えながら譲はパソコンを起動し、すぐにボリュームをOFFにする。こんな店でパソコンを開くなんて、ただでさえ目立ってしょうがない。 「ね、プログラム見せてよ。作りかけでもいいからさ。」 「たいしたもんじゃないぜ? ま、いいけど。」 画面上のパソコンをクリックし、プログラミングツールを立ち上げた。 WATCHというファイルを指定して 大きな丸い 「かっわいーっ!」 奈々が歓声をあげ、譲はあわててしーっとささやく。 「これ、動かせる?」 「ああ。奈々か俺のポリゴンに似た奴が通ると、ライブラリと照合して通知してくる。ほら。」 譲は画面上にダミーのオブジェクト形状を表示させた。 ランダムに選ばれたキャラクタが、画面右端のドアから次々と現れては左端へ消えていく。 赤いスーツ姿のポリゴンが出てきた瞬間、丸っこいプログラムが 一瞬遅れて画面にペーパーがポップアップする。 『PM3:35。MY ROOM-R-1304,X:50Y:20Z:0、類似形状ーSを発見。』 SはSEVENのことだろう。 「すごいすごい! これ、姿を消すことってできる?」 「透明化はかけてる。ポリゴンの面を全部裏返しにできるんだ。もちろん、WWVSサーバの管理者には見えちまうけど・・・・・・そうだな、隠蔽用のプログラムをもうひとつ書いたほうがいいかも。」 「誰かにつかまりそうになった時は? 自己破壊できる?」 「ああ、それは考えてなかった。ちょっと待って。」 譲がキーボードの上に指を走らせた。 「これで多分オーケー。今 実行ファイルを生成し、画面にいくつか起動する。 「試してみる?」 譲は奈々の方にマシンを向けた。 奈々が舌なめずりしてWATCHオブジェクトをポイントしようとする。 すい、とオブジェクトが逃げた。 もう一度。 またすり抜ける。 よし、直接オブジェクト名を指定してやる。 奈々がキーボードを叩き、プログラムの属性を覗き見しようとする。 パン、と音がして形状が破裂した。 跡形もなく。 「完成版ではメモリも消すようにしておくよ。俺達がやったみたいに、ハードディスクとかメモリとかに残ってるプログラムを調べられると、こっちのアドレスがバレるからね。」 「すごいよ、すごい。これなら相当本格的な捕獲ツールがなきゃつかまえられないね。」 奈々が興奮気味に手を叩いた。 「ね、これ名前つけない? WATCHじゃ可愛くないじゃん。たま、ポチ・・・んー、アレックスは?」 奈々があまり真剣なので、譲は思わず笑いを浮かべる。 「いいんじゃない?」 「あ、馬鹿にしてるでしょっ。ゆずるのイジワルっ。」 奈々は頬をふくらまし、キーボードを叩いた。 「ほら、アレックスで決まり。ALEX.EXEねっ。」 EXEはVR−OSで実行形式のファイルを表す拡張子だ。 「で、アレックス君が完成したらどうする? メールで送るか?」 「いつできる?」 「今日中には、多分。」 「じゃあ、譲の会社のルームにおいといて。明日の朝とりに行くよ。」 いちいち問いただすのもあほらしくなって、譲はため息をつく。 また会社に不法侵入する気だ。 まあ悪さしなければ、俺は構わないけど。 「さて、これからどうするかだな。」 譲はスケジューラとメモ帳を立ち上げた。 「まず、こいつを仕掛けたら俺と奈々のアドレスに連絡が行くようにするだろ・・・・・・連絡先は?」 奈々が手を伸ばして、電話番号を打ち込んだ。 「ここに連絡して。テキストでもボイスデータでもいいから。」 「了解。これで待ち伏せはいいとして、他にこっちから調べられることはないかな?」 「知り合いのハッカーに似たような話がないか聞いてみたけど、今んとこ手がかりはナシ。ネットのニュースグループとかでJOHのポリゴンらしき姿を見かけたってくらいかな。もうちょっと調査してみる。」 「頼むぜ。こっちは仕事の総仕上げで忙しくってさ。」 時間があったらもっと本格的に調べてみたいところだ。 でないと、またどこかのハッカーの逆鱗に触れるかもしれないし、警察が踏みこんでくることにもなりかねない。 なにしろ、ウイルスは妙な手がかりをあちこちに残してきてるわけだから。 「にしても、なんで俺達の姿をコピーしてるんだろうな。」 譲はつぶやいた。 それが一番頭にくるところだ。 情報が欲しいだけなら、なるべく小さくて目立たないポリゴン形状の自走ウイルスを作ればいい。それをなぜ人の姿を借りるのか。 技術的な挑戦? 嫌がらせだろうか? 「まあ、 奈々は運ばれてきたパフェを見て歓声をあげた。 話が中断されたので、譲もとりあえず、パソコンを閉じてマロンケーキを試してみる。 甘みは強いが、割とさっぱりしていて嫌みがない。 「それ、ホワイトチョコと白餡が入ってるんだって。」 奈々が口をもぐもぐさせながら言った。 「白餡? マジ?」 「とてもそうは思えないでしょ。ま、隠し味って奴だよね。んー、美味しいっ。」 奈々がクリームの所にとりかかり、相好を崩す。 いちごジャムのいっぱいにかかったクリームをすくいとり、譲の方にさしだしてみせる。 「いや、いいよ。ありがとう。ところでさっき何か言いかけたみたいだけど。」 「え? ああ、そうそう、他人の姿で悪ふざけって奴。一年くらい前に、SLUSHってニックネームのハッカーが攻撃を受けてさ、調べてみたらR00TMASTERってアカウント名でプロバイダにログインしてる人の侵入履歴が残ってて。掲示板上で抗議したわけ。」 「ふうん・・・・・・」 「それは俺じゃないってR00TMASTERは反論したんだけど、他にも攻撃を受ける人が出てきたり、ネット上のファイルが消されたり、擁護する人と非難する人入り乱れて、もう泥試合。しまいには 「で、結局犯人は分かったの?」 「やぶの中よ。掲示板は半年くらい閉鎖になっちゃったし、誰が最初に侵入したのかも分からずじまい。一時期はどこのアングラサイトも、その話題で盛り上がってたんだけどね。」 「こわいな。」 「あたし達も、気をつけないとね。身に覚えのないことで、どこかの誰かからうらまれるかもしれない。」 「実際だいぶ被害も受けてる。」 譲は苦い顔をした。 「あたしの脅迫メールのこと?」 奈々が不安げに尋ねるので、譲は笑ってみせる。 「ああ、あれはもういいよ。ただ・・・・・・」 「そうだ! 会社をクビになりかけたとかって言ってたっけ・・・・・・」 「いや、まだクビになったわけじゃない。」 そう、まだ。契約期間はあと三ヶ月、いや二ヶ月か? ともかく、早く犯人をつきとめないと大変なことになる。会社をクビくらいではすまされない。 奈々はまだ心配そうに眉をひそめ、 「大丈夫? なんか手伝えることがあったら言ってね。アリバイを証明するとか、不正アクセス 譲は苦笑した。 妙な話だ。脅迫メールを送ってきた張本人から手助けを申しこまれるなんて。 「まあ、当分は大丈夫だろ。クビになったら次を探せばいいし。」 「そうだね。譲、優秀だもんね。」 奈々がニコリと笑い、譲の顔をのぞきこんだ。 「ところで、これから何か予定ある?」 「いや、別に。プログラムを完成させるくらいかな。」 それに、仕事の後始末、と。 譲がいなくなっても誰かがEIを扱えるように 内心ため息をついた譲に、奈々が目を輝かせて提案した。 「せっかく新宿まで来たんだから、少し遊んでかない?」 「別にいいけど、どこで?」 「行きたいとこあるんだぁ。」 奈々が歯を見せて笑った。 勢いよくカーテンが開いた。 派手なボディスーツを着た奈々が、更衣室からポーズをつけて登場する。 体にぴったりした赤とオレンジのストライプスーツ。 譲は思わず口笛を吹く。 「なに、変?」 奈々が不安げな表情で尋ねた。 「さっきの水色のとどっちがいい?」 水色のワンピースの話だ。 まるで比べようがないので、譲は肩をすくめてみせる。 「それは個人の好みだろ。」 「冷たいなぁ。」 奈々が口をとがらせた。 「譲はどう思うのよ。」 「俺はどっちもいいと思うよ。それだけ可愛きゃ、何着たって似合うだろ。」 「やだ、真顔でお世辞なんか言わないでよっ!」 奈々は顔を赤らめた。 バーチャル・デートでは数限りなくお世辞を言われたことがあるけれど、面と向かって言われるとやっぱり照れる。 さらっとこんなことをいうタイプには見えなかったんだけど。 「お世辞じゃないよ。お世辞は言えない性分でね。」 譲は皮肉っぽい気分になる。 心にもないことが平気でいえるようなら、上司と角を立てることもないだろう。 多分俺は、自分の気持ちをバカ正直に表しすぎる・・・・・・ 「じゃ、両方買っちゃお。すいません、これとこれ。あとそっちのスカートも。」 奈々は服を山ほど抱えてカウンターに持っていった。 店員は、にこにこしながらレジを叩きはじめる。 「大丈夫なのか? 言っとくけど、俺は払わないからな。」 「平気平気。あたし、こう見えても結構お金持ってるんだ。」 奈々は電子カードを出してみせた。 残高は20万と表示されているけれど、液晶の右の方に5,000,000とある。 限度額500万円? 高校生にしちゃ高すぎる。 「まさか人の口座からとってきたんじゃないよな。」 「失礼ねっ。ちゃんとバイトして稼いだものよ。」 バーチャル・デートがメインだけど、と奈々は心につぶやく。 売春するわけでもなし、純粋にサイバーサイトをデートするだけなので、お互いに何も傷つかない。 ただ、学校の先生や両親が聞いたらやっぱり顔をしかめるかなぁ。 「バイトね・・・・・・俺も高校の頃は色々やったよ。」 「どんなバイト?」 「家庭教師とか、コンビニの店員とか。一番長かったのはプログラマかな。」 「へぇ、学生の頃からやってたんだ?」 「家電製品のマイクロプロセッサ用に、アセンブラとCでプログラムを書いてた。趣味と勉強もかねてさ。それが今まで続いてるんだから、進歩ないよな。」 「そんなことないって。」 家電製品のプログラム。人の役に立つ仕事だと思う。 で、あたしは? 奈々は自分に問いかける。 大人になったら、何をするんだろう? このままじゃ、何にもすることなんて、ない。 「ありがとうございました。」 奈々はいっぱいの荷物を抱えて外に出た。しめて十五万円。 さっきのスーツは、着たままだ。 「持ってやろうか?」 「大丈夫よっ。このくらい・・・」 奈々は強がってみせたが、明らかに荷物にもたれている格好だ。 譲はそれでも、無理すんなよ、とだけ言ってあっさり手をひっこめる。 余計な世話はやかないタイプなのだ。 奈々は荷物をひきずるようにしてエレベータの所に行き、上の階のボタンを押した。 「どこ行くんだ?」 「八階。つきあってもらえる?」 「おいおい、まだ買うつもりかぁ?」 八階にあがって奈々が手にとったのは大きな熊のぬいぐるみ。 ふわふわのベージュの毛につつまれていて、5歳児程度の大きさはある。 そういえば奈々の ぬいぐるみを入れた袋を持とうとして、奈々はさすがにへたりこんだ。 いまさら譲に頼むのもどうかとためらっていると、譲が黙ってひょいと荷物を持ち上げてくれる。 冷たい感じがしてたけど、結構親切かもしれない。 「金遣い荒いんだな。高校生にしちゃ。」 「いいでしょ、別に。あたしのお金なんだし。」 奈々は口をとがらせる。 「ま、本人が幸せなら、俺が口を出すことじゃないけどな。」 何の気なしの譲の言葉に、奈々は思わず黙りこむ。 幸せ? 幸せってなんだろう。 ネット上でも現実世界でも広告があふれかえってて、つい見ると買いたくなっちゃう。で、学校をさぼってお金ためたりして。 でも、ホントにそれで幸せなんだろうか。 タンスの奥にしまったままの服。いっぱい買えば買うほど、飽きるスピードも速くなってきて、買っても昔ほどうれしくない。 だけど、最近服を買う人が減って、困ってるってママが言ってなかったっけ。 服なんて十分持ってる人たちが、それでも欲しくなるようなデザインを考え出すのが、デザイナーのママの仕事だ。流行を変えて、どんどん新しいものを買うように仕向ける。 あたし達はぜいたくだって大人は言うけど、買わなくなったら困るのも大人達。だからあんなに広告してるんだ。デパートの売り場じゃ、大の大人がぺこぺこ頭下げてすりよってくるしさ。 だったら、買い物も人助けってことじゃない? よく分からない。なにがいいことなのか、なにが悪いことなのか。 「で、次はどこに行く?」 空回りしかける思考を譲が立ちきった。 奈々は気を取り直し、素早く頭を回転させる。 「カラオケとか、どう?」 譲は少し考えた風で、 「俺は演歌専門だから・・・・・・」 「そうなの?!」 奈々は目を丸くする。 演歌好きのプログラマって、ちょっと想像できない。 「だからちょっと、若い連中とはカラオケに行けないんだよな。それにほら、こぶしをきかせるのって結構大変で・・・・・・」 譲の顔をまじまじと見て、奈々は思わず吹き出す。 「譲ったら! 本気にしちゃったじゃん。」 冗談言うようなキャラに見えなかった。 このあたしがかつがれるなんてっ。 「ま、ホントは、最近の曲をあんまり知らないだけなんだけどね。」 「そんなのいいのに。じゃあゲームセンターは?」 「まあ久しぶりに行ってみてもいいか。」 そう言った譲は少々懐かしげな顔になる。 最近の俺って、音楽をダウンロードしたり、ゲームしたりする余裕もなかったんだ。 改めて思う。 そういえば、会社に入ってから思いきり遊んだ記憶はほとんどない。学生の頃はドライブに行ったり、スキーにも行ったり、ずいぶん遊んだものなのに。 「よし! ゲーセンで決まり。得意分野は?」 「シューティング。」 「二人用ですっごくむずかしいシューティングがあるんだ。一緒にやろうよ。100万点以上出すと記念写真がもらえるし。」 「おう。じゃあがんばって高得点出しとくか。」 譲ははねるようにして歩いていく奈々の後ろ姿を見ながら、おかしな気分になった。 完全に彼女のペースにふりまわされている。 なんでこの子と一緒にいるんだろう。 考えてみたら妙な話だ。 キュートな女子高生ハッカー。俺に 「譲、はやくぅーっ!」 身軽になった奈々が現金に叫んだ。 「今日はどうもありがと。」 駅の前で、奈々は荷物を持ち上げた。 「すっごく楽しかったよ。」 「俺も。もうこんな時間か。」 譲は時計を見る。 九時五分前。家に帰ったら、十時くらいにはなるだろう。 奈々が時計を見て息をついた。 「これじゃプログラム書く時間ないね。」 「大丈夫。明日の朝までにはなんとか仕上げますよ、部長。」 譲は冗談めかして言った。 「ごめんね。じゃ、朝十時にとりに行く。」 珍しくしおらしい様子で謝る奈々に、譲は意外な気がする。 根は素直な子なのだろう。 「帰りは? 一人で平気か?」 「うん。タクシー乗っちゃうから。じゃあまたね。」 「おう、気をつけてな。」 山の手線のホームへ向かおうとしてちらりとふりかえると、階段の上から投げキスしている奈々が見えた。 やれやれ。 電車に乗ろうとした時、電話が鳴った。緊急メールの通知だ。 暗証番号を叩き込むと、合成音声でメールの内容が再生される。 『7月10日午前9時。虎ノ門支社ビル5F会議室に出社のこと。ネクタイ着用。』 支社ビル会議室だって? と譲はいぶかる。 月一回の定例会議をのぞき、たいていのことは まあ、来週になれば分かることだが。 譲は顔をあげた。電車はもう行ってしまっている。 ホームの向こうに見えるのは、新宿の明るいネオンと、不吉な赤い色の月だけだ。 |
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