Project Seven

presented by PSY

■第三話・遭遇■


 警報が鳴り響いた。
 譲は飛び起き、時刻を確認する。午前零時十三分。
 遠隔オフィスにはすでに人気がなく、コンピュータ画面からの明かりだけがぼんやりと辺りを照らしている。
 素早くヘッドセットをつけ、監視ウィンドウを表示した。
 アクセス先は、一昨日務と設置した監視用サーバ、アトランタだ。
 外部と社内ネットワークの間にしかけてあり、外からやってくる通信を全て覗き見(スニフ)できるようになっている。
 追跡プログラムが、侵入者の座標と映像を送ってきた。
 この位置でははっきりとは分からないが、赤い人型のポリゴンらしい。
 今回は譲の姿は使っていないのか? それとも途中で、何らかの方法ですりかえるのか。
 突然、画面にノイズのようなものが現れた。
 人形ポリゴンから立ち上る黄色い砂塵。無数の小さな多角形が複雑に宙を舞い、煙のように素早くなったり遅くなったりしながら渦を巻く。
 映像がちらつき、視点が何度も切り替わる。追跡プログラムが、なんとか侵入者の姿をカメラにおさめようと位置を変えているのだ。
 塵の動きが次第に鈍くなり、遅くなり・・・・・・
 いきなり赤いオブジェクトが消失した。
 何が起きたのだろう。
 アクセス履歴(ログ)は?
 キーを叩くが応答が返ってこない。
 何度かトライしてみて事態に気づき、舌打ちする。
 そうか、そういうことか。
 『アトランタ』では処理しきれないほどのオブジェクトでバーチャル・スペースを充満させる。しかもそのひとつひとつに非常に計算の面倒な物理相互作用を設定する。
 アトランタはオブジェクト表示に処理能力を奪われ、機能停止(ハング)したというわけだ。
 で、今奴はどこにいる?
 一瞬迷った後、譲は画面上の扉を開いた。
 まばゆい光が現れ、会社のロゴが現れ、IDを尋ねてくる。
 叩きこむ文字はもちろん、
 J・O・H。
 虹彩識別のための光が何度か点滅し、即座に文字が現れる。
Good morning JOH. Now do your job.(おはよう、JOH。仕事を始めましょう。)
 二重ログオンの警告が出ないということは、相手は自分の名前でログオンしていないということだ。
 少々ほっとしたが、ぐずぐずしてはいられない。
 これで奴と同じネットワーク上にいることになる。
 早く侵入者を見つけなければ。
 譲は探索用コマンドを叩いた。
 VR―OSのネットワーク上では、コンピュータは区域(セグメント)ごとにグループ化されている。セグメントとセグメントの間を渡り歩くときは、必ず認証局を経由しなければならない。
 ここのようなローカルネットワークでは、WWVS上の政府公認の認証局でなく、社内の認証用サーバが使われる。つまり、どの認証サーバが使われたか調べれば、奴がどのセグメントからアクセスしたいるか分かるということだ。
 認証サーバが返事を返してきた。
 ここ十分以内のアクセス件数は三件。
 うち一件はJOHのものだ。
 侵入者の名前は?・・・・・・
 ・・・・・・f00lguy5,Un3v3rc4+chm3。
 暗号めいた文字だが、ちょっと考えるとすぐに想像がつく。
 Fool guys, you never catch me.
 馬鹿なお前らに俺はつかまえられない、と。
 なめた真似しやがって。
 侵入者は入り口のセグメントにアクセスした後、dev_g1セグメントに移動している。
 ドキリとした。
 デベロッパーグループワン。開発第一課、俺達の利用してるセグメントじゃないか。
 さて、これからどうする?
 相手がセグメントの中で何をしているか知るには、自分もdev_g1にアクセスしなければならない。それは、相手もその気になればこっちのやっていることが分かるということだ。
 ハッカー相手に同じ土俵の上で戦うのはあまり利口とは言えない。
 とはいえ・・・・・・
 譲はdev_g1のメイン・ホールのアドレスを叩きこんだ。
 このまま放っておくと何をしでかすか分からない。いいだろう、あんたとサシで話してやろうじゃないか。
 目の前に移動用の扉が現れる。
 深呼吸して扉をくぐった。
 メイン・ホール。だだっぴろいドーム内に、動く影は見えない。
 円形のホールの四方に、四つの扉が並んでいる。
 開発中プログラムの入った開発室への扉。
 社員データの収められた秘書室への扉。
 契約書や書類の納められた共通書庫への扉。
 各社員の仮想部屋(ルーム)への扉。
 譲は初めの扉をオープンする。
 すぐに辺りを見まわしてみるが、誰もいない。
 部屋はブルーがかった落ち着いた内装で、壁際にはパソコンのオブジェクトが三台、並んでいる。それぞれが社外で契約しているスーパーコンピュータへつながっており、複雑なシミュレーションをしたり超特急で設計を行わなければならなかったりする時に利用できる。
 机の影。椅子の影。
 犯人の形跡はない。
 ふと気づいて周囲の録画を開始した。
 何かの役にはたつかもしれない。
 壁際には棚があり、ダンボール箱が並んでいる。箱にはラベルが貼ってある。
 2/5 Ver.0.1.2、2/19 Ver0.2.1・・・・・・といった具合。開発中のプログラムが日付順に並んでいるのだ。
 部屋を出て、次の扉を試す。
 テーブルがあり、目の前にきれいな女性秘書が座っている。
 もちろん本物の秘書ではなく、ヘルプ用のオブジェクトだ。
 譲がポイントすると、合成音声が滑らかな声で尋ねてきた。
「何かご用でしょうか?」
「最近アクセスされたファイルは?」
「しばらくお待ちください。」
 壁からファイルが勢いよく飛んできて、テーブルの上に積み重なる。
 ここ二十四時間以内にアクセスされたファイルの山だ。
 譲はファイルをとりあげ、確認する。
 課長のスケジュール表、開発線表、旅費ファイル。誰かが仕事で使いそうなものばかり。各社員のIDや利用端末を記した名簿・・・・・・
 そこまできてふと目をとめる。
 アクセス時間、午前零時一七分。
 急に胸が高鳴りだした。
 奴がアクセスしたのだ。
 社員のID、利用端末、ホームアドレス。ハッキングに使うつもりか、それとも何か探しているのか?
 部屋を出てホールに人影がないのを確認し、慎重に次の扉を開けた。
 斧を持った殺人鬼の妄想が頭の底にわだかまっている。扉の影から、誰か飛びだしてくるような気がしてならない。
 書庫には天井まで届くような棚がいくつも並んでいる。棚に並ぶのは、契約書やプレゼンテーション資料のほか、市場動向や見積書、機能仕様書などライバル会社が見たらよだれを垂らしそうな資料の数々。
 譲はキングファイルの隙間から向こうをのぞきこんでみる。
 誰かファイルを覗いてはいないだろうか。
 夢中になって資料を読んでいる誰か、それともいつの間にかすぐ隣に・・・・・・
 譲は頭をふって妄想を追い払い、ひとつひとつの棚を点検していく。少なくとも誰かがアクセスしている様子はない。
 外に出て四つ目の扉を開いた。
 四つ目の扉の向こうには、十あまりの扉が三段に並ぶ大きなホールがある。それぞれの扉が各社員のマイ・ルームへの入り口だ。
 ぐるりと見まわしてみて、譲の目は一点に釘づけになった。
 二階のドアがひとつ、開きっぱなしになっていたのだ。
 この会社のセキュリティをよほどなめているのだろうか。それとも罠か? 俺への挑戦か?
 罠にしても、確認してみるしかない。
 譲はドアをポイントして近づき、中に入り、そしてー
 唖然とした。
 すぐ目につくのはドーム状の天井。きれいな渦巻き状のアンドロメダ星雲がゆっくり回転している。
 部屋の中のものはそれほど多くない。パイプ椅子、デスク。ファイルがきちんと整理された本棚。
 必要最小限のものを、使いやすく配置しておくのが譲の信条だからだ。
 そう、ここは譲のマイ・ルームだった。
 (デスク)の上のパソコンに、赤いスーツを着た人型がかがみこんでいた。
「へぇ、凄い。これ、開発ツールなんだ。」
 感心したように一人ごちている。
 パソコンは、ネットワーク用言語、ExtremeJAVA(エクストリームジャバ)の開発用ツールを現すオブジェクト形状だ。
 電源ボタンを押すと開発用の統合環境が立ち上がり、コーディングできるようになっている。
 人型ポリゴンが電源に手を伸ばし、譲ははっとして怒鳴りつけた。
「おい! 俺の部屋で何してるんだ!」
「きゃあっ!」
 女子高生が痴漢にでも襲われたというような、凄い悲鳴が返ってきた。
 びっくりしたように振り向いたその姿は、マニア向けのゲームにでも出てきそうなSF系の美少女だ。
 五、六頭身のポリゴンで赤いスーツ。
 ポニーテールにした赤色の髪が揺れている辺り、かなりの作り込みである。
 ログ・アウトするかと思いきや、そいつはいきなり譲を指差して叫んだ。
「ああ、あんたっ! あの時の!」
 挑戦的に腰に手をあてる。
 体感ボディ・スーツと連動させているのか、動きは相当細やかでリアルだ。
「あんた、あたしのデータどこに隠したのよ? ディスク? それとも家の端末?」
 譲は面食らってポカンと口を開けた。
 なんだ?  なんで俺が糾弾されなきゃいけないんだ?
「なんの話だよ。あんた、俺にメールを送ってきた奴か?」
「そうよ。悪いっ?」
 開きなおった口調である。
「先に手を出してきたのはあんたでしょ。あたしはただ、自分のファイルを探してあんたにも同じことをしてやりたかっただけ。」
「おいふざけるな。俺が何したってんだ? あんたのせいで、俺は仕事首になるんだぜ。」
「クビ?!」
 相手はすっとんきょうな声を出した。
「嘘、なんで? たかが脅迫メール受け取っただけで?」
 どこか心配そうな調子だ。
 譲は訳が分からなくなった。
「ちょっと待てよ。最初からきちんと話してくれ。あんたはなにもんで、何しにここへ来たんだ? 俺が何をしたと思ってるんだ?」
「うーん、ちょっと話すと長くなるけど・・・・・・いーい?」
 侵入者は聞きながら、図々しくテーブルの上に腰をおろす。
 譲は苦笑したくなった。
 会社に侵入してきたハッカーとローカル・バーチャル・スペース上で話をするなんて妙な話じゃないか?
 彼女/彼はSEVENと名乗った。
 それがグローバルIDなのか単なるニックネームなのか譲には判断しようがない。SEVENの胸には、例の人を食った文字列しか記されていないのだ。認証サーバがそう認識しているのだから当然のことだけれど。
 SEVENは譲のポリゴン形状が部屋へ入りこんできたことを話し、画像を広げてみせた。
「これ、証拠写真。」
 画面上には確かに、JOHのものとおぼしきオブジェクト形状が映っている。
 もちろんデジタル画像のこと、どうにでも細工はできるが、わざわざこんな手のこんだ真似をするとも思えない。
 だとすると・・・・・・
「くそ、またか!」
 譲は歯がみする。
「どうしたの?」
「俺のかっこをした奴があちこちのネットワークを荒らしまわってる・・・・・・どうやってやってるんだ?」
「自分のIDでログインして端末をそのままにしてたんじゃないの?」
 譲は首を横にふった。
 確かに、WWVS(ワールド・ワイド・バーチャル・スペース)にログインしたまま席を離れてしまえば、誰かがJOHの名前で操作することはできる。
 でも、仕事中に席をたつのはトイレに行くときとコーヒーブレイクをとる時くらい。
 念のために、自分が端末の半径2メートル以内にいない時は誰も操作できないよう、赤外線カードを持ち歩いている。
 SEVENが少し考えてから尋ねた。
「JOHって今年の春、文化祭とか行った?」
「春? 文化祭って秋じゃないのか?」
「うちは春なの。MM学園。あたしのクラス、サイバーカフェの出し物してたんだけど、WWVSからアクセスしたりした?」
「いや・・・・・・ネットサーフする暇もなかったし、文化祭もここ二、三年行ってない。」
 大学時代も、譲はほとんど文化祭に出ていなかった。期間中は授業がないのをいいことにスキーに行ったり、バイトしたりしていたのだ。
「あたし、JOHって書いたネームプレートまでばっちり見たんだよ。あれも偽物だったとしたら、単なるそっくりさんじゃなくて、ホントに誰かがJOHのIDを使ってるってことになる。」
 SEVENが首を傾げ、譲も考えをめぐらせた。
 IDが同じであることはWWVS上なら考えられない。
 あるとすれば、ローカルで一時的にJOHという名前のIDをつけること。
 もしそうなら、JOHというIDのメンバーがSEVENのマシンに一度登録された可能性がある。どこかに痕跡が残っているかもしれない。
「おい、履歴(ログ)を調べたって言ってたよな。どんなファイルがアクセスされてた?」
「ええと起動されてたのは・・・・・・ファイル転送用のシステムファイルが2件、あと1件は・・・・・・分からない。」
「ちょっと調べてみようぜ。そっちのマイ・ルームに行こう。」
「ええ、あたしのルームに?!」
 SEVENが不満げな声をあげる。
 人のマシンには平気で入りこむくせに、自分のマシンに入られるのは嫌らしい。
 情報の共有化と称して人のネットワークに入り込むハッカーの主張の矛盾したところでもある。
「いいから早く案内しろよ。一緒に行くんだから、妙な真似はできないだろ。」
「・・・・・・分かった。ちょっと待ってて。」
 SEVENが目の前に『扉』を開き、中へ消える。
 しばらくしてまた扉が開き、向こうから顔をのぞかせた。平気で出入りできるところを見ると、会社のネットワークには完全に裏口ルートを作ってしまったらしい。
 後で探して消しておかないと、また厄介なことになりそうだ。
「OK。どうぞ。」
 SEVENが招き入れる仕草をした。
 譲はハッカーのルームに足を踏み出した。

 奈々は扉を開け、黒いスーツ姿のポリゴンを招きいれた。
 JOHー譲のIDに自分のルームへのアクセス権を与えたのだ。
 なにやらそわそわしているのは、ハッカーとしては当然のこと。なんたって、ルームは宝箱なのだ。本物の部屋に踏みこまれるよりなお悪い。
 とはいえ、奈々の場合、本物の部屋の惨状はこの上ないわけで。
「ま、こっちのがまだましか。」
 奈々は一人ごちた。
 あたしの部屋に人を、まして男の人なんか入れるにはそりゃ大変。
 散らかった服を片づけるだけでも一日がかりだし、その上散乱した紙、周辺機器を片づけて掃除機をかけたらまあ三日。
 彼氏ができたら絶対デートは外ね、などと関係ない想像までする。
 そんな奈々の思惑など知るよしもなく、譲は思いきり少女趣味の部屋にすっかり面食らっていた。
 パステル調の壁紙にふわふわしたソファ。
 うさぎを描いたクレヨン画。
 大きな熊のぬいぐるみ。
 およそハッカーの部屋とは思えない。
 よたよた走ってきたペンギンが、足元で勢いよく転んだ。
 妙なところに芸が細かい。
 思わず抱き上げようとすると、奈々が横から奪いとる。
「ちょっと! 余計なファイル調べたりウイルスかなんか忍びこませたりしたら、ただじゃおかないわよ。」
「するか! あんたと一緒にするなよ。俺はハッカーじゃない。」
「ハッカーはウイルスなんか入れないわよ。それはクラッカー。」
 奈々はすかさず訂正を入れる。
 あくまで言葉の定義にこだわるのは、奈々も自称ハッカーだから。
 システムに忍びこみはしても、破壊はしない・・・・・・それが奈々のポリシーだ。ウイルスをばらまいたり、電子マネーの詐欺をやったり、人のメールの本文を改ざんしたりしたことはない。
 そういうのはハッカーじゃなくて犯罪者ハッカー(クラッカー)の仕事だ、と奈々は思っている。
 とはいっても、実は成敗と称して、悪徳業者のシステムを目茶目茶にしたり、セクハラ親父のメールを転送して困らせたりなんていうことは数知れずやっているのだけれど。
「クラッカーでもクッキーでもなんでもいいから、早くログを見せろよ。」
 譲が急かした。
 彼にしてみれば、どっちにしても同じようなものだ。
「分かってるわよ。いちいち命令しないでよっ。」
 手を出されないように奈々は急いでエンジェルを呼び出し、ログを展開させる。
 文書をスクロールし、下の方を指差した。
「ほら、ここ。ファイル名が???になってるでしょ。」
「つまりファイル名の関連づけがないってことだな。ここに侵入するために、一時ファイルを入れておいて後から削除したんじゃないか?」
 奈々、感心してぽんと手を打つ。
「そっか! トロイの木馬? なんで気づかなかったんだろ。」
 奈々自身も他のシステムに侵入する時はたいていトロイの木馬をしかけてくる。トロイの木馬=スパイ・プログラム。相手のマシンに侵入し、ハッカーに門を開く忍者みたいなものだ。
「メモリは調べてみた?」
 ハードディスク上のファイルは削除してもそのままでは消えない。ファイルリストに出てこないだけで、他のプログラムが同じ領域を上書きしない限り、データは物理的に保存されたままなのだ。
「調べてみる。」
 奈々は机の引き出しをひっかきまわし、掃除機の形をしたソフトを引っ張り出した。
 半年ほど前、ネットで知り合ったハッカーからもらったものだ。ハードディスク上の残存ファイルを洗い出してくれる。
 あいつ、なんてIDだったっけ? 奈々のことを気に入っていたのか、やたら色々なソフト(がらくた)をくれた。
 こんなもの使うこともないと思ったけど、意外な時に役立つものだ。
 掃除機のスイッチを入れると、おしりの排気口のところからペーパーが吐き出された。
 ファイルの先頭と終わり、それに16進数表記された蟻みたいな文字。
「さぁ。探すの手伝って。」
「やれやれ。」
 手分けして、ペーパーの中からそれらしき断片を探り出す。
 数百ギガのファイルを調べるのは結構な重労働だ。それに、一時記憶装置(メインメモリ)を使いすぎてハードディスクの記憶装置とスワッピングしないように気をつけなければならない。
 一時記憶装置(メインメモリ)が足りなくなると、コンピュータはハードディスク上の記憶領域(メモリ)にファイルを一時待避させはじめる。
 そうなると、せっかくの手がかりも上書きされて消えてしまうかもしれない。
 調べること数十分、譲があっと声をあげた。
「おい、これなんだ? Holelist.libって。」
「それはあたしの・・・・・・ちょっと待って。」
 奈々は譲のオブジェクトの隣に移動した。
 いちハッカーとして、奈々は当然基本ソフト(オーエス)のセキュリティホールチェックツールを愛用している。
 セキュリティホール、すなわちバグによるセキュリティ上の抜け道。
 けれど、譲が指摘したのは記憶にあるのと違うようだ。
「よし、じゃあ、逆アセンブルしてみよ。」
「逆アセンブルたって、こいつは大本のプログラムじゃない。元のファイルが参照してるただのライブラリだぜ。」
「平気。関連してるファイルを検索してぜぇんぶ元通り再構築してくれる秘密兵器があるから。」
 奈々がうふふと笑ってみせる。
 譲が半ば感心し、半ば呆れかえっている間に、奈々は大きな虎のぬいぐるみをひっぱりだした。
 Holelist.libのファイルを口につっこむと、虎が大きく伸びをして息を吸いはじめる。
 小さな破片、大きな塊、あらゆるものが口の中にどんどんすいこまれ、虎の白いお腹がぷっくりとふくれてゆく。
 最後にまんまるい風船のようになると、いきなりはじけて飛び散った。
 後に残ったのは、四角いキューブ。
 譲がキューブに手を触れて属性(プロパティ)を調べた。
「三十(メガ)・・・・・・一晩で追いかけるにはちょっときつい量だな。」
「まかせてよ。」
 奈々が引き出しからシルクハットをとりだした。
 次から次に出てくる奇天烈なハッキングツールに、譲はただただ唖然とするばかりだ。
 奈々は大きなキューブをシルクハットにぎゅうぎゅうと詰め込んだ。
 シルクハットがゲップの音をたて、ガタガタと震えはじめる。
「なんだそりゃ?」
「ライブラリを解析してくれるの。市販のライブラリとフリーウェアライブラリのマシン語データがみぃんな登録してあって、きれいに分類してくれる。残るのは製作者の書いたプログラムだけってわけ。」
「なるほどね。」
 シルクハットがチーンと音をたてた。
 飛び出したのは、今度は(スフィア)
 奈々は球をポイントしてプログラムを取り出した。
 左側に16進法の数字で記述されたマシン語、右側にはそれを逆アセンブルしたアセンブラ言語(ニーモニック)のリストが並んでいる。
 奈々はリストを譲のポリゴンの前に突き出した。
「はい。」
「はいってなんだよ。」
「読んで。」
「読んでって・・・・・・ああ、ニーモニック読めないのか?」
「言語なんて、ExtremeJAVA(エクストリームジャバ)くらいしか知らないもん。」
 奈々はぷうとふくれてみせる。
 コンピュータの言語は必ず実行前に機械の分かる言葉、マシン語に翻訳される。けれどそれはいうなれば

  CD 1A 50 C9……

 といった16進文字列の羅列で、普通の人間にはとても読めない代物だ。
 だから通常は人間のわかる言語で開発して、実行する前にマシン語に変換する。
 ExtremeJAVAはバーチャル・スペース上でよく使われるプログラミング言語で、人間にわかりやすい、いわゆる『高級言語』だ。けれど、一度マシン語に変換してしまったプログラムをもとのJAVAに再現するのは難しい。
 一方ニーモニックは機械の言葉、マシン語をただ逐一単語に当てはめただけ。実行用ファイルさえあれば、すぐにでも逆翻訳(ディスアセンブル)することができる。
 ただし、理解するに相当な熟練と忍耐が必要だ。
 OSが複雑になった今、ニーモニックでプログラミングしようなどという人はほとんどいないし、読める人もそう多くはない。
 譲はペーパーに目をうつした。
「結構長いな。ええと、なんだって・・・・・・」
「読めるの?」
 そう尋ねたところを見ると、奈々も譲がニーモニックを読めると本気では思っていなかったらしい。
「まあ、一応本職(プロ)だからな。」
 譲が控えめに答える。
 奈々はかっこいい、とほめてあげるつもりだったけれど、ついひねくれ者のくせが出て、口をついて出てきたのは、全然逆で。
「わぁ、オタク。」
「失敬な。お前みたいな変態ハッカーに言われたかないね。」
「ちょっとぉ、何なのよそれ!」
 奈々は頬をふくらませたが、譲が本気で解読に努め始めたので黙り込む。
 譲はプログラムを頭からスクロールさせた。
 時折コメントをつけ加え、ジャンプ先のアドレスにわかりやすいよう名前をつける。
「待てよ・・・・・・ここがつまり・・・・・・なるほど、形状データを検索して・・・・・・」
 奈々は興味津々で後ろからのぞきこむが、短いローマ字が並んでいるだけでよく分からない。

00401100  cmp  esi,esp
00401102  call 004029b0
00401107  and  eax,0FFFFh

 まるで暗号だ。
「圧縮ファイルを展開・・・・・・ん? 先頭アドレスが・・・・・・」
「ねえ、どうなってるの?」
 奈々が業を煮やして尋ねる。
「ちょっと待てよ。ここで・・・・・・おい、ポート13010ってなんに使ってるんだ?」
WWVS(ワールド・ワイド・バーチャル・スペース)へのパス。」
「そうか! 分かったぞ、つまりここで複製を転送するんだ。すげぇ・・・・・・なんでこんなものが作れるんだろう。」
「ねえ、どうなってるのってば!」
 奈々は譲のポリゴンの頭をポンポンと叩いた。
 譲はしばらくブツブツ言っていたが、ようやく説明を始める。
「つまりな、こいつはネットワーク上を自由に走り回って、あちこちのローカルネットワークのセキュリティをチェックするんだ。自分の持ってるセキュリティホールのライブラリと参照して、ある条件を満たせば潜り込む。」
「ある条件って?」
「詳しくは分からない。ファイルがだいぶ壊れてるみたいだから・・・・・・でも、条件は複数で結構厳しいな。パスワードがかかってるとか防護壁(ファイアウォール)があるとか・・・・・・」
「わざわざセキュリティの硬いところを選ぶわけ? どうして?」
「さあね。もしかすると・・・・・・いや、ともかく、ローカルネットに入ったらそこのマシン環境を調べて最適な形に自分を変える。で、メモリからハードディスクから片っ端からデータをコピーして転送をかける。」
「どこに?」
「そこも壊れてて読めない。転送先が分かれば犯人も予想がつくんだけどな・・・・・・それから、メモリの中からVS上のポリゴン形状を拾い出して自分のプログラムに取り入れる。」
「ポリゴン形状・・・・・・まさか!」
「そ。あんたが見た俺の姿は、自走式プログラムだったってことさ。」
 譲がソースファイルをはじいてみせた。
「俺達はVS上で走り回るロボットウイルスに翻弄されてたってわけ。」
「でも、プログラムにあんな動きができるなんて信じられない。うちの文化祭に来てたJOHのオブジェクト、まるでみんなを見てまわるみたいに動いてたのに。」
「動きを学習するんだよ。他のオブジェクトのモーション・パターンをとりこんで情報を集めるんだ。それだけじゃない。マシンの外部へのアクセス履歴を拾い出して、片っ端からコピーを送り込む。だから、セキュリティがある程度堅いネットワークに入り込むのかも。あんたが今までハックしたネットワークに、あんたのやり方で潜り込むってわけだ。」
「で、最後に自分の痕跡を消して、またWWVSへ戻っていくってわけ?」
「そういうこと。」
 奈々はため息をつき、情報を頭の中で整理する。
 マシンをハックして、情報を集めて、その情報を使ってまた別のネットワークをハックする。
 待った、盗んだ情報を使うってことは?!
「まさか、今のプログラムの形って・・・・・・」
「うーん。そろそろあんたのカッコになってるかもな。」
「じょっ、じょぉだんじゃないわよっ!」
 突然のわめき声に、譲は慌ててヘッドセットをむしりとった。
 鼓膜が破れてやしないかと思わず耳に触れてみる。
 奈々はもちろんそれには気づかず、大声でわめき続ける。
「あたしの格好をしたポリゴンが今ごろどっかで悪さしてるってことっ?!」
「・・・・・・もう次の姿に変わってるかもしれないけどな。」
 譲は答えた。
 大音量を聞いたせいか、知らず知らずのうちに声のトーンが低くなっている。
「どうしたらいいの? ね、どうすればいいのよ?」
「こっちが聞きたいよ。それが分かりゃ苦労しない。」
 譲は少し考えこんだ。
「プログラムを生きたまんまつかまえないとどうしようもないな。今までSEVENがアクセスした先を調べてみれば、動いているプログラムをつかまえられるかもしれない。SEVENのポリゴン形状を見つけたら通知してくるようなプログラムを置いておくとか。」
「そんなツール聞いたことない。」
 奈々が顔をしかめると、譲は肩をすくめた。
「自分で書きゃいい。」
 奈々は目を丸くする。
「そんなの、どうやって書くか分かんないよ。時間もないし・・・・・・」
「なら、プログラムは俺が書く。あんたはどこかに仕掛けといてくれればいい。」
「ホント? すごい。ありがとう、JOH。」
 奈々がJOHのポリゴンにとびついた。
 とびついてから体感ボディスーツを着ていないことに気づき、思いきり手を握りしめる。
「じゃあ、メールか電話でまた連絡するから。プログラムよろしくね。バイ!」
「おい待て、それじゃこっちから連絡が・・・・・・」
 連絡先を聞く間もなく、奈々は部屋の向こうに消えた。
 譲はため息をつき、自分のルームに戻りかける。
 と、奈々が向こうから顔をのぞかせた。
「ちょっと待って。バーチャル空間じゃ盗聴されてるかも。今度の土曜日、暇?」
「あ? まあ、用はないけど・・・・・・」
「じゃ、新宿PLAZAの天使像前で3時に待ってるから。よろしくね。」
「おい、待てよ。」
 言いかけたが、赤いスーツはもう扉の向こうに消えている。
 譲は息をついた。
 なんだか面食らうようなことばかりだ。
 侵入者を捕らえたと思ったら、勝手に週末の予定まで入れられるとは。
 とはいえ、会ってみるのも面白いかもしれない。
 正直言って興味はある。会社の社内ネットワークに、いともたやすく潜り込んできたのがどんな奴か。
「Good Night。」
 譲はつぶやき、オフィスのソファに寝転がって泥のように眠りこんだ。

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