聖樹伝説 第八話
ふさわしき者(一)(二)

 

                   (一)


 まぶしい陽光が、石畳の上を明るく照らしだしていた。
 かなり昔に舗装されたらしく、轍の跡がつき、傾いたりゆがんだりしているが、上を行
き来する人々はみな威勢がいい。
 魚の干物を籠にいれた行商人が、なにか大声で叫びながら通りすぎる。ローブをまとっ
た老婆が道端に座り込み、ラファール国産の毛織物を布の上に広げている。
 通りかかる町人、商人はそういった露商の上にかがみこんで、安く、良い品物を買いと
ろうとしたたかなかけひきを楽しんでいる。
 レニミト王国一の交易町、レアテル。
 岩場を南下した一行は、昨晩遅くここへたどりついた。
 とりあえずその晩は宿に泊まり、朝になるとルウ達は姫を城へ帰そうと試みた。あんな
ことがあった後では少しは姫も懲りているだろう、と考えたのだが、甘かったようだ。
「確かにね、私の考えが甘かったってことは分かったわよ。」
 とリーシャ。
「でも、だからこそもっと世の中を知っておかなくては。一国の姫たるものが世間のこと
を何も知らないんじゃお話にならないでしょう。そもそも、私のお陰でみんなあのお城か
ら出てこられたんだから、最後まで面倒をみる義務はあると思うわ。」
「噂では、ゴド森は大変危険だという。守りきれるかどうか分かりませぬぞ。」
 ミュンが言ったが、それでもかたくなについていくと言い張る姫に一行はとうとうあき
らめた。リーシャの持っている水晶板が、役に立つ時もくるかもしれない。
 今朝は宿をとったまま、ルウ達は街へ繰り出した。
 今までの旅の中で武器はだいぶ鈍ってきているし、ルウの剣は折れてしまった。馬もな
い。
 ゴド森を前にして、これだけの装備ではとてもこころもとなかった。
 多くの商品が集まってくるレアテルは、旅支度を整えるにはうってつけの場所だ。
 山でとれた宝石類と各地から集められた名産物が、この町で交換されるのだ。
 金まわりの良さからか、町には店が立ちならび、町人達もそれぞれのおしゃれを楽しん
でいる。
 この世のものならぬ荘厳な雰囲気を漂わせていた山頂とは線反対、にぎやかな街の喧騒
に、久しぶりに城を抜け出したリーシャはすっかりはしゃいで黄色い声をあげていた。
「凄いわ! ほら、見てよあのドレス。」
 数歩行くごとに立ちどまっては、キョロキョロと辺りを見回す。
 姫にとってはこちらの方が非日常ということか。
「町に来たのって何年ぶりかしら。ねえルウ様、あの首飾り素敵じゃない?」
 戸惑っているルウの腕を取り、指を指す。
「あのアメジストはきっとさっきの谷間でとれたものね。金の飾りはメルナードで細工し
たものかしら?」
 保存用の乾燥肉を買い、少し歩くと中心街近くへやってきた。人通りが激しく、辺りは
いっそう騒がしくなっている。
 焼きたてのパンの匂い。靴屋は通りに面した仕事場で皮をなめし、仕立て屋は色鮮やか
な晴れ着を店の表へかかげている。
 広場の手前辺りからフェーンは別に何か探すようにキョロキョロ辺りを見回していたが、
ふと足をとめ、満足げにうなずいた。
「あったぞ。」
 通りの雑踏の向こうがわに、大きな盾と交差する剣の看板をかかげた店があった。
 武器屋だろう。周囲の店とはうってかわって無愛想に扉を閉め、鎧戸を下ろしている。
 リュワルドがフェーンの視線を追って思い出したようにつぶやいた。
「マーナの言っていた武器屋か。確か、特別製の武器を作ってくれるとか言っていた…」
「うむ。実にタイミングがいい。」
「だが、通行証はないぞ。」
 ミュンが苦い顔をして言った。
「マーナ殿の話をしても信じてもらえるかどうか…」
 辺りをきょろきょろしていた姫がふとふりむいた。
「ねえ、通行証ってひょっとしてこれのこと?」
 服の中から金色の紋章をとりだしてみんなの前に出してみせる。
 フェーンがのぞきこんで歓声をあげた。
「おお、それだ。その趣味の悪い怪物、見忘れる筈もない。どうしたのだ?」
「自分の住んでる山の通行証ですもの。持ち歩いていて当然でしょう?」
「それもそうだな。」
 フェーンは少し考えこみ、
「だが、だとすれば山を通った人間なら誰でも持っているということか。身分証明にわざ
わざ渡してくれるようなものでもないようだが…」
「なんの話か知らないけど、これは特別なフリーパスよ。王家の人間か、特別に許可され
た人にしか渡されないの。普通の人がもらうのは、銅板か、ただの紙きれ。どうする?
行ってみるの?」
 姫が紋章をかざしてひらひらとふってみせる。
 フェーンがうなずいて、
「ああ、試してみぬ手はあるまい。どのみち、武器は必要だしな。」
「閉まっているようだぞ。」
 リュワルドが店の戸をふりかえると、フェーンは肩をすくめた。
「締切りの札もないではないか。看板もドアノブも磨かれてぴかぴかだ。留守とは思えぬ
ぞ。行って、寝坊すけやを叩きおこしてやろう。」
 店の前へ近づいて、一行は戸を叩いてみた。
 返事はない。
 押してみると、戸は意外にも簡単に開いた。
 ところが、中に入っても誰も迎えに出てこない。
 迎えたのは、薄暗い店内にぞろりと並ぶ武器の数々。
 薄暗い店内に、ずらりと武器がかけてある。
 立ち並ぶ槍の列、銅版をはりあわせた盾、大小の剣ー
 銀光を放つ武器の間を抜け、ものものしい甲冑の間を進んでいくと、カウンターの奥に
扉が開いているのが見えた。
 鉄の焼ける匂いがする。
「すみません。」
 ルウがよびかけてみた。
 店の奥から鉄を打つような音が響いてくるが、迎えに出てくる気配はない。
 しばらくたって、ルウはもう一度呼びかけてみた。
「あの、すみません。」
「誰だ? なにか用かね?」
 ようやく無愛想な声が答え、黒い不精髭を生やした男が、染みのついたエプロン姿で姿
を現した。
 ルウ達の顔を一見すると、興味なさそうに手をあげる。
「なんだ、新客か。悪いけど今忙しいんでね。また今度にしてくれ。」
「急ぎの用なんですがー」
 ルウが言いかけたが男は踵をかえし、
「うちは注文を受けてから作るんだ。置いてある武器はみんな売約済みでね。すぐ必要な
ら他の町を探しな。」
 そう言って、扉の向こうへ立ち去ろうとする。
 一見客はお断りなのかもしれない。
 ルウがあわてて背中に向けて呼びかけた。
「あの、あなたはマーナさんのお父様ではありません。」
 男は少し表情を変えた。
「知り合いなのか?」
「実は、レビュ川の向こうの村で怪物に襲われているところをお助けしました。そしたら
水晶山のこちら側にいる父を訪ねてくれとこれを…」
 姫が隣からすばやく紋章をかざしてみせる。
 男はちらりと見てとって、
「なるほど。そいつがあればあの気の短い従兄弟にも咎められずに旅してこられるな。だ
が、怪物とな? どういうことだ?」
「魔物が出没している、という話を聞いたことはありませんか? アースター国の町や村
に、魔物の群れが襲ってきたんです。マーナさんはグリフィンに襲われていてー」
「そういえば、この間剣士達が、魔物がどうのとほざいておったわ。」
 男はごわごわした不精ひげを太い指でしごいた。
「また大ぼらを吹きおってと思っていたが、あながち嘘でもないと見える。物騒な世の中
になったものだ。まあ、娘の恩人となっては追い返すわけにもいくまい。」
 男が、奥から椅子を出してきてかけさせる。
「礼にその腰の剣でも鍛えなおしてやろうか。」
「実は、マーナさんから、あなたは特別な武器を作っていると聞きました。私たちにそれ
を作ってはいただけませんか。」
「あれか。」
 マーナの言っていた言葉と反して、男は渋い顔をした。
「他のものならさておいてだが、あれはめったやたらな人にはやれんのだ。戦の時王家に
献上した分を入れても、今まで十本と作っておらん。」
「魔物が出ているのはアースター国だけではない。この地にも、いやおそらく世界中に魔
物が出没し始めているようなのだ。我々はその理由を明かすため、フェールド陛下の命を
うけ、旅を続けている。力を貸していただけぬだろうか?」
 リュワルドが熱心に頼んだが、男は首を縦にふらない。
「けちっているわけではないぞ。あいつは言わば諸刃の剣、滅多な人間が持つと本人にとっ
てもも危険なのだ。何しろまだ試作段階でな。あいにくと今は材料もきらしている。」
 こうまで言われると、無理強いもできない。
 ルウはため息をついた。
 傷ついたところだけ直してもらって、自分の剣は他の場所で探すしかないだろう。
「ところで、先ほど従兄弟とおっしゃったが…?」
 ミュンがふと口をはさんだ。
「いったいどなたのことですかな?」
 男は金の紋章を指さして、
「ああ、その品の悪い札を持っているということは彼の山を抜けてきたのだろう? ドレ
イン王にも長いこと会っていないがー」
 リーシャがはっとした顔になった。
「まさかあなた! お父様の従兄弟では?」
 ルウ達はびっくりして顔を見合わせた。
 リーシャの父、つまり王のー
「王の従兄弟だと?!」
「じゃああなたが、お父様の話していた変わり者のおじさまなのね?!」
 リーシャが叫び、あわてて口を押さえる。
「すると、お前がドレイン王のじゃじゃ馬娘だな。こいつはいっぱいくわされた。」
 男は負けずにやりかえす。
 変り方に差こそあれ、並ならぬ性格の多い血筋と見える。
 仮にも王家の血を引く人間が、街中で鍛冶屋をしているなど、アースター国では考えら
れない。
 唖然としている一行を、男はぎょろりと見渡して、
「何を驚いているのかね。適材適所を実践しているだけのことだ。窮屈な宮廷なんぞ性に
合わん。そのわしが、山上なんぞで政治をするより、こうして町へ出て鍛冶屋をしたほう
がよっぽどためになる。そうは思わんかね。」
 思わんかねと言われてもルウ達としては困ってしまうが、フェーンがただ一人、大きく
うなずいた。
「うむ、いやまったく、その通りだ。」
 リュワルドが脇からつっついたが、やめるどころか先を続けて、
「王家の人間が全て、王家の人間たるにふさわしく生まれついてきたわけでははない。政
治の才のない者が民を治めては、治められるほうも迷惑千万。自分にあった職業を選ぶの
が賢い人間のすることだ。」
「おい、フェーン。」
 男はフェーンとリュワルドの顔を交互に眺めていたが、やがて大声で笑いはじめた。
「面白い。俺が王家の人間と知って、それほど無礼な言葉を吐いたのはお前が初めてだ。
ドレイン王に同じことを言っていれば、今頃首はなかろうが。」
「無礼ついでにもうひとつお願いしたいのだが、その才能をぜひ世の中のために役立てて
いただけぬか?」
 フェーンが椅子から身を乗りだした。
「なんだと?」
「いや、役立つ役立たぬの前に、だ。ご自分の作った武器が魔物と渡りあえるかどうか、
試してみたいとは思われぬか? 武器職人というものは、自分の作った武器が真に生かさ
れる場を望んでいると聞いたことがあるがー」
 男は黙りこんだ。
 厳しい顔をして考えこんでいる。
 フェーンは軽く自分の剣を叩き、
「いや、父上からのまた聞きだがな。この剣を作った名匠がそう言っていたそうだ。我ら
に使われれば、剣としても使われがいがあると思うがいかがか?」
 傲慢な台詞に何を思ったか、男はちらりとフェーンの剣に目をやり、いきなりそれを抜
きとった。
 薄暗い明りの下で刃がギラリと銀光を放つ。
 男は黙って刃を確かめていたが、やがてつぶやいた。
「うむ、確かに素晴らしい剣だ。だが、それでも、魔物を相手にするとなるとー」
 男は顔をあげ、一同を眺めわたした。
「おぬし達の旅の目的について、もう少し聞かせてもらおうか? 魔物の話ーマーナのこ
とも知っている限り話してもらいたい。あの剣は主人を選ぶ。持つにふさわしい者かどう
かは、それから決めよう。」

(二)

  ルウ達が今までのことをつぶさに話すと、男ーガロンは大きくうなずいた。
「なるほど。そういうことなら是非とも協力してやりたいが…」
 店の奥をふりかえり、両腕を広げる。
「材料を切らしているといったのは本当の話でな。水晶の結晶が必要なのだが…」
「水晶だと? …これでは駄目か?」
 フェーンが谷間から失敬してきた紫水晶の結晶をとりだした。
 男は水晶の表面を指でなぞり、いろいろな角度から眺めまわしていたが、やがて小さく
うなずいた。
「ふむ。にごりのない、いい結晶だ。これなら四本くらい作れるか…。紫水晶は試したこ
とがないが、面白いかもしれんな。」
「作るのにどれくらいかかりますかな?」
 ミュンが尋ねた。
「うんと急いで一週間…仕上げにはあんた達にも協力してもらわねばならん。どうするか
ね?」
 ミュンは一行をふりかえり、うなずいた。
「是非お願い申しあげたい。忙しいところかたじけないが。」
「世界が魔物に荒らされたくないのは誰も同じだ。それに、あんた達には、親類の家出娘
も一緒にいる。」
 男はリーシャの顔を見て、城を抜け出してきた時の話を思い出したのかクスクス笑った。
「おまけに娘の命の恩人でもある。できる限り協力はさせてもらおう。
 金はいらない、ただ剣に魔法を吹きこむ時には本人に立ち会ってもらいたい、とガロン
は言った。最初の剣の形ができるのは、おそらく四日ほど後になるだろうー
 また来ることを約束して、ルウ達は外へ出た。
 日ははや中天をまわり、午後の商売を始めた商人達の影を黒々と地面へおとしている。
 歩き始めようとすると、ぐうう、と腹の鳴る音がした。
「やだ、私…」
 セイラが顔を赤く染める。
 リュワルドが笑いだして、
「そういえば、昼食がまだだったな。どこかで食事にするか。」
「私、お魚が食べたいなあ。」
 リーシャが頬を落っことしそうな顔をする。
「この辺り、海が近いでしょう? 魚介類がとってもおいしいの。昔、城の兵士に連れら
れて食べにきたことがあるんだけどー」
「私、肉や魚は食べられないんです。」
 セイラが言った。
「今日はメルテの日…聖事を行う人間は汚れをたたなければ。」
「俺はもう少し腹にたまるものが食べたいな。どうだ? ここはいっそみんな別れるとい
うことにしてみては?」
 フェーンがみんなを眺めわたして提案する。
 リュワルドがうなずいた。
「まあここなら、あの男達が襲ってくるということもないだろう。昼間のうちならば…」
「じゃあ私はセイラと一緒に…」
 危険を察知したルウがとっさに言いかけたが、姫はすばやく遮った。
「駄目ですっ。ルウ様は私と一緒に。」
「いやぁ、たまには野菜を食べようかなぁ、なんて…」
「それなら私が案内するわ。聖職者向けのおいしいお店を。」
 リーシャに腕をからめられて、ルウはどっと疲れが襲ってくるのを感じた。

 町の見物に一日中ひきずりまわされて、疲労困憊したルウが宿に帰ってきた時には、も
う日の下端が水平線に沈もうとしているところだった。
 夕餉のいい香りが辺りにたちこめ、旅人達が食事をとろうと階段をぞろぞろ降りてくる。
 部屋へ戻ろうとする廊下で、フェーンと行き違った。
「遅かったな。これから夕食だぞ。」
「うん…じゃ、このまま食べにいく…」
 ルウはもぞもぞとつぶやいて、足をもと来た方向へむけた。
「どうしたのだ? 疲れきった顔をして。」
「想像はつくでしょう?」
 いいかけた時、疲労の元凶が大きく声をあげた。
「ルウ様ぁー!」
 廊下の向こうから駆けてきた姫は、町で買った晴れ着を身につけている。
 裾をつまんで、くるりと優雅に回転してみせ、
「こういう町の衣装って、初めて着るけれど、ゆったりしていて着心地がいいわ。どう?
似合うかしら?」
 あいまいに笑みを浮かべるルウの袖をひき、
「さ、夕食にまいりましょう。いっぱい歩いたからもうお腹がぺこぺこだわ。」
「あ、あのー…後から行くから、先にテーブルについていて。」
「用があるなら待っているわ。」
 澄ました顔である。
「後で行きますから。姫の隣に。」
 ルウが半分懇願口調になって言うと、姫はようやくうなずいた。
「どうか早くいらしてね。」
 言い置いて、階段を下りていく。
 姫の姿を見送って、ルウは大きく息を吐き出した。
「なるほどな。」
 フェーンがおかしそうにつぶやいた。
「分かってもらえた? 私の苦労が。あの様子じゃあ、私が女だって知ったらどうなるこ
とやら…」
「まあ、そのうちに姫もあきらめることだろう。目的地ももう目前だし、な。それまで我
慢することだ。」
 フェーンが苦笑まじりに言う。
「私、そんなに女らしくないか? 時々間違えられるから、もう慣れているけど…」
 不服げな顔で尋ねるルウに、フェーンは肩をすくめてみせた。
「その話し方がまずいのではないか? 前から気になっていたのだが、おぬしは男言葉と
女言葉をごたまぜにして使うくせがあるな。」
「やっぱりそう? 小さい頃男の子とばっかり遊んでいたから…直したつもりなんだけど、
時々地が出て。」
「まあ、姫がいるうちは、その地とやらを出しておいたほうがいいかもしれぬ。おかまだ
と思われたくなければな。…さて、我々も夕飯にありつくとするか。」
 ルウはがっくりとうなだれ、歩き出したフェーンの後を追っていった。

 ルウはガロンに言われた通り、剣を持つ手にじっと意識を集中した。
 手に持った剣は深い紫色の光を秘めてじっと押し黙っている。
 例の紫水晶は、装飾部分ではなく刃そのものに使われていた。
 鋭く研ぎすまされた水晶の刃。
 その根元には精緻な細工をほどこされた銀の柄と鍔がついている。
 鍔にはぐるりと十二の石がはめこまれ、それぞれにルウには分からない複雑な印章が刻
みこまれている。
 装飾品としては、掛け値なしの美しさだが、こんなもので本当に戦えるのか? とルウ
は疑念を抱かずにはいられなかった。
 水晶がもろいことは、身をもって経験ずみである。それを剣と、鍛え抜かれた鋼鉄と打
ち合わせてまともな勝負になるものか? 
 だが鍛治屋に自信を持って大丈夫、と請け合われると、ルウとしては信じるより他に仕
方なかった。その男は今、刃の表にルーン文字を刻みこんでいる。
 ルウには全部は解読できないが…ミュンならその意味が分かるだろうか…?
「おい、意識を集中しろ!」
 ガロンが怒鳴り、ルウははっとした。
「余計なことを考えるな。今、刃の文字の最後の仕上げをするからな。ここでしくじると、
この剣はあんた自身にも制御できなくなるぞ。」
 ルウは剣に精神をこめた。
 男は剣の中央にすっと溝をひく。その両脇に斜めに線をいれていく。
 矢印がいくつも重なった模様ー『勝利』のルーン文字だ。
「なにか呪文を唱えてみてくれ。おぬしの魔法を焼きつけるからな。」
 ルウが光の呪文を唱える間、ガロンは刃に手をあててなにか小さくつぶやいた。水晶に
さあっと光が走り、鈍く発光しはじめる。
「ハムルグ・ナスカ・ダーナーン…」
 呪文を唱えおわるとガロンは刃をにぎりしめ、文字の上に指を滑らせた。
 文字のひとつひとつが光を放ち、すぐに消えてゆく。
 最後の文字の光が消えると同時に、男はパッと手を放し、後ろへ身をひいた。
 一瞬チカッと光が膨れあがったように見えた。
 水晶の中心で燃えるような炎がちらちらと瞬いていたが、それもやがて消えてしまう。
「いいぞ、持ちあげてみろ。」
 ルウは剣をかかげてみた。
 さっきより少し軽くなったような気がするが、特に変わったところはない。
 薄明りを通して、刃の両端が紫色に透けている。
「これで完成、ですか?」
「そう焦るんじゃない。仕上げにはまだいろいろかかるんだよ。鞘も作らなくちゃならん
し…」
 ガロンはルウの背を叩いて立ちあがった。
「まあ、あんたの仕事はこれで終りだよ。あとは俺がやっておく。三日後には立派な鞘を
つけて渡してやるから、心配しなさんな。」
 ガロンはルウを残して仕事場の向こうへ行き、再び自分の作業に没頭してしまった。こ
れ以上ここにいても邪魔なだけだろう。
 ルウはちょっと頭を下げて店を出た。
 外の空気は今だ青く、東の空がかすかに赤らんでいる程度だ。
 朝の始まる予感を静かに待ちうける町の中で、ルウはふと足をとめて、空を眺めた。
 東の森の向こうが、突如パッと赤く燃えあがる。
 太陽の出る先触れが、森の木々の一本一本を黒く浮き立たせ、枝をゆらがせ、にじむよ
うな赤い炎を空に伸びあがらせている。
 朝のこの時間、穏やかな空気がルウはとても好きだった。
 ここちよい静寂の中に一人迎える朝の瞬間。仲間がいるのは心強いが、時には一人にな
りたいこともあるものだ。なにより、こんな時には―
 明けの明星がうっすらとかき消え、輝くようなまばゆい光が葉の間からもれ始めた時。
「ルウ様ーっ!」
 自分を呼ぶ声がして、ルウはびくっとふりかえった。
「良かった、姿がみあたらないから心配していたのよ。」
 リーシャが走ってきて、勢いよくルウに飛びつく。
「さ、宿に戻りましょう。早く朝食を終えないとーこの町も、まだまだ見るところはいっ
ぱいあってよ。」
 ルウは体の重さと、それ以上に重い自分の心に思わず少しよろめいた。
 そう、この無邪気でかわいらしい少女こそ、ルウの悪夢の根源なのだった。

「ビュウに会ってこっちへ帰ってくる時は、また立ち寄ってくれ。」
 ガロンがフェーンに剣を渡しながら言った。
「戻ってこられれば、な。」
「なあに、あんた達なら心配はいらないさ。俺の剣もあることだしー」
 ガロンはできたばかりの剣を叩き、
「ビュウがどんな奴なのか、俺も興味があるんだ。帰りにみやげ話でも聞かせてくれ。俺
は人と関わるのは苦手な方だが、あんたとはまだ話したいことがたくさんある。こんな充
実感を味わうのは久しぶりだ。」
 剣に魔法を吹きこんでいる間何を話していたものやら、ガロンとフェーンはすっかり意
気投合したようだった。ルウ達が今乗っている馬も、彼が紹介してくれた馬商から買った
ものだ。
 ガロンは鍔に刻まれた印を確認してから、ルウに二本目の剣を渡した。
 黒い鞘に収まったそれを、ルウはしっかりと腰にさした。今まで持っていたものより格
段に軽く、握りやすい。性能のほどは使ってみないことには分からないがー
 三本目の剣は、リュワルドのものだ。背には既に矢筒と、ガロンが修理してくれた槍を
持っている。剣は彼にとって補助的な役割にしかならないだろうが、リュワルドはガロン
が渡す剣を丁重に押しいただいた。
「ガロン殿、お心遣い、本当に感謝している。礼はいずれ―」
「礼を言うのはこっちの方さ。娘の命を助けてもらったんだからな。」
 ガロンはリュワルドをさえぎると、ふと目をそらした。
「マーナもな、可哀相な子なんだ。旅の途中で母親をなくしてから、墓のある場所から離
れたくない、とそのままずっと神父のところに世話になっている。仕事ばかりに熱心な父
親より母親のそばにいたかったんだろうな。アースター国がそんなことになっていると知
っていれば、もっと早くに呼び戻しておいたんだが―なあ、リーシャ。」
 いきなり呼ばれてリーシャは顔をあげた。
「普段はどうあれ、父親というのはやっぱり娘の身を案じるものだ。特にドレインは娘に
めろめろだったしな。無事に帰って、早く元気な顔を見せてやれよ。」
「はい…」
 姫もこの時ばかりは神妙な顔をしてうなずいた。
 最後にミュンが剣を受けとると、ルウ達はガロンに別れを告げた。放射状の石畳の上を、
南へ向かう通りへと馬を進めていく。
 広場を出ようとするところで、後ろから男が声をかけた。
「気をつけてな。おい、魔術師ー」
 ミュンがちらりとふりかえる。
「壊れた机の代金はつけにしておいてやるがな。あんたは当分そいつを使わない方がいい
ぞ。危ないったらありゃしない…」
「えっ?」
 ルウは驚いてふりかえった。
 ガロンは何を思い出したのかニヤニヤしている。ミュンは苦笑を浮かべて何も言わない。
 ガロンが店の中へ姿を消すと、ルウ達は強く馬の腹をけった。
 生きのいい馬達が、勢いよく駆けだす。
 一日の商売の準備を始めようとする町の中を一行は風をきって駆け抜けていった。
 ゴド森―ビュウの住家は、もう間もない。

                                  つづく
   

 

←Topへ戻る