聖樹伝説 第七話
紫水晶の谷間(一)(二)

 

                   (一)

 目をくらます白光が消えた後、ルウ達の耳に聞こえてきたのは、水の流れる音だった。
 光の残像の向こうから、ゆっくりと黒い岩肌が見えてくる。
 眼前にそそりたつ岸壁。
 崖のほうぼうに、紫色の水晶が密集して生えている。
 背後には小川が流れ、蛇行しながら岸の間へと吸い込まれていく。
 紫水晶は、渓谷に差し込む陽光を受けて、神秘的なきらめきを見せている。
「ここは…?」
「紫水晶の谷間よ。水晶山の、南西側のふもと。このまま川に沿ってくだっていけば、今
日中には街につける筈」
 ルウは背後をあおぎみた。
 崖の上に、白く輝く水晶山の頂が覗いていた。
「さあ、早く行きましょう。もたもたしていると、街に着く前に日がかげってしまうわ」
 城を抜け出せたのがよほどうれしいらしく、リーシャ姫は岩の上を、飛びはねるように
案内していった。
 ちょっとしたピクニック気分、あるいは冒険ごっこでもしているつもりなのだろう。
 小川の中に銀の小魚を見つけては、手を叩いて喜んでいる。
 ひんやりした風が吹き、頭上に細く伸びる空はどこまでも青い。
 こうしていると世界の異変などルウ達にも遠い世界の話にしか思えなくなってくる。
 ゆけどもゆけども景色は変わらず、次第に眠気に誘われてくる。
「水晶もこれだけあるといい加減見飽きるな。」
 フェーンが崖を眺めてぼやいた。
「街へついた途端、もったいなかったと言い出すのではないか?」
 リュワルドがからかうと、
「うむ、せっかくだから少しもらっていくか」
 フェーンは真面目な顔でうなずいて、つかつかと崖に歩みよった。
 剣を一閃、ごろりと水晶の結晶が転がり落ちる。
「そんな重い物をどうするつもりだ。わざわざ持ち歩くとはご苦労なことだ」
「何を言う、おぬしも手伝え。旅費の足しになるかもしれぬぞ」
 それからしばらく、穏やかな旅が続いた。
 途中いくつかの支流と合流し、川は少しずつ幅を広げてきた。
 両の崖も次第に低くなり、水晶もまばらになっていく。
 その崖の縁辺りへ、傾きかけた太陽がちょうど差しかかるころ。
 フェーンが不意に立ち止まって辺りを見渡した。
「どうかしたの?」
 ルウがつられて立ち止まる。
「いや…妙な気配を感じてな。」
「何かいるか?」
 辺りを見回すが、人影は見当たらない。
 視界の限り黒い崖、黒い岩場が続くばかりだ。
 とー
「みんな、伏せろっ!」
 ミュンが叫んだ。
 崖下の岩がグラリと揺れたかと思うと、突如、凄い勢いでルウ達めがけて飛んできた。
 とっさに伏せたルウの上をかすめ、反対側へ着地する。
 ルウはふりむき、息を飲んだ。
 黒いかたまりの中央から、赤い瞳がふたつ、ランランとルウ達をねめつけていた。
 岩にしか見えなかった体。だがよく見ればそれは、豹にも似たしなやかな四肢を持ち、
地面に身を沈めて、再び襲いかかろうと機を窺っているではないか。
 両脇から翼のようなものが広がった、と思うや、再びそれは跳躍した。
 フェーンの腰から銀光が走った。
 キン、と堅い音が響く。
 見かけのみならず強度も岩並みらしい。
 黒光りする鱗一枚ハラリと舞い落ちたきりで、魔物は向こうへ降り立った。
「なにものだ?」
 リュワルドが槍を構えた。
 ミュンが自分も杖を構えて、
「ブレンディ。ガーゴイルの亜種だ。これだけ魔力の強い魔物が入りこんできていると
なると…」
「弱点は?」
 フェーンが手短かに尋ねる。
「両眼の間。普通の剣では倒せぬが、傷口でもなければ魔法も効かぬ」
 魔物が再び、地を蹴った。
 無防備なセイラへ向かって、一直線に襲いかかる。
 ルウがすかさず前へ飛びだし、刃もこぼれよとばかり剣を叩きつけた。
 腕に衝撃が走り、思わず呻く。
 だが、鼻先に直撃をくらって、魔物の方も身をよじった。
 翼をはばたいて宙へ舞い上がり、狙い定めて急降下してくる。
 リュワルドの右手がブン、と音をたてた。
 槍が一条の光となって翼を射抜き、黒い羽をまきちらす。
 ブレンディは地に落ちてもんどりうった。
 リュワルドが駆け寄って、槍を引き抜こうとした途端、黒い影が閃いた。
 勢いよくはねとばされて、リュワルドは呻き声をあげた。
 鋭いカギ爪が腕に食い込んだらしい。赤い鮮血がしたたっている。
 翼を貫かれてなお、少しもこたえていないというのか。だがもう飛ぶことはできまい。
 ブレンディはすぐに起き上がり、槍を取り落としたリュワルドへ向かって飛びかかっ
た。
 どうにかかわしたその後ろにフェーンが立っている。
 トカゲにも似た口がくわっと開き、フェーンの左手を食いちぎるかに見えたその時ー
 銀光がブレンディの眉間にすい込まれた。
 左手の甲がブレンディの鼻面を押さえつけ、右手にした剣がその額を深々と刺し貫いて
いた。
 剣を引き抜き、フェーンは横へ飛びのいた。
 ブレンディの額から青い血が噴き出した。
「グギャアッ!」
 カエルをつぶしたような、薄気味悪い絶叫がほとばしった。
 ミュンの手には既に光の球が浮かんでいる。
「ケイフブ・イフヴ・ダラムーン!」
 光が矢となって飛び出した。
 青い血の源を、光条が叩きうつ。
 真っ赤な瞳がくわっと見開かれ、
「キエエエエッ!」
 断末魔の悲鳴が谷中に響きわたった。
 重苦しい音をたてて、ブレンディは地に崩れ落ちた。
 青黒い血溜まりがその足元へじわりと広がっていった。
 額からぶすぶすと、白い煙がたちのぼっている。最後の声を絞りだすようにして、ブレ
ンディは見開いた真っ赤な瞳をゆっくり閉じた。
「死んだか?…」
 リュワルドが尋ねる。
「うむ…」
 ミュンが死骸を確かめ、ようやく息をついたその時。
「キャアアアァッ!」
 別の悲鳴が空気をつんざいた。
 ルウがふりかえり、目を見張る。
 ハイベルグの森でルウ達を連れ去ったのと同じ、土色の肌、緑の髪を持つ男が数人、馬
上からルウ達を見下ろしていた。
 男に抱え上げられたリーシャが身をよじり、怒ったように男を叩いている。
「無礼な! 放しなさい!」
 男は一向に動ぜず、静かに告げた。
「この女はしばらく預かっておこう。我らの計画を邪魔せぬようにな」
「待てっ!」
 リュワルドが弓矢をつがえたが、傷口がこたえたものか、矢を放つまでに間ができた。
 男は身軽に身をかわし、馬の腹に蹴りを入れた。
 足場の悪さもものともせず、みるみるうちに遠ざかってゆく。
 リュワルドが再び弓矢をしぼり、腕をおろして、ため息をついた。
 岩が邪魔になって狙えない。徒歩では追いかけることもできぬだろう。
「やはり、連れてくるべきではなかったな」
 リュワルドは低くつぶやいた。
 フェーンが舌打ちして下流を見やり、
「放っておくわけにもゆくまい。なんとかして探し出さねば…」
「待って、その前に怪我を見せて」
 ルウがリュワルドの腕をとって傷口を確かめた。
 致命傷ではないが、爪が深くえぐったらしく、赤黒い血が筋になってしたたっている。
 ルウは浄化と止血の魔法を唱え、布で傷口をしっかりと縛った。
「町へ行ったらもう一度きちんと手当てしましょう」
「かたじけない。だが、このぐらいなら大丈夫だ。姫を助け出すのが先決だ」
 リュワルドが難しい顔になる。
「しかし、どこへ奴らが隠れたものか…」
 と、ルウの隣で様子を見ていたセイラが顔をあげた。
「私、お役にたてるかもしれません」
 腰の皮袋から小さな石をとりだす。
 石の端に小さな穴がつき、細い糸が通されていた。
「この石は、イメージしたもののところへ人を導いてくれます。王女様がどちらにいらっ
しゃるか、探し出せますわ」
「ならば今すぐにも頼む。奴らが油断しているうちに事を起こさねばな。」
 セイラはうなずき、糸の端をもって、口の中で何か小さくつぶやいた。
 石がゆらゆらと蠢きだし、ビクン、と、下流に向かって振れる。
 石の導く軌跡を追って、五人は川下へと歩きはじめた。

 リーシャが連れてこられたのは、そこから少し下流にあたる岩間に隠れた洞窟だった。
 男は岩影に馬をつなぎ、ランプを点して暗い穴の中へ入る。
 冷たい湿った空気の通路をしばらく進むと、カーブの向こうからオレンジ色の光が壁を
照らし出した。
 少し広くなった場所に、数人の男達が座っていた。皆、リーシャを捕らえた男と同じ、
褐色の肌、緑色の髪だ。
 洞窟の真ん中にテーブルがあり、その上のランプが小部屋の中を照らし出している。男
が手にしたそれとほとんど同じ大きさなのに、どんな魔法によるものかこちらの方が格段
に明るい。
「やつらの仲間を捕らえました」
 報告する男の言葉には、軽いなまりがあった。
 リーシャは後ろ手に縄でしばられたまま、テーブルの前に押し出された。
 向かいに座っていた男が、じっとリーシャの顔を見つめた。
 まだ若いが、精悍な顔にはどこか堂々とした威厳がある。
 鋭い眼光、ひきしまった顔。ここの男達のリーダーだろう。
 男は、少し奇妙な顔をしてリーシャに尋ねた。
「お前は…? 名はなんという。」
「名前を聞く時は、自分から名乗るのが礼儀ってものでしょう。」
 リーシャはきりっとした声で言い返した。
 この状況にあってなお、声も震えていないのは見上げた度胸だ。
 いや、それも無知のなせるわざか。なにしろ今まで回りにいたのは家臣ばかり、町に出
たこともほんの数度しかないのである。
「わが名はカリス。このオンディー族を束ねる長だ」
「私はリーシャ・シャーライン。レニミト王国の、ドレイン王の娘よ」
「レニミト王国の姫とな」
 カリスは思案するように言った。
「ゴド森へと向かうあの者達は、アースター王国からの使いのはず。出発当時は四人だっ
た。なぜ途中から旅に加わった? レニミト王国も、一枚噛んでいるのか…?」
 と言われても、リーシャには何を聞かれているのかよく分からない。
 答える代わりに姫は、きつい視線で彼を睨みつけた。
「貴方こそ、なぜこんなことをするの? 私をどうする気?」
「傷つけるつもりはない」
 男は静かな声でいった。
「ただ我々の計画を邪魔しないでほしいだけのこと。大人しくしていれば、いずれ帰して
やる」
「妨害されたのはこっちの方だわ」
 リーシャは声を荒げた。
「計画って何? いったい何を企んでいるのよ!」
「お前が知る必要はない。計画が成就し、奴をおびきよせれば…」
「ルウ様に何かするつもりなのね!」
 リーシャが叫んだ途端、バチッと火花が飛び散った。
 両手を縛っていた縄が燃えあがり、後ろで縄を押さえていた男が苦痛に顔を歪めて手を
放す。
「インギーナ、デラフム、アイネケス…」
 リーシャが呪文をつぶやきながら、印章をかたどった手を前へまわした。
 小さな炎が手の上で燃えていた。
「デルムス・ナ・ラヴノゥール!」
 叫んで腕を突き出すと、炎のかたまりが男達の間へ向かって飛んだ。
 胸を直撃された男がよろめき倒れ、火を消そうとあわてて床を転げまわる。
 ミュンに比べれば数倍小さいが、それでも魔法の炎だ。一度ついてしまえば、そう簡単
には消えない。
「甘く見ると、痛い目に遭うわよ!」
 狼狽する男達に、姫は調子にのって叫んだ。
 もう一度炎を飛ばそうと、手を上へふりあげる。
「捕らえろ!」
 男達が一斉にとびかかってきた。
「キャアッ!」
 炎が天井にぶつかり、じゅっと音をたてて消えた。
 たちまち、数人の男がリーシャの体をとりおさえる。
 身をよじって逃れようとするが、腕も体も屈強な男達に押さえつけられ、もはや魔法を
使うこともできない。
「放して! 放しなさい!」
 身悶えしながら叫ぶリーシャの首筋に、ひんやりした鋭い刃がピタリと触れた。
 さすがの彼女も息をのみ、身をかたくして立ちすくむ。
「おとなしくしていろと言ったはずだ」
 ナイフを手にした頭領が、低い声でいった。
「生かして帰すといったが、お前の命は我々の手の中にあることを忘れるな。あまり手間
をかけさせるようなら、こちらにも考えがある」
 冷え冷えとした戦慄がリーシャの背筋を駆け抜けた。
 本気だ。初めて“外”の恐ろしさが身にしみる。
 冒険ごっこでも、ピクニックでもないのだ。逆らえば命はない。
 男が腕をひねりあげ、体に縄を巻きつけようとした時、洞窟の入り口から馬のいななく
声が聞こえた。
「何者だっ!」
 カリスが通路を睨みつける。
 足音が近づき、剣を手にしたルウ達が通路から飛び出した。
「ルウ様!」
「貴様っ。どうやってこの場所を…」
 カリスが叫び、抜刀して打ちかかる。
 男達も剣を抜いて加勢にかかり、狭い洞窟はたちまち乱戦に陥った。
 刃をうちあわせる音が響き、悲鳴が交錯する。
 ルウの剣を受け止めた男が、支えきれずにテーブルの上へ倒れこんだ。
 テーブルが音をたててひっくりかえり、ランプの光がふっとかき消えた。
 洞窟の中は真っ暗になった。
「どこだっ!」
「違う、俺だ。やめろやめろ!」
 暗闇の中は混乱に陥った。
 ー今だわ!
 押さえていた男の数が減ったのを見計らって、姫は思いきり足をけりあげた。一瞬力の
弱まった腕にかみつき、ふりはらって素早く駆け出す。
 男達の体に何度もぶつかり、剣風が肌をかすめるのに冷や冷やしながら人の間をすりぬ
けた。
 攻撃の巻き添えをさけてしゃがんだとたん、何か堅いものにぶつかった。
 さっきのテーブルが横倒しになっているのだ。
 そっと机を動かすと、小さな光がほの輝いて見える。
 指で軽く触れてみた。さっき消えたランプの中から光る粉のようなものがこぼれだして
いるらしい。
 ーそうか! これがランプの光を吸収して…
 リーシャは粉を手にし、壁を探した。岩壁をつたい、出口を探す。
 ふっと手が空をきった。穴だ!
 後ろではまだ闘いが続いている。リーシャを探し、怒号する声も聞こえる。
 ーどうか無事でありますように。
 リーシャは拳を握りしめ、暗い通路を走り出した。

(二)

 ルウは闇の中、手探りで壁を探しながら必死に剣を闘わせていた。
 漆を塗りこめたような、というのがふさわしい闇である。風の動き、音を頼りになんと
か攻撃をかわしてきたものの、果たしていつまで持つことか。
 全身の神経を研ぎ澄まし、敵の気配を探る。
 次にどこから刃が襲ってくるのか。
 やみくもに剣をふりまわせば、仲間を殺してしまいかねない。
 少しずつ後じさりし、洞窟の壁を背に立った。
 これで背後からの攻撃だけは防げる。
 あとは出口を探さねば。
 暗闇の中に目を走らせた時、ふと、少し先に青白い光が輝いているのに気づいた。
 光は細い筋状に縦にのび、上に行くほど少しずつ暗くなっている。
 不思議に思って近づいてみると、そこに細い通路があった。光の筋は、通路の中央にま
かれた細かな粉によるものだ。
 ルウ達が入ってきた通路とは違う。おそらく、ちょうど反対側あたりだろう。
 かき乱されていないところを見ると、粉はつい最近まかれたもののようだった。
 助けの手か? 罠なのか?
 一瞬ためらったが、ルウはすぐに光を伝って歩きはじめた。
 通路は曲がりくねりながら、少しずつ上にのぼっていく。
 やがて前方から光がさし、ルウはまぶしさに目を細めた。
 まばたきして明るさに目を慣らしながら、ゆっくり進む。洞穴の出口だ。
 洞窟を抜け、光の下に歩み出て、ルウははっと息をのんだ。
 リーシャが馬の背にのせられて、縄でくくりつけられようとしているところだ。
「ルウ様っ!」
 リーシャの声に、馬の前の男がふりかえった。
 見覚えがある。
 森でルウ達を捕らえた、あの男!
「姫を放せっ!」
 ルウは叫び、男に向かって切りかかった。
 鋭い音が迎え撃ち、剣が横に払われた。
 身をかがめてよけ、足元に剣をつきだすと、男は横っ飛びに跳んだ。
 態勢を立て直す間もなく、頭上から剣がふってくる。ルウは地面を転がり、素早く起き
上がった。
 剣をかまえて向かいあう。
「いい腕だ。」
 男が言った。
「なればこそ、お前達と直接剣を交えることは避けていた。だが、一対一ならば…」
 男の足が地を蹴った。二メートルの間合いが一瞬にして縮み、激しい勢いで打ちおろさ
れた剣を、ルウはやっとのことで受け止めた。
 かみあった剣に、グイと力が込められる。渾身の力をこめて押し戻し、ルウは後ろに飛
びすさった。
 休む暇を与えず、再び剣が襲ってくる。
 早い。
 受けるだけでも精一杯だ。
 伊達に頭領にはなっていない。今まで会った男達とは格が違う。
 何度目かの打撃を受けとめたとき、ルウの剣がパン、という音をたてた。銀色の剣先が
横へすっとび、地面に深々とつきささる。
 ルウは息をのんで、手の中の折れた剣を見つめた。
 その頭上へ、打ちおろされる剣。
「ルウ様!」
 リーシャの悲鳴が響いた。
 銀の軌跡が額へ落ち、頭がまっぷたつに砕かれようとするまさにその瞬間、
 銀光が飛び、男はルウから飛びすさった。
 男達の使っていたあの矢だ。
 厳しい目をして、男はそれの飛んできた方をふりかえった。
「貴様っ! あの時の…」
 男が呻いた。
 洞窟の入り口に、フェーンが立っていた。手にしていた弓を打ち捨て、剣を抜いて近づ
いてくる。
「久しぶりだな。」
 言いながら、フェーンはスッと剣を持ち上げた。
「こんなところまで追いかけてくるとは、ご苦労なことだ。こっちにしてみれば、大迷惑
だがな。」
 男がフェーンの方に向きなおる。
「私とて、あんなせこい攻撃を重ねたくなどないわ。お前達さえ余計なことをしないでく
れれば…」
 剣を構え、引き寄せて、
「貴様とは剣を交えたくなかった。あの時の一撃で、強さのほどは分かっている。だが、
森では油断していたし、まさか飛び込んできたのが一騎きりとは思いもよらなかった。今
度はそう簡単にはゆかぬ。」
 男が地を蹴り、剣を打ちおろした。フェーンの剣が迎え撃ち、火花が飛び散らんばかり
に激しい音をたててぶつかりあう。
 数度、光が交錯し、剣ががっちり噛みあわさった。手に力を加えながら、男が低い声で
尋ねた。
「お前、名はなんという? 私はカリス。この男達の長だ。」
「俺はフェーン・ファール。よろしく頼む。…といっても、これ以上つけまわされるのは
御免こうむりたいがな。」
 フェーンがふっと剣の力をゆるめた。カリスの剣がそのまま切り込もうとするのを身を
そらして避け、足元を払う。
 カリスが体勢を崩しかけたところへ、剣をすかさず打ちこんだ。
 それでもカリスはどうにか打ち返し、二人は遠くへ飛びのいた。
 ルウは隙を狙ってリーシャの方へ走りよった。縄を解き、馬からおろす。
「ありがとう、ルウ様!」
「わっ…ちょっ…」
 姫に抱きつかれて困惑しているルウを横目に見ながら、フェーンが静かに尋ねた。
「人質をとっておきながら、なぜ利用しない? 首に剣をつきつけて、我々を脅すことも
できたろうに。」
 カリスが唇をゆがめて笑う。
「お前達はよほど我々を野蛮人だと思いたいらしいな。我らにも道義はある。女を盾に勝
とうとするほど、見苦しい真似はせぬ!」
 バッと跳躍して、剣を打ちおろす。フェーンは受けながら、
「見上げた精神だ。この辺の王族よりよっぽどまともかもしれぬな。」
 嫌味でもないように笑い、
「だが、そろそろ決着をつけなければな。洞窟の様子も気になる。」
 いきなり凄まじい力が剣にこめられ、カリスはよろめいた。間髪いれず鋭い攻撃が襲い
かかり、ようやくのことで受けとめる。
 四方から八方から、次々に剣光が飛んできた。いくつかが体をかすめ、なんとか身をか
わすうち、カリスは洞窟の岩場まで追いつめられた。もうこれ以上下がれない。
 ぐっと踏みとどまって、カリスはタイミングを見計らった。隙を見て思いきり剣を突き
出す。
 刃がフェーンの体を刺し貫いたように見えて、ルウはあっと声をあげた。がー、
 次の瞬間、もうひとつの光が目にも止まらぬ速さで閃き、カリスの腹へ吸い込まれてい
た。
「うっ……」
 苦鳴がもれた。腹と口から赤い鮮血があふれ出す。
 脇にはさんだカリスの剣と、血に染まる自分の剣をフェーンは同時に引き抜いた。カリ
スが地面にどっと倒れる。
 洞窟の奥から声が聞こえてきた。緑髪の男が一人、姿を現し、はっと立ちすくむ。
「カリス様…!」
 男はひざまづき、赤く染まった自分の頭領を助けおこした。後ろからも数人、男達が姿
を現し、首領をかばうようにフェーンに刃を向ける。
「カリス様を、早く…!」
 男の一人がカリスを抱き上げて馬にまたがり、勢いよく腹を蹴った。残りの男が剣をふ
りあげてフェーンに打ちかかる。
 五合と立ちあえるものはいなかった。
 三人の男が、次々に地へ倒れ伏した。
 四人目の男にかかった時、残りの男が大声で退却を命じた。
 男達が馬に飛びのり、その場から逃げ去っていく。騎影はまばらな木の間を抜け、たち
まち視界の向こうへ消えた。
「やれやれ。」
 遠ざかっていく影を見送って、フェーンはため息をついた。
「この場はなんとか切り抜けたが、問題はいまだ解決せず、か。」
 ルウ達の方をふりかえる。
「ともあれ、二人とも無事で良かった。怪我はないか?」
 剣を鞘におさめ、ルウ達に近づいてくると、息をのんで戦いを見守っていたルウはよう
やくお礼をいった。
「どうもありがとう。一時はどうなることかと思ったけど、助かった。」
 あんな戦いを見るのは初めてだった。
 二人とも、レベルが違いすぎる。
 森でフェーンがルウ達を助けに来た時、たった一人でよくもここまでと感心したものだ
が、この様子では無理もない。そこらの兵士が束になってかかったところでかすめること
すらできぬだろう。
 ルウの腕の中でじっと戦いを見ていたリーシャが、気をとりなおしてにっこり笑った。
「二人とも、かっこよかったわ。まるで…あ!」
 いいかけて、洞窟を指差す。
 かすかに足音が聞こえ、洞窟の入り口へみっつの影が姿を現した。
 緊張してふりむいたルウは、三人の姿を認めるとほっとして叫んだ。
「リュワルド…ミュン、セイラ! みんな無事だったのか。」
 生きている男達はもう皆、どこかへ逃げ散ってしまっただろう。
 落ち着いていて、後ろを気にする様子もない。
「遅いではないか。何をしていた?」
「探したぞ、フェーン。」
 ミュンは苦笑した。
「光の魔法で目くらましをかけたが、三人も行方不明とは。ペルンの粉がまかれていなけ
れば、危うくはぐれるところだった。あれは誰のアイディアだ?」
「私です。」
 リーシャが得意げにあごをつきだす。
「ああしておけば、誰かが後をついてきてくれると思って…敵も連れてきてしまったけれ
ど。」
 舌を出す姫に、ミュンはやや感心したように言った。
「気が利くな。ランプの光を増幅していたペルンの粉を道標に使うとは…」
 フェーンが辺りを見回した。
「ところでここはどの辺だ? 洞窟へ引き返した方がいいのだろうか?」
「水晶山から西南に出たところでしょう。このまま南下すれば、ゴド森へ出られると思い
ますわ。」
 セイラの言葉に、リーシャが付け加えた。
「紫水晶の谷を下っていけば、ゴド森に行くには少し西へ戻ることになるし、見張りの兵
士にあう可能性もあるわ。かえって近道になったかもしれない。」
「例の男達にまた会う危険がないとは言えぬが…谷の方にも、残党はいるしな。なんとか
今日中に町まで行こう。」
 ミュンが空を見上げた。
 もう日はだいぶ傾いている。あと2、3時間もすればすっかり暗くなってしまうだろう。
 一行は木のまばらに生える岩場を、南へ向かって歩き始めた。

                                  つづく

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