聖樹伝説 第六話
輝ける山 (一)(二)

 

                   (一)

 さわやかな風に頬をなでられ、ルウは草の息吹で目を覚ました。
 そっと目を開けたルウを迎えたのは、まばゆいほどの青空だ。
 今度の旅で初めての野宿。かわるがわるの番をしながらの不安を抱えた夜だったが、幸
い昨晩は、男達も魔物も近づいてはこなかった。
 ルウは起き上がり、荷物の中をまさぐった。乾燥肉がいくらか、それに水とパンがたっ
ぷり入っている。
 野草を少し見つければ、美味しいスープができるだろう。まずは薪集めだ。
 立ち上がりかけると、セイラが目を覚まし、ついで、リュワルドとミュンが起き上がっ
た。
 火の支度は男達にまかせて、ルウはセイラと野草を探しにいった。
 露にぬれた草原は、いい香りを放っていた。まばらな立ち木の間には、食用になる草葉
がいっぱい生えている。
 占い師をしているだけあって、セイラはさすがに植物にくわしかった。
 ルウが見たこともないような草を摘みながら説明してくれる。
「こちらのタイムはスープに入れると肉の臭みを消してくれます。こちらがセージ。乾燥
させるともっといい香りになるんですが…少し持っていきましょうか」
「よく知ってるなぁ」
「亡くなった母から教わりました」
「お母さん、亡くなられたの?」
「ええ、今年の初めのことです…」
 セイラが長い睫を伏せる。
 淋しげなセイラの表情を、ルウは複雑な気分で眺めた。
 可哀想に、と思う反面、母の思い出を懐かしめるセイラが羨ましくもあった。自分には、
両親の記憶はない。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね」
 セイラが顔をあげてルウを見た。
「まだお名前もうかがっておりませんわ」
「ほんと。ごたごたですっかり忘れてたね。私はルウ・メニ。アースター国の小さな村で
生まれたの。他の仲間は、戻ってから紹介しようか」
 みんなのところに戻ると、鍋が火にかけられて白い煙が立ち上ぼっていた。
 フェーンはあいかわらずいびきをかいて眠っている。
「起こしますか?」
「昨日あれだけ活躍したんだから、もう少し寝かせといてあげたら。朝食ができるまで、
まだしばらくかかるでしょう」
 ルウはスープが煮える間、セイラに仲間を紹介しはじめた。
 ルウは最後にミュンをさししめした。
「……ミュンは王国きっての魔法使い。とんでもない魔力の持ち主」
「いや、ルウ殿…」
 ミュンが謙遜しかけるのにも構わず、
「ドゥームが消し飛んだ時の光景、セイラにも見せたかった。家の一軒や二軒、すぐに吹
きとばしちゃうから、怒らせないようにね」
 苦笑するミュンを見てにこりと笑うと、ルウはセイラに向き直った。
「私達、アースター国王の命令で南の森へ向かうところなんだ。あなたは?」
「私、兄を探しているんです」
「お兄さん?」
「ええ…私は母と共に村から離れた森の中で二人暮しを続けてきました。ところがある日、
隣村の祈祷の仕事から戻ってみると、家はめちゃくちゃに荒らされてひどいありさまになっ
ていたのです。母の姿はなく、残されたのはベッドからドアへ点々と滴る血痕だけ…」
「なんてこと」
 ルウは言葉を失った。
「犯人は分かったの?」
「占いで調べたのですが、人の姿は浮かび上がりませんでした。物盗りとも思えません。
何しろ家の荒らされ方はただならない様子でしたから。それにその辺り一帯の木々もなぎ
倒され、小鳥や森の生き物達の姿も消えていたのです。それはまるで…」
「魔物に襲われたようだった」
「どうしてそれを?」
 セイラが驚いたように問い返した。
 ルウはしばしためらってから、各地に魔物が出没し始めていることを話した。
 セイラの瞳がかげった。
「そうだったのですか。では、あの森だけではなかったのですね」
「この世界に大変なことが起きている。私達はその理由をつきとめるために旅を続けてい
るんだ」
 ルウは改めて任務の重さを噛みしめ、深刻になりすぎた話題を変えた。
「ところで、お兄さんは、どこにいるの?」
「それが、はっきりとは分からないのです」
 セイラは少し迷った風にしてから、思い切ったように尋ねた。
「バーン様をご存じですか?」
「えっ? バーンって、あの勇者バーン? バーン・シャルのこと?」
 意外な名前にルウは驚いた。
 バーン・シャルといえば生まれたばかりの子供でもない限りまず知らぬ者はあるまい。
ハイベルグ国の伯爵家の血をひく勇者だ。
 この世をすくった魔法使いメンティス、戦乱の時代に鬼神として恐れられた槍の使い手
ロー・デール、唯一聖樹の結界の及ばない海の町で海竜が出ると大騒ぎになった際、たっ
た一人で七つも頭のある大海蛇を打ち倒した僧侶モン・クメール。そういった歴々たる伝
説の英雄達に名を連ねるであろうといわれた名剣士である。
 ハイベルグが隣国のカーネルと小競り合いを続けてきたが、大戦と呼ばれる戦がいくつ
かあった。そのうちの、マームの原の戦いと呼ばれるそれが、彼の初舞台だ。
 大軍をひきつれた両軍は、マームの原で衝突した。戦はまもなく乱戦となり、どちらが
勝つともしれなかったが、そんな混乱の中でなんとハイベルグ国王の第一王子が敵の一隊
にさらわれてしまった。
 王以下の兵士は青ざめた。この原を手渡しても、大切な跡取りを見殺しにするわけには
いくまい、いや、莫大な身の代金を払って…などとただただ将らが狼狽する中、バーンは
一人で敵陣に切り込んだ。
 そして、王子をとりかえしたばかりではない、カーネル国王の首と引き換えに、兵を引
きあげることを約束させた。
 実質的に一人で戦いを勝利に導いたのだ。
 それからの戦につぐ戦、ほんの短い間に彼の手柄は数えきれぬほどにのぼる。彼の馬上
の勇姿を見ると、敵は縮み上がり、味方は奮い立った。だが騎士のみならず国中の民の間
にも彼の名を広く知らしめたのはそれから数年後の一件だった。
 当時、ハイベルグ近隣の国々を盗賊の一団が荒らし回っていた。中でももっともたちが
悪く、盗賊達の頂点に位置していたのが『ロベイン砦の盗賊達』。強力な組織、部隊をも
ち、山奥の古城にたてこもる彼らを何者もとどめることはできなかった。彼らはわがもの
顔に町や街道を荒らし回り、一人旅はもちろん、町から町への食物や金品の輸送もままな
らないありさまだったのだ。
 王は何度となく討伐隊を出したが、難攻不落といわれた故ロベイン伯爵の城にたてこも
る彼らはいかな大軍をもって攻め立てようとも落とすことはできなかった。
 そこへ、成敗役をかってでたのがバーン・シャルだ。彼はたった一人で城にのりこみ、
盗賊をほとんど壊滅状態に陥らしめた。頭領は死に、生き残った部下達は各地へ逃げ散っ
た。
『三百人の兵をもってしても落とせなかった城をたった一人で…!』
 噂はたちまち諸国をかけめぐったが、彼の消息はそのままとだえた。
 死んだのか? 殺されたのか? だが、彼がまだ生きていると信じる者は多い。
 盗賊の頭領を殺した後、彼から一通の手紙が王へ届いた、といわれていた。その内容は
さだかではないが、人々はさまざまな憶測をかわしあった。
 いわく、無駄な戦をやめるよう王を諫めてあったーいわく、剣の道を極めるため山中に
ひきこもったのだーまたいわく、名誉や富に溺れるのを好まず、自ら姿を消した…
 真相が分からぬだけにかなりいい加減な噂も飛びかっていたが、民にとって彼が偉大な
功績を残したことに間違いはない。だが、彼は生きているのか? どこにいるのか?
「バーン殿が、おぬしの兄君なのか?」
 ミュンが驚いて尋ねると、セイラは少し恥じらいを見せて、弁解するように言った。
「兄、といっても腹違いの兄です。バーン様のお父上のメリオ・シャル伯爵が地方を旅し
ていた際、母の家で一時を共にしたことがありました。ほんの短い間でしたが、その間に
母は私を身籠もったのです。伯爵は国へ戻っていらしたので、そのことはご存じないでしょ
う。母は女手一つで私をここまで育てあげてくれました…」
 セイラはそっと顔を伏せた。
「でもその母も亡くなって…私には他に身寄りはありません。そこで、思い出したのが母
がいつも口にしていた言葉。父なし子といわれるが、お前は伯爵の血をひいているー半分
は、あの勇者バーン・シャルと同じ血をひいているのだと…。身のほど知らずと思われる
かもしれませんが、私にはバーン様を頼るほかにどうしていいか分かりません。お抱えの
占い師でも、女中でもいい、なんとか屋敷に置いていただけないかと…」
「だが、このまま進めばもうすぐ国境に出る。シャル家を訪ねるのであれば、だいぶ戻る
ことになると思うが」
 ミュンがいうと、セイラは首を横にふった。
「今、屋敷に主人はおられません。メリオ様はもう他界され、その弟君が領地を治めてこ
られたそうですが、それも先月、亡くなられたとのこと。留守の召使に頼みこんで、私一
人が図々しく家にあがりこむわけにもまいりません。そこでバーン様の行方を占ってみた
ところ、あの方はまだ生きておられ、南へゆけばお会いできるだろう、との結果が出たの
です。こうして一人、旅に出たのはそういうわけです」
「このまま街道を進むなら、しばらく一緒に行きましょう。さっきの男達もいつまた襲っ
てくるか分からないし…ね、いいでしょう?」
 ルウの言葉にミュンがうなずいた。
「女の一人旅では危険だろう。占い師がいてくれれば我々としても心強い。バーン殿にお
会いできれば、助力を頼むことができれやもしれぬ。セイラ殿さえよろしければ…」
 セイラはうれしそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。願ってもございませんわ。本当は、一人でとても不安だったの
です。お役にたてるか分かりませんが、できる限りのことはさせていただきます」
 やがて、朝食のいい香りが辺りに立ち上ぼりはじめた。
 セイラがスープをみんなにふるまい、眠りこけていたフェーンものそのそと起きてくる。
 腹を満たすうち、山の稜線から顔を出した日が少しずつ天空にのぼってきた。陽はさん
さんと降りそそぎ、草葉の露を乾かし始める。
「暑いな」
 ミュンがつぶやき、今まで片時も外さなかったマントを脱いだ。
 不意にあらわされた彼の素顔に、一行は息を呑んだ。
 灰色のフードの下から現れたのは、大理石に刻まれた美神を思わせる白皙の美貌だった。
 年齢は二十代後半、を上回るまい。
 流れるような淡い金色の髪が頬の両側を縁取り、瞳は森の奥の湖のような深い藍色をし
ている。
 その瞳に魔術師にふさわしい思慮の光がなければ、好色の美男子として知られるダハト
神のモデルになれたかもしれぬ。
「なんだ、どうかしたのか?」
 まじまじと自分を見つめる視線に気づき、ミュンが怪訝そうに尋ねた。
「いや…思っていたのとちょっと…」
 ルウはどもったが、フェーンの方は
「あの辛気臭い男がな」
 歯に衣着せぬ感想を述べて、
「なるほど。これから顔や見かけで性格を判断するのはやめよう」
 一人納得している。
 リュワルドがしばらく言葉を探してから尋ねた。
「今まで食事の時すら部屋にひきこもって顔を見せなかったではないか。なぜまた気が変
わったのだ?」
「裏切り者と共に囲む鍋はなしと導師ザッハールも書いている。私とて信用できぬ者と顔
見知りにはなりたくない。だが疑いが晴れた以上、気遣いも無用と思ってな。何か問題で
も?」
 ミュンは相変わらず無愛想に問い返す。
 セイラはただ一人、訳が分からぬ風でみんなを見回している。
 一同の狼狽ぶりに、ルウは思わず吹き出した。
「とにかく、早く食べてしまいしょう。せっかくのごちそうが冷めてしまう。」
 ルウはスープ皿をとりあげ、早速自分の言ったことを実行にうつしはじめた。

 朝食を終えると、ルウ達は再び南へ向けて歩み始めた。
 原を過ぎ、土ぼこりの立つ乾いた道を歩き続けると、やがて行く手に小さな山が見えて
きた。
 高さはせいぜい三、四百メートルと見えるが、左右に長く裾をひいて行く手をふさぐよ
うに横たわっている。
 歩くにつれ、山肌が白くきらめくのが目についた。雪ではない。もっと透明で強烈な光
だ。
「あの光、なんだろう」
 ルウが思わずつぶやくと、セイラが隣から説明した。
「水晶ですわ」
「えっ? それじゃああれがマーナが話してくれた…」
 ルウは驚いて行く手を見つめた。
 グリフィンから助け出した少女は、南に下ると水晶山という山があると話してくれた。
 水晶山というのは山の呼び名に過ぎぬと思っていたが、本当に水晶でできていたとは。
「あの山の六割近くが純粋な水晶でできていると聞きます。山肌には六角形の結晶が立
ち並び、天然の要壁となっているそうですわ」
 更に近づいていくと、結晶にびっしりと覆われた岩肌が、次第にはっきり見えてきた。
 道の行く手に、巨大な鉄の門がある。
 ここを境にして、ハイベルグ王国は終わり、レニミト王国が始まるのだ。
 ハイベルグ国とは国交がないため、検問は厳しそうだ。
「確か通行証があったな」
 リュワルドに促され、荷物を探りかけたミュンが、ふと思い出したように手をとめた。
「いや……ない」
「ない?」
「川に落とされた時、濁流に巻き込まれて流されてしまった。私の荷と一緒にな」
「流された、だと?」
 フェーンが呆れたように叫んで天をあおいだ。
「気分しだいで旅人の首を刎ねる国王だというではないか。ここまできてそんなつまらぬ
ことで命を落とすのは勘弁願いたいぞ」
「確かに手ぶらであの門をくぐり抜けるのは難しそうだが・・・」
 リュワルドがたくましい腕を組んだ。
「しかし、他に迂回路があるだろうか。今からではかなり遠回りになるだろう?」
「西のカーネル王国からも南へ抜けられますが、ハイベルグと争っていた仲ですからまた
そこでも検問があるでしょう。あるいは、レビュ川を渡ってずっと東へ行けば、道なき森
を進むことになりますが…」
 セイラがみんなを窺うように言葉をきる。
「番兵を説得するしかあるまい」
 ミュンが言い、山の入り口に向かって馬を進めていった。

 数時間後、ルウ達はさんざん苦労しながら水晶の立ち並ぶ岩場をのぼっていた。
「くそ! あの番兵め…」
 フェーンがいまいましげにつぶやく。
「通行証がないからといって、あの扱いようはなんだ。あれしきの人数なら、いっそのこ
と実力でも突破できたはず…」
「いい加減にしてくれぬか、フェーン。その台詞は聞き飽きた」
 高さが三メートルはあろうかという結晶を攻略しようと苦心惨憺しながらミュンが言っ
た。
 フェーンがすかさず言い返す。
「元はといえば、おぬしが悪いのだぞ。川であの通行証をなくしさえしなければ、こんな
苦労はせぬものを」
「では一度、洪水後の川につきおとしてさしあげようか。溺れかけながら何ができるか、
よく分かろうと言うものよ」
「いや結構。おおかた見当はつく。しっかり握っていられるのは、自分の剣と杖だけとい
うことだろう」
 二人の言い合いを聞いていたルウは、思わず吹き出した。
 ミュンがこれほどおしゃべりだとは思わなかった。これも打ち解けた証拠ではあるのだ
ろう。口論をしてはいても、以前のような毒はない。
 それにしてもこの道のりがこれほど大変とは、ルウも思ってもみなかった。
 数十センチから数メートルに及ぶ水晶の六角柱が、見渡す限り広がっている。
 それが思い思いの方向を向き、少し気を許せば、結晶の隙間に足をとられてくじきそう
だ。
 幻惑するような虹色の輝きも、こんな状況では山登りの邪魔にしかならない。
 わずか二、三百メートルの山を登るのに、この分ではどれほどの時間がかかることか。
「おぬしのお陰でせっかく奪った馬も無駄になった。この調子では水晶を寝床に夜を明か
すことに…おっ? 道だ!」
 先頭にいたフェーンが歓声をあげた。
 ルウは近くへ寄って、水晶の合間から下を眺めおろした。
 きりたってVの字になった崖の底に、平らにならされた山道が切り開かれている。
「番兵の姿はないか?」
 リュワルドが声をかけた。
「大丈夫だ。それより、かなり足場が悪い。落ちぬよう気をつけねばな」
 いいながら、フェーンはもう崖を降りはじめた。
 ルウはフェーンについて、きりたった崖を用心深くくだっていった。
 竜の頭のような形をした岩に足をかけ、平な棚へ身をうつす。さらに下へー
 真ん中あたりまで降りてきた時、ルウは少しとまどった。次の足場に、もう少しのとこ
ろで届かない。
 何度か試してみてからあきらめて、反対側に生えていた水晶の結晶へ足をのばした。
 ところが手を離した途端、結晶が音をたてて割れた。
「きゃあっ!」
 でこぼこした崖を滑りおち、勢いよく地面へ尻餅をつく。
「おい、大丈夫か?!」
 フェーンがあわてて崖から飛びおり、ルウのそばへ走りよってきた。
「ありがとう…もう、あんなに簡単に割れるなんて!」
 ルウは崖の上の水晶を恨みがましく睨みつけた。
 一見堅い水晶がこれほど脆いとは知らなかった。確かにこれは天然の要害と言えそうだ。
 それから山頂へ向けて上っていくと、やがて両の崖がとぎれた。
 切り開かれて広場のようになった空間が目の前に広がっていた。
 中央に巨大な城が聳えている。
 ただの城ではない。城壁も尖塔も、岩の変わりに切り出して水晶で作られた、ガラス細
工のような城だった。
 周囲にはぼんやりとしたどこか不思議な白光が漂い、妖精王の居城か、はたまた精霊の
神殿かとでもいった様相を呈している。
 城壁には例のグエッグの紋章旗がたなびいて、こればかりは少々趣味を疑うが、幻想的
なお膳立てのできた舞台ではさほどその趣をそこなうものでもない。
 おとぎ話の中から飛び出したかのような光景に、ルウ達はしばし目を奪われて立ちすく
んだ。
「なんてきれいなんだろう」
 ルウが感嘆の吐息を漏らすと、セイラがあいづちを打った。
「本当に。噂には聞いたことがありますが、これほどのものとは思いませんでした」
「宝石にご執心のご婦人方にはご好評だろうが…」
 フェーンが首を傾げた。
「さっき見た通り、水晶はずいぶん脆いものだろう。それでよく城が作れるものだな」
 ミュンが答えて、
「魔力で支えておるのだろう。だが、これほど巨大な建築物を支えるとは、いったいどん
な魔法なのか…」
 リュワルドが厳しい目で辺りを見渡した。
「下りの道はおそらく城の裏側か。兵士に見つからずに山の向こうへ下りられるだろうか」
 言いかけて、ふと言葉をきる。
「いや、もはや手遅れだな」
 ルウ達は初めて、岩影から自分達を狙う銀の矢があるのに気づいた。
 左手に、前方に、いや、よく見れば回り中をとり囲んでルウ達の出方をうかがっている
ではないか。
 前方の兵士が弓を槍に持ち替えて、ゆっくりとルウ達に近づいてきた。
「待ってくれ、別に害をなしにきた訳ではない」
 歩みよって釈明しようとするフェーンに、槍で追い立てる仕草をする。
「弁明は王の前でするがよい。行け」
 抵抗すれば、話はいっそうややこしくなりそうだった。
 ルウ達は兵に連れられてメノウ製の階段をのぼり、水晶の柱の間へと歩を進めた。

(二)

 ほの白く輝く水晶柱が樹木のように林立する中を、ルウ達は驚愕の思いで歩いていった。
 柱の間には伝説の光景を描いたタペストリが、間仕切りのようにかけられている。
 描かれているのはユニコーン、ニンフ、ドラゴンといった伝説の生き物達だ。通りゆく
者に、おとぎばなしの世界にさまよいこんだかのような感覚を起こさせる。
 柱の林が不意にとぎれたと思うと、ルウ達は大広間に立っていた。
 吹き抜けになった天井を通して、陽光がぼんやりと差し込んでくる。大理石の床の中央
に赤い絨毯が敷かれ、前方の階段へまっすぐに伸びている。
 階段の上の玉座に、この小国の王が座していた。兵の一人が王のそばへ寄っていってな
にか耳打ちすると、王は尊大な目つきでルウ達を睥睨した。
「そちらが断りもなくわが領土に立ち入った者どもか?」
 ミュンがすばやく玉座の下に膝まづき、頭を垂れた。
「誠に申し訳ありませぬ。しかし、許可なく立ち入ったのはやむを得ずのこと、我らの本
意ではありませぬ。我々はアースター国から来た者。このたびフェールド陛下より重大な
任を帯びて、南へ急ぐ途中だったのです。旅の途中不幸にして通行証を失い、またこの山
を迂回すれば大変な遠回りをして深き森の道なき道を進むこととなり、仕方なく兵の目を
盗んでこの山を登ってまいりました次第。どうか寛大なご処置を」
「ほう」
 王は面白そうな顔をして、顎鬚をなでた。
 年のころ四十といったところか。ふさふさした顎鬚には白髪の一本たりとなく、はりの
ある声もいまだ生気に満ちている。
「はるばるアースター国からとな。して、その用事とは?」
「王命ゆえ、それはお話しできませぬ。ただ、わが国一国の問題ではなく世界の行く末が
かかっている任務だ、とだけは申し上げておきましょう」
 ミュンは勿体をつけてみせた。
 この手の輩を前に生き長らえるには、少しでも自分に興味を抱かせる他はない。その上、
その者を助けることが自分にとっても益になるのだ、と思いこませられればそれが一番だ。
 案の定、王はミュンの言葉に興味を示した。
「世界の行く末を左右するとなれば、わが国にも関わる問題なのであろう」
「御意にございます」
「勿体をつけおって。そちらの命はわが掌中にあるのだぞ」
 王が焦れたように行ったが、実行する気はなさそうだった。
 国交のない異国からの客人を、生かしておけば使い道もあろうが、殺してしまっては元
も子もない。
 ミュンはしばらく考えこむふりをしてみせ、それから、やおら決心したように顔をあげ
た。
「分かりました。許可なく領土を侵したのは我らの罪。疑われても仕方のないことです。
王命に背くのは不本意ですが、足止めをくっている時間もありません。ここを無事通して
くださるとお約束いただけるのでしたら、お教えいたしましょう」
「ほう。余を相手に取引するつもりか」
「いえ、滅相もない」
「ふふん、条件を交換するのを取引と呼ぶのじゃ」
 王は思案するようにしばし顎鬚をなでていたが、やがて髭の向こうの口元に不適な笑み
を浮かべた。
「よし、わしからもひとつ条件を出そう。実は、この城のどこかに『王家の水晶』と呼ば
れる秘宝がある。そのありかを見つけ出したらこの山を通してやろう」
「王家の水晶、ですか?」
「左様。代々このシャーライン家の長男が王位を譲りわたされる際、そのありかを伝えら
れることになっておるのじゃが、ワシは遠征中で不幸にして親の死に目にあえなかった。
父はその時城にいたわが娘を呼びよせて、水晶の隠し部屋を教えたのじゃ。ところが、ど
ういうわけか娘は頑なに口を閉ざし、水晶のありかを話そうとしない。近頃では部屋に閉
じこもったきり、食堂にも顔を出さなくなる始末。姫はちょっとした魔法使いでの。力づ
くで引きだし、尋ねることもかなわぬ。服装から察するに、そちらには魔術の心得がある
とみたが?」
 ミュンはうなずいた。
「よろしい。まじないで場所を探すなり、娘の心を開くなり、手段は問わぬ。首尾よく見
つけだしたあかつきには、この山を通してやることにしよう」
 奇妙な条件だったが、断れる立場でもなかった。
 ミュンは王の前をいったん退き、セイラに耳打ちした。
「どうだ? 探し出せそうか?」
「王家の水晶がどんなものなのか、思い描ければ良いのですが…まずは姫君にお話を伺う
のが先決かと」
 ミュンはうなずき、王の方に向き直った。
「かしこまりました。して、姫君はどちらにおられるのですか?」
「今、城の者に案内させよう」
 王が手を叩き、召使を呼びよせた。
 一行は召使について、城の奥へと歩いていった。

 水晶の壁が立ち並ぶ廊下はさながら迷宮のようだった。
 元来たところへ帰れるのか、ルウ達が不安になりかけたころ、召使はようやく立ち止まっ
た。
 金細工でふちどられた扉の上には、ピンク色の春の精が描かれている。
「リーシャ姫のお部屋です」
 告げられて、ルウがまず扉を叩いてみた。
 反応はない。
 もう一度叩く。
「リーシャ姫。中におられるのでしょう」
「だれ?」
 中から案外可愛らしい高い声がかえってきた。
「私の名はルウ・メニ。私達はアースター王国からやってきた旅人です。どうかここを開
けていただけませんか」
 ルウの言葉を、ミュンがひきついだ。
「部屋に閉じこもってばかりではご退屈でしょう。遠い異国の物語を聞いてみたいとは思
われませぬか」
「そこには他に誰かいるの?」
「仲間を入れて5人おります。それに…」
「マーサね。下がってちょうだい。この人達だけにしてくれたら、開けてもいいわ」
 召使がため息をつき、一礼して去っていった。
 やがて、カチャリ、と鍵の開く音がして、ふっくらした頬の少女が細い隙間から顔をの
ぞかせた。
「お父様に頼まれて来たのね?」
 大きな黒い瞳が一番近くにいたルウの目をとらえた。
「王家の水晶のことで何か言われたのでしょう?」
 ルウはたじろがず、姫の目をまっすぐに見返した。
「ええ。でも、あなたのことを裏切るようなことはしません。まずはお話だけでもさせて
いただけませんか」
「水晶のありかを話すかどうかは分からないわよ」
「構いません」
 王女は素早く廊下を見渡し、ドアを開いた。
「入って」
 招かれた部屋の中は、いかにも王女らしく可愛らしい内装で飾り立てられていた。
 白く塗られた調度類には金の縁取りがほどこされ、水晶の壁には桃色の薄絹を幾重にも
かけて外からの視界をさえぎるよう工夫されている。
 ラーム・アースター城の重々しい装飾とは対照的だ。
 部屋の持ち主もそれにふさわしく、少女らしい顔立ちをしている。年の頃はセイラと同
じほどと見えるが、どこかさびしげできりっとした面持ちのセイラに比べて、瞳にもバラ
色の口元にもあどけなさが残る。
「どうぞ。座って」
 リーシャ姫はソファを指差すと、自らも腰をおろし、身をのりだした。
「アースター国というのはここから遠いのでしょう」
「ハイベルグ国の更に北になります」
「そこからこの頂へはるばる旅を続けてきたのだから、なにか大切な用事があったのね」
 利口そうな目に好奇の光が輝いた。
「はるばるどうしてここへやってきたの?」
 ミュンは背後を振り返った。
「さて、どうしたものかな」
 フェーンが肩をすくめて言った。
「このままでは埒があかぬ。任務の一番重要な点は、手遅れにならぬ前に異変の謎を解く
ことだろう」
「おい、フェーン…」
 リュワルドがたしなめた時には遅かった。
 リーシャがすばやくフェーンの言葉尻をとらえた。
「異変? どういうこと? 外で何が起きているの?」
「城に閉じこもっているのでは知らぬ存ぜぬだろうが、外では大変なことが起きている。
この城には魔物を描いた見事なタペストリがあったが、リーシャ姫は実物の魔物を見たこ
とがおありかな?」
 出し抜けな質問に、リーシャの目が丸くなった。
「まさか。おとぎ話の生き物でしょう」
「まあ簡単に言えば、そのおとぎ話の生き物が町や村を襲い始めているのだ。まさしく物
語の通りにな」
「本当に? ドラゴンやグリフィンや人魚が地上に出てきているというの?」
「人魚はあずかり知らぬが、グリフィンはこの目で確かに見た。何しろそこにいるルウ殿
がグリフィンに襲われている女性を助け出したのだからな。なかなかの見物だったぞ」
「まあ、本当に!」
 リーシャは手を握り締めて、目を輝かせた。
 ルウに向かって熱っぽいまなざしを向ける。
「素晴らしいわ。まるで伝説の世界からやってきたみたい! ぜひ詳しい話をきかせてちょ
うだい」
 ルウ達は今までの経緯をかいつまんで話したが、リーシャが次から次に質問を浴びせる
ので話はなかなか先へ進まなかった。
 ようやく水晶山で衛兵につかまり、王に難題をふっかけられたくだりまでやってくると、
リーシャはため息をついた。
「そういうことだったの。あなた達もお父様の気まぐれにつきあわされて気の毒なことね」
「このままでは世界は大変なことになります。どうか協力していただけませぬか」
 ミュンがいうと、リーシャは頭を振った。
「そういうことなら協力してもいいけれど……」
「では、お父上に王家の水晶のありかを話していただけると」
「いいえ」
 リーシャがあっさり否定する。
「それでは……」
「あなた達の目的は、この城から外へ出ることでしょう。そもそも、王家の水晶がどんな
ものか、あなた方は知っているの?」
「いえ、聞いておりませぬ」
 姫は宙に指で輪を描いてみせた。
「王家の水晶、とは直径三十センチほどの円盤の形をした水晶板のことなの。表には今で
は誰も解読できない魔方陣が彫られている。一説にはあの伝説の魔法使いメンティスが自
ら刻んだという話もあるわ。そしてこの秘宝は……」
 リーシャは言葉を切って、ルウ達の顔を眺めわたしにこりと微笑んだ。
「その上に立った者の望むものを、念じた場所までたちどころに運ぶことができるのよ」
「なんと」
 ミュンが目を見開いた。
「かつて物体を瞬時に移動させる魔法があったと聞いたことはありますが、今の世にもそ
れが残っていたとは」
「王家の水晶で、あなた達をここから出してあげる。その代わり……」
 リーシャ姫はいたずらっぽい表情になった。
「私もあなた方と一緒に連れていってちょうだい」
 一同が仰天したのは言うまでもない。
 先の分からぬ危険な旅である。他国の姫君を連れていくなどとんでもない話だ。
 まして相手はあの王の一人娘。連れ出したなどと知れたら、後でどれほど恨みを買うこ
とか。
「で、でも……姫がついてくるなんて……危険すぎます」
 ルウがようやく言ったが、リーシャは興奮した様子で聞き入れなかった。
「大丈夫。これでも魔法の心得があるのよ。足手まといにはならないわ。いいえ、きっ
と何かの役にたつはず」
「お父君がどれほど心配するか……」
 ミュンのとりなしにも、リーシャはだだをこねるように首を振った。
「知ったことではないわ。あんな人! 私には城下町ですらめったに行かせてくれないの
に、ご自分は戦で城を空けてばかり……分かって? だから王家の水晶のありかを教えな
かったのよ。あんなものを手に入れたらあらゆる国と戦に明け暮れて、城へなど二度と戻っ
てこなくなるに決まっているわ」
はあ……」
「私、こんな退屈な場所には、もううんざりなの! それに……」
 リーシャは上目使いにルウをじっと見つめて、頬を赤く染めた。
「ぜひ、あなた方と一緒に旅がしたいのよ」
「ですが……」
「連れていってくれないのなら、この話はなかったことにするわ。このまま空手でお父様
のところに戻ることになってもいいの?」
 可愛い顔をして脅迫まがいの台詞を吐くリーシャにルウ達は困惑するばかりである。
 と、フェーンがやおらソファから立ち上がって一同を見渡した。
「…よし、連れていこう!」
「おい、フェーン。何を言う」
 リュワルドが驚いて止めたが、リーシャはすぐさま椅子から飛び上がった。
「そう来なくっちゃ! さっそく身支度をしてくるわ」
 リーシャの姿が隣室へ消えると、ルウ達は思わず顔を見合わせた。
 フェーンが一人、腕組みして真面目な顔でつぶやいている。
「いやはや、とんでもないお姫様だな。顔はともかく、性格は父親似とみた。一国の姫君
かくあるべしというのはどうやら俺の幻想だったようだ」
「とんでもないのはおぬしだ。どうするつもりだ?」
 リュワルドが呆れたように言う。
「ここを出ぬことには使命もへったくれもあったものではない。後のことは後で考えれば
よかろう」
「それはそうだが」
「ともかく城から脱出できそうで助かった。ルウ殿には感謝せねばな」
「どういう意味だ?」
 いぶかるリュワルドに、フェーンは耳打ちした。
「おぬしの目はふし穴か。ルウ殿を眺める目つきを見ただろう。あれは間違いなく恋する
目だ」
「一目ぼれしたというのか」
「おそらく」
「やれやれ、女性だと分かったらどんな騒ぎになることやら……」
 当のルウは気づかずに二人の顔を見比べてきょとんとしている。
 そうこうしている内に、支度を終えたリーシャが戻ってきた。
 どこで手に入れたものか、先ほどまで見につけていた装飾過多気味のドレスは脱ぎ捨て、
すそをはしょったスカートにブーツという旅人のいでたちだった。
「さ、行きましょう」
 リーシャはそっと扉を開き、辺りに人気のないことを確認してからルウ達を手招きした。
 相変わらず迷路のような廊下を右へ左へと進み、やがて立ち止まってふりかえる。
「ここよ」
 たどりついたのは、目が惑わされるような空間だった。
 右にも左にも前方にも、あらゆる方向に廊下が伸びているように見える。
「鏡か」
 ミュンが感心したようにつぶやいた。
 よく見れば、三方からの廊下がぶつかりあって、六角形の小さな部屋のようになってい
た。
 水晶の壁では裏にあるものが透けて見えてしまうが、ここなら何か隠しても分からない
だろう。
 リーシャが鏡に手をあて、口の中で何かつぶやいた。
 壁がくるりと反転し、その向こうに、下へと続く細い回廊が現れる。
 ルウ達は狭い通路を、一列になって下へ下へと下っていった。
 水晶の壁の向こうから黄色い明かりが漏れて、辺りをぼんやり照らしている。降りてい
くにつれ、周囲は逆に明るくなっていくようだ。
 どのくらい下っただろうか。
「ついたわ」
 リーシャが告げた。
 きゅうくつな階段を出ると、そこは小さな円筒形の部屋になっていた。
 人が六、七人立てば息苦しいほどの空間。
 周囲の壁は、どうしたわけか大広間よりはるかに明るく、まばゆいまでに光り輝いてい
る。
 一段くぼんだ部屋の中央に、直径三十センチくらいの円盤がすえつけられていた。
「あれが王家の水晶よ」
 ミュンが膝まづいて水晶の表を確かめ、発光する壁を見渡してため息をついた。
「これほど複雑な魔法図は見たことがない。それにこの壁。無人の部屋にこれほどの光を
発し続けるとは。いったいどういった仕組みなのだ?」
 突然、騒がしい物音が通路の向こうから聞こえてきた。
「姫様が部屋を出られた!」
「こっちだ、この中だ!」
 叫び交わす声が、かすかに伝わってくる。
 フェーンが舌打ちして、天井を見上げた。
「まずい、見つかった! 姫、急がれよ」
 ガツン、ガツンと叩くような音が上から聞こえてくる。力づくで扉を開けようというの
だろう。
 リーシャは石板の上に立ち、両手の指を複雑な形に組み合わせた。
 深呼吸して、目を閉じる。
 扉が外れたらしく、大きな重い物音が遠くから響いてきた。
 ついで、ガチャガチャいう鎧のきしみと叫び声。
 ルウが階段を覗きこんで叫んだ。
「リーシャ姫、早く!」
「静かにして! 精神が集中できないわ」
 リーシャは唇をかみしめると、ゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。
「フェフ・ウルズ・スリサズ・アンサズ…」
「呪文が必要なのか」
 ミュンが舌打ちした。
 言う間にも、無数の足音は次第に大きくなってくる。
「ハガラズ・ナウシズ・イーサ・イェーラ…」
 赤いマントを羽織った男が通路から転げるように飛び出してきた。
 血相を変えたその顔を見れば、かのシャーライン国王その人だ。
「おお、ここがかの水晶の間か。ぬ、おぬしら、何をしておる?!」
「エイフワズ…」
 リーシャの呪文がつまった。集中力をかき乱されたのだろう。
 眉をひそめ、必死に思い出そうとしているが出てこない。
「リーシャ、何をやっているのじゃ。どこへ行くつもりじゃ?!」
 王が叫んでいる。
 リーシャは組んだ手を強く握りしめた。
 ーなんだったかしら? 確か、確か……
「『ペルス』だ、姫よ!」
 ミュンがちらりと水晶板に目を走らせて叫んだ。
 ーそう、そうよ!
「ペルス・アルギズ……」
 ひとたび思い出すと、再び流れるように呪文の言葉があふれ出た。
「リーシャ、どういうつもりじゃ。おい、そちら、何をしておる。早く姫を連れ出さぬ
か!」
 叱咤され、小間の入り口からこわごわ見守っていた兵士達が走り出て、リーシャの方
へ駆けよった。
 フェーンが、近づいてきた兵のみぞおちを殴りつける。
 兵は声もなく倒れたが、すぐに別の兵士がリーシャにつかみかかってきた。
 ルウは後ろから兵士の肩をつかんでひきはがした。
「…オースィラ!」
 姫がひときわ大きく叫んだ。
 まばゆい白光がほとばしった。
 壁が、床が、天井が、真夏の太陽のようにきらめき輝いて、目の奥を焼きつくす。
 一瞬の後、光は不意に消え失せた。
 混乱と当惑の声が辺りに満ち満ちる中、シャーライン国王は目をこすりながら辺りを
見渡した。
 何も見えない。真っ暗だ。
 壁の光は消え去り、深い地下本来の暗闇が辺りによみがえっていた。
 しんとした地下室の中で、兵士達がぶつかり合い、わめき合う声だけが空しく響きわ
たっている。
 無明の闇の中で、王は低くうめいた。
 愛娘は去ったのだ。素性も知れぬ旅人とともに…
「リーシャよ、なぜじゃ……わしを置いて、どこへ行ってしまったのじゃ?」
 声はむなしく闇の中に響いた。

                                  つづく

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