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聖樹伝説 第五話
緑髪の一族 (一)(二)(三)

 

                   (一)

 それから旅を続けること二、三日。ルウ達はハイベルグ王国の西端に来ていた。
 レンガ通りは終わり、土の盛られた細い道がのどかな田園風景の中をうねりながらどこ
までも伸びている。
 空は青く澄みわたり、田畑やぶどう畑のはるか向こうにギザギザした連峰がゆったりと
横たわって見える。左手に聳えるのがマッター連山、右手はカーネル王国へと続き、その
先に北の山々の東のつらなりがかすんでいる。
 時折、畑の間から石造りの城が姿を現す。領主達の居城や砦だ。隣国との長い抗争のせ
いか、戦に適した機能的なものが多い。カーネル王国との領土争い、レニミト王国との戦
い。それに、つい数年前までは、悪名高い『ロベイン砦の盗賊達』が幅をきかせていた国
でもある。
 埃っぽい道を進むうち、行く手に黒々とした森が見えてきた。
 くわを手にした農夫らしき男が、畑のあぜ道から歩いてくる。
 ミュンが農夫を呼びとめて、馬を近づけ、道を尋ねた。男は何やらうなずきながら、節
くれだった指で森をさししめす。
「何か分かったか?」
 馬をかえしてきたミュンに、リュワルドが尋ねた。
「道はこれでいいらしい。この先の森は危険だから気をつけろ、と忠告してくれた」
「魔物…?」
 と身構えるルウ達に、ミュンが首を横にふる。
「よく分からぬが、おそらく違うだろう。魔物ならばこの辺り一帯も荒らされているはず
だ。盗賊の残党が残っているのではないかな?」
 ルウ達はそのまま馬を進め、森の中へと入っていった。
 木々の間に下草がびっしりと生え、その間を道が蛇のように這っている。歩いて踏みか
ためられたものがそのまま道になったようで、なるほど、視界もききにくそうだ。
 細く太く続く道をどれくらい歩いたころだろうか、森の茂みがカサリ、と音をたてた。
「何者だ?」
 リュワルドが槍に手をかけて、木々の向こうをじっとうかがう。
 ガサガサ、と再び音がして、茂みがパッとふたつに割れた。
 小さな茶色いかたまりが裂け目から勢いよく飛びだしてくる。
「なんだ、うさぎ」
 ルウは顔をほころばせ、馬を先に進めようとした。
 その腕をぐいと、リュワルドがつかみ、
「待て!…」
 突然、森の奥深くから銀色の光が閃いた。
 身をかわしたルウのすぐ鼻先を、長い矢がかすめ、飛びすぎてゆく。
 地面につきたった矢に、ルウは目を見張った。
 見たこともない矢だ。驚くほど単純な作りで、やじりは鉄でも銅でも石でもなく、光り
輝く金色をしている。七色に尾を引く長い羽根。
「何者だっ?! 姿を現せ!」
 ミュンの声に応じるように、木々の間から馬にのった人影がいくつも姿を現す。
 ルウは身をこわばらせた。
 人間とは思えぬような男達の一団がそこにいたのだ。
 背格好はルウ達と変わらない。だがー
 草の葉のような、つややかな緑色の髪、木のような土色の肌。沈んだ黒色の瞳で、じっ
とルウ達を見据え、剣や槍を手にしている。
 これは本当に人間だろうか。あるいは魔物の仲間なのか?
 槍の穂先がルウ達に向けられ、大きな弓矢が三人に狙いを定めていた。敵意があるのは
明らかだ。
 矢が再び放たれようとする刹那、ルウは剣を抜いて飛びだした。
 勢いよく男の頭上へ剣をふりおろす。
 ミュンやリュワルドも武器を手にして戦い始めている。
 ルウは噛みあった長槍をぐっと下へねじりこみ、相手の懐へ飛びこんだ。
 かえした剣で、切りつける。
 男は後ろへ体をそらし、バランスを崩して落ちかかった。
 とどめを差そうと剣をつきだしたところへ、後ろから槍が伸びてくる。
 ルウは軽く身をひねり、下から槍をはねあげた。
 槍が地面へ転がった。体勢を立てなおし、再び槍を構えてくる前の男へ向きなおる。
 見かけの異様さはともかくとして、腕はルウ達の方が上のようだった。人数に差はあっ
ても、これなら切りぬけられそうだ。
 味方が押されぎみになったのを見て、男の一人が手をあげた。
 退却の合図だったのだろう。男達は次々に茂みへ飛びこみ、林の奥へと駆けてゆく。
「待てっ……!」
 追おうとすると、最後の男がふりむきざまに、黒っぽい粒を地面へ叩きつけた。
 黒煙がたちのぼり、ルウ達の視界を塞ぐ。
「小賢しい真似を…!」
 リュワルドが煙を払いのけて林へ飛びこもうとした。
 とー
 突然、馬がどうと倒れたのだ。
 地面へ勢いよく放りだされ、リュワルドは呻き声をあげた。
 駆けよろうとしたルウも、宙へ投げ出される。
 景色がぐるぐると回転しはじめ、地面が大波のように揺れ動いた。
 轟々と耳鳴りが襲う。
 木々がぶれて、何重にも重なっているようだ。
 ミュンが立ちあがろうとして、その場に倒れふした。
「いったい何を…!」
 絞りだした声はそのままとぎれた。
 暗闇に落ちてゆく意識の中で、ルウは誰かが自分を担ぎあげたような気がした。

(二)

 ルウは目を開いた。
 何度かまばたきし、辺りを見回す。
 暗い。もう夜なのだろうか?
 目の前で赤い火影が踊り、周囲の景色をくっきりと光と闇に分けている。
 立ち上がろうとすると、何かにひっぱり戻された。縄で樹木に縛りつけられているらし
い。
 林の中の小さな空き地のようだった。
 炎を囲んで、先ほどの男達が談笑している。
 土の上に草で編んだ敷物を敷き、その上へ胡座をかいている。
 浅黒い肌が闇へとけこみ、白い歯と目のふちだけが不気味に浮き立つ。
 彼らは何者なのだろう?
 会話の間から時折、ルウにも分かる単語が飛びこんでくる。やはり、人間なのだろうか?
 ただ一人、数人の男達に囲まれて椅子に座っている者がいた。この連中の頭領だろう。精
悍な顔立ちをして、大きな剣を、地面へつきたてるようにして持っている。
 目を覚ましたのに気づいて、男はルウの方に顔を向けた。
 黒い瞳が炎を受けて、鋭い眼光を発している。
「目が覚めたか…?」
 男ははっきりとそう尋ねた。
 ごく普通の人間の声だ。だが言葉にはややなまりが感じられる。
「アースター国から派遣された者だな? ゴド森へ行こうとしているのだろう?」
 ルウは身をかたくした。
 自分達のことを知っているのだ。
「いったい何をするつもりなの?!」
 ルウは鋭く問い返した。
「どうして私達のことを…」
「余計な詮索をやめてもらいたいのだ。今はまだ、邪魔されるわけにはゆかぬ」
「町で襲ってきた人達の仲間だな! 何を企んでいる?…」
 隣の木へ縛りつけられていたミュンとリュワルドが低い呻き声をあげた。
 目を覚ましたようだ。
 ミュンが辺りを見回して、男の姿に目をとめた。
「貴様ら、何者だ? なぜこんな目に遭わねばならぬのだ!」
 男はミュンに目を向け、静かに答えた。
「お前達には、恨みはない。用が済めば返してやろう。目的を果たし、メンティスの末裔
を探し出した暁には…」
「メンティスの子孫を…?」
 ルウは驚いて目を見開いた。
 魔物を追いだし、聖樹を植え、世界を救った勇者メンティス。
 メンティスの血をひく者が、今もどこかに生きているのだろうか。探し出していったい
何をしようというのか。
「そうか、お前達も化け物の仲間という訳か…!」
 ミュンが低くうなった。
「人間とよく似た姿をしておるが…ふん! よく見れば肌も髪の色も違っておるわ! そ
れで先ほどは黒衣で身を隠して襲ってきた訳だな」
「ふざけるな!」
 男は剣で地をついて怒鳴った。黒い瞳が怒りでギラギラと燃えた。
「血は争えぬと見える。あいも変わらぬ利己主義よな。生かして返そうと思った私が間違
いだった。この場で息の根止めてくれるわ!」
 男が剣をつかんで立ちあがった。ゆっくりと、ルウ達の方に近づいてくる。
「クッ…」
 ルウは縄から抜け出ようともがいた。きつく縛られた縄目がぎりぎりと肌に食い込む。
とても抜けられそうにない。
 男が剣をふりかざした。
 ー殺られる…!
 剣をもつ手首に力がこもり、ふりおろされんとしたまさにその瞬間、
 わああっと林の向こうで男達の叫び声が聞こえた。
 怒号が飛びかい、剣を打ち合わせる音が響く。
 馬の駆ける音が近づいてきた。
「何事だ…?」
 男は手をとめ、ふりかえった。
 闇の中から、騎馬が姿をあらわした。
 赤い炎に照らされて、馬上の人影が浮かび上がった。
「フェーン!」
 ルウは顔を輝かせて叫んだ。
 右手につかんでだらりと垂らした剣からは、幾条もの血がしたたっていた。あの男達の
ものだろう。血臭が空気を染めた。
「貴様!」
 男がふりむき、剣を一閃させる。
 一目で分かる。かなりの使い手だ。
 フェーンはまだ防御の姿勢もとっていない。
「フェーンッ!」
 カン、と鋭い音がした。
 赤い血が噴きあがる。
 男は信じられない顔で腕を押さえた。
 いつの間に切りつけたのか。
 受けた剣を返しざま、一瞬の内に。
 男達が彼をかばうようにし、バラバラと寄って来て、フェーンをとりかこんだ。
 剣光が舞った。
 舞いを見ているようだった。
 剣が鋭い軌跡を描くと、男達は次々に、身をのけぞらせて地面へ倒れふした。血が飛び
ちり、乾いた土を黒々と濡らす。
 最後の一人を袈裟切りにすると、フェーンは馬から飛びおりた。
「…助けに来たのか?」
 ミュンの問いには答えずに、無言で剣をふりかざす。
「フェーン?」
 光が数度閃き、ルウは自分達を拘束していたものが不意に消え去ったのに気づいた。
 縄がはらりと膝へ落ちる。肌には傷ひとつついていない。
「手荒な方法で済まぬが、時間がないものでな。向こうに馬がつないである。ついてきて
くれ」
 フェーンは再び馬に飛び乗ると、もと来た方へと走り出した。
 後について走り出そうとして、ルウがふと暗闇の中に目を止める。
「待って! 誰かつかまっている。助けてあげて!」
「しかし、時間が…」
 ない、という言葉は飲み込み、フェーンは馬首をひるがえして戻ってきた。
 焚き火から離れた闇の中に、一人の少女がつながれている。
 フェーンの剣が空を切った。束縛を放たれた少女は、ぐらりと地面へ倒れふした。
 ゆり動かしても返事はない。穏やかに息をしているところをみると、気絶しているだけ
だろう。
 林の向こうから、男達のざわめきが聞こえた。少しずつこちらへ近づいてくる。
「気づかれたようだな」
 フェーンが舌打ちし、少女を鞍の前にのせた。
「騒ぎを起こしてここから引き離したのだが、長くは持つまい。…俺はもう一度向こうへ
いって注意をひきつけてくる。その間に馬と武器を奪って逃げるがいい。街道はこのまま
まっすぐ行ったところだ。そこで落ち合おう」
 馬の腹を強く蹴って、フェーンの姿はまたたくまに闇の中へ消えた。
 まだかなりの数の男が、林の奥にいるらしい。木々の間から松明の光や、叫びかわす声
が聞こえてくる。
 ルウ達はなるべく音をたてぬようにして闇の中を進んでいった。
 左手前方から、馬が鼻を鳴らし、足を踏み鳴らす音がした。
 数十頭。主人達はどこかへ行ってしまっているのだろう。
 音の方へ進むと、空き地に出た。馬が並んで木につながれ、地面に武器が積み重なって
いる。数人の見張りが回りに立ち、闇に目を光らせていた。
 ルウがそっと後ろへ忍びより、二人の首筋へ続けざま、手刀を叩き込んだ。
 声も出せずに男は崩れおちた。
 ドサリという音に気づいて、後の二人がふりむいた。
「貴様…!」
 言い終わる間もなく、リュワルドの拳が、こめかみに吸い込まれた。
 男達もその場に倒れふし、ルウ達は空き地へ走りでた。
 四十頭あまりの馬が、どれも鞍をつけたまま立っていた。これから何かするつもりだっ
たのか、あるいは夜襲かなにかを恐れているようにも見える。
 自分達の馬もどこかにつながれている筈だったが、探している暇はない。武器を手にし、
手近な馬に飛びのった。
 闇の森を駆けさせてゆく。
 木の根を飛びこえ、枝をよけながら、ルウ達は一直線に西へ走った。
 木々が両側を風のように過ぎさってゆく。
 どのくらい走ったころか、木の裏側にちらりと人影がのぞいた。
「誰だっ?!」
 ルウが叫びー言葉を飲みこんだ。
 木にもたれかかったまま、男は胸から血を流して死んでいた。
 一人、ではない。進むにつれて、次々に倒れている男達が目に入る。
 血を流して息絶えている者、あるいは武器を落として気絶している者。
 別の焚き火跡までやってきて、ルウ達は更に目を見張ることになった。
 三十人余りの男が、転がっていたのだ。炎は消え、激闘の跡かそこここに血痕が飛び散
っている。これをフェーン一人がやったのだとすれば、唖然とするしかない。
 野営地を抜け、木のうっそうとした茂みに入った。
 背の低い木や垂れ下がる枝が行く手をさえぎる。闇の中で、頼りの月明りも時折しか顔
を見せない。
 何度もまわり道をさせられて、本当にこっちでいいのかとルウ達が不安になりかけたこ
ろ、ようやく目の前が開けた。
 昼の通りの続きのようだ。
 捕らわれたのよりやや南の辺りだろうか。このまま真っ直ぐ進めば、間もなく森を出ら
れるに違いない。
 森の奥でまだ騒ぐ声が聞こえたが、それも次第に消えていった。
 ルウ達は馬を止め、静かに遠くの音に聞き入った。

(三)

 時が過ぎた。木の梢にかかった月が、隣の枝まで移動している。
 ルウが不安げに森の中をみやった。
 フェーンはあれきりまだ姿を現さない。
「ずいぶん遅いな。何かあったんじゃ…」
「あれだけの腕があれば大丈夫だろう。だが、もしかしたら戻ってこぬかもしれぬぞ。あ
んな風に別れた後だ。或いはー」
 ミュンがそう言いかけた時、
「おい、それはないだろう」
 林の中から声がした。
 木々の間から、一騎の騎影が姿を現す。
「フェーン…!」
 ルウはホッと息をついた。
 少し疲れた顔をしているものの、怪我した様子もなさそうだ。鎧についた返り血とかす
かな剣創が、死闘の跡を物語っている。
「遅いから心配してたのよ」
 フェーンが後ろに連れていたもう一頭の馬を指し示した。背にルウ達の奪われた荷物が
乗っている。
「こいつを探してきただけさ。期待を裏切ってすまぬな」
「まずは、礼を言わねばならぬ」
 ミュンが荷馬の手綱を手にした。
「おぬしのお陰で助かった。だが、我々がつかまったことをどうやって知ったのだ?」
 フェーンが肩をすくめてみせる。
「なに、この道を通りかかったら、偶然おぬし達が連れ去られていくところにでくわして
な。ちょっとせっかいしたまでのこと。…ミュン、おぬし、まだ俺のことを疑っているの
か?」
「いや…」
「後をつけて来たんじゃないの? あのまま別れるつもりはなかったんでしょう?」
 ルウがクスッと笑うと、フェーンは意外と素直にそれを認めて、
「それもある。この道沿いに馬を走らせてゆけば、いずれおぬし達と会うことは分かって
いた。だが、俺も個人的に南の方へ用ができてな」
「じゃあ、これからまた一緒に旅を続けるつもり?」
「こんな所で別れられるものか。あんな様子では、危なっかしくて見ておれぬ。俺もこう
見えて存外真面目でな、金を受けとったからには、使命が果たされるまでは見届けねば。
それに…」
 おどけた調子で話していた彼が、ふと顔をひきしめた。
「あの異変、どうやらことはそう簡単でないらしいぞ。この国にも魔物が出ているらしい。
アースター国ほど大規模ではないようだが、噂ではどうも他の国にもー」
「ではやはり、世界中に魔物が出てきているというのか?」
 リュワルドが顔を曇らせた。
 だとすれば、まさしく世界の危機だ。
 魔物が自由に跳梁し、人間は息をひそめて日々をくらす三百年前の世に逆戻りしてしま
う。いや、平和に慣れた現在の人間達は、それ以上の苦痛と混乱に巻き込まれるに違いな
い。
 だが、なぜ今になって魔物が出没しはじめたのか。あの男達はどんな関係があるという
のか?…
 フェーンの前にのっていた少女がぴくっと体を動かした。
 目を開き、びっくりして馬から落ちそうになる。
「敵ではない。大丈夫だ」
 フェーンが少女をひっぱりあげた。
「あの緑の髪の男達に捕らえられていたのだろう? 俺の仲間もさらわれてな、助けにい
くついでにせっかいした。この道で良かったかな?」
「あ…有り難うございます」
 少女が頬を赤く染めた。
 黒髪の美少女だ。白い衣を見に纏い、赤と青で刺繍した肩掛け、革の小袋を腰にさげて
いる。
「わたくし、セイラと申します。南へ向かう旅の途中、あの男達に襲われ、メンティスの
子孫の居場所を占え、と脅されていました。お陰で、助かりましたわ」
「そのいでたち…やはり占い師か」
 ミュンが口をはさんだ。
「ひとつ占ってほしいことがあるのだが」
「なんなりと」
「実は、ある占い師が、今度の旅の仲間に裏切り者がいると告げたのだ。偽りを見抜く占
いを学んでいれば、試してみてほしい」
「分かりました」
 ため息をつくフェーンにミュンは顔を向けて、
「この上おぬしを疑うつもりはない。だが我々のギルド最高の占い師のいうことに間違い
があるとは思えぬのだ。ここではっきりさせておかねばならぬ」
 セイラは腰に巻いていた革布を広げ、金色の粉をのせて一行の水袋から水を注いだ。四
方を木の枝につるし、呪文を唱えて上で何度か手を往復させる。
 準備が終わると、少女は一行に向き直った。
「この水は聖なる水です。正しき者には力となりますが、嘘偽りを申す者が手をさしいれ
れば炎があがり、その腕を焼き尽くすでしょう。誓いをたてて、ご順に手を水につけてく
ださい」
 ミュンが初めに誓いを述べて手をいれた。
 火はつかない。
 続いてルウが、リュワルドが同じことを試した。
 何事も終こらなかった。
 しまいにフェーンが言った。
「神に誓う。この生命にかけて、俺は裏切ったりなどしていない」
 無造作に、手を革の中につっこむ。
 水面が小さく波打ち、すぐに静まりかえった。
 フェーンがミュンをふりかえり、肩をすくめてみせた。
「やれやれ、これで信用してもらえるかな?」
 ミュンは顎に手をあて、何か考えこんでいる風だった。
「しかし、いったい……待てよ」
 荷物の中を探りながら、セイラに尋ねる。
「この占いは、代理の”物”にも効いたな」
「ええ」
「まさかとは思うが、だが…」
 荷物の中から抜き出した手は、一片の羊皮紙を手にしていた。
 何も言わずに革のつりさげられたそばへ歩みより、水の中につけた。
 パチャン、と水の音がする…
 突然、ジュッと煙が吹き上がった。
 水面に小さな炎が表れて、たちまち紙を舐めあげる。
 皮の焦げる匂いが、黒煙とともに立ちのぼった。
 赤い舌が最後の一片まで紙を焼き尽くし、ようやく炎は消えさった。
 焦げた黒い固まりだけが、水面に浮いている。
「馬鹿な!……しかし、」
 ミュンは愕然とした様子で呻いた。
「何をいれたの?」
 ルウが尋ねる。
「例の占い師からのことづけだ。占いの結果と、私への注意が書いてあった。だが、嘘を
申し、まして世界に滅びの道を歩ませようとする邪悪な心を持つ者に占いはできぬはず。
しかもギルドの一員に…」
「でも今ご覧になったとおり、占いに間違いはございませんわ」
 セイラが言った。
「だが、白魔術のギルドに所属する占い師が…」
「黒魔術師ならともかく、聖事を行う占い師に邪悪な人間がいないのは確かです。でも人
間なら万が一ということも。悪意はなくとも、過ちは犯します。聖水に間違いはありませ
ん」
 ミュンはしばらく黙っていたが、やがて頭をふって言った。
「おぬしのいう通りだ。なんにせよ。……フェーン、すまなかったな。あらぬ疑いの種を
まき、不和をひきおこしたのは私の過ちだ」
「人間、誰にでも間違いはある」
 フェーンはすまして言った。
「くだらぬ過去をひきずるのはやめよう。それより、今晩眠りたければ早く森を出た方が
いいぞ。あの男達もいつ追ってくるか分からぬ。人目につく原までつけば、ここより少し
は安全だろう。もう行こう」
 森を横切る街道を、五騎の騎影は歩きだした。月明りが、その下に黒々とした影を落と
す。先に待ち受ける困難を、暗示するかのように。
 罠は無事切り抜け、仲間割れも解決した。だが、妨害者の手はますます伸び、ルウ達の
行く手に大きく立ち塞がってくる。
 旅の行く手に何が隠されているのか。あの男達の目的は何なのか。
 ルウは思案しながら馬を進めた。
 その日はもう追っ手は来ず、一刻前とはうってかわった静けさが森を広く覆っていた。

                                  つづく

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