聖樹伝説 第四話
裏切りの罠
(一)(二)(三)

 

                   (一)

 南下するにつれて、辺りの惨状は目を覆うばかりになってきた。
 ゆく町、ゆく町、家々は激しく破壊され、人の姿も見当たらない。
 通りの上には血痕が残り、家の残骸がそこらじゅうに散らばっている。
 この付近一体に、何十という魔物が襲ってきたことは確かだった。なぜなのか。
 怪物達が、こんな風にまとまって町を襲撃したりするものだろうか、とルウは内心いぶ
かった。
 まるで、計画的に襲ったようではないか。訓練された軍隊のように。
 川の近くの町まで行くと、通り中が水浸しになっているのに出くわした。
 押し流されてきたものか、土砂がそこここに小山を作っている。馬の足が茶色い水をは
ねあげる。
 ミュンが思わしげにつぶやいた。
「洪水、か? だが、レビュ川の上流には堰があって、多少の大雨では溢れぬようになっ
ていた筈。いったい何が…」
「魔物を撃退するために、町の人間自ら堰をきったのだろう。見ろ」
 フェーンが道の端をあごでしゃくった。
 茶色い小さなかたまりが、ぐんにゃりと横たわっていた。鋭い牙を剥きだしているが、
水でびしょびしょに濡れた毛がどこか哀れにも見える。
「魔物…ですか?」
 ルウの問いに、ミュンがうなずいた。
「デーム…集団で人を襲い、肉を喰らったといわれる魔物だ。だが、デームだけではない
ようだな」
 その通り。
 通りを進んでゆくにつれ、さまざまな怪物が姿を現した。
 翼を折られ、ぐったりと横たわっている、コウモリによく似た姿。蛇の尾をしたイタチ
のような生き物。
 ほとんどルウの知らない魔物だった。
 伝説に聞く竜やグリフィンとは違い、さほどの魔力は持たぬのだろう。だからこそ、魔
力を退ける聖樹の結界を破って、入りこんでくることができたのかもしれない。
 更に進むと、通りの行く手に瓦礫の山が姿を現した。
 両側の家がバラバラに倒壊している。その間に、漂流物がたまりこみ、高い壁ができて
いた。高さは、そう、ルウ達の背の二倍ほどはあろうか。
「乗りこえられるか?…」
 リュワルドが瓦礫の上をみあげた。
「馬では無理だな。別の道を探そう」
 フェーンが馬をかえし、抜け道を探しにいく。
「向こうの路地から反対側へ出られそうだ。行こう」
 フェーンが手をふってついてくるよう示し、一行が脇へ伸びる細い路地を進みはじめた
その時ー
 幾条もの銀光が、空から降りそそいだ。
 ー矢!
 ルウは身をひねり、馬の上に伏した。
 鋭い風が耳元をかすめ、肩当てに矢が突きたった。
 銀光が雨のようにふり注ぐ。わき腹をかすめられて、ミュンの馬がいななきをあげる。
 フェーンが眼前へ飛んできた矢を、剣で横へなぎはらった。いつの間に抜いたのか。驚
くべき早業だ。
 矢の飛んできた方へ声を荒げる。
「何者だっ!」
 屋根の上で、二十あまりの影がちらりと身動きした。
 全身を黒衣に包んだ、男達だった。
 異様な姿だ。
 真っ黒なズボンに真っ黒なマント。顔にまで黒い覆面をして、矢をルウ達に向けている。
「盗賊かっ?」
 リュワルドが叫んで矢をひきしぼり、屋根へ向けて射放った。
「ぐおおっ!」
 顔面を貫かれた男が苦鳴をあげて、屋根から転がり落ちてくる。
 再び、矢がふり注ぐ。
 フェーンが身をかわしながら、剣先を屋根に向けて怒鳴りつけた。
「来いっ。臆病者どもが! 遠くから矢を射かけることしかできぬのか?」
 腹を立てたものか、一人の男が弓を足元に叩きつけ、剣をつかんで飛び降りる。
 リュワルドも槍を抜き、相手に向けて身構えた。
「待て! 降りるな。そ奴らは…」
 リーダーらしき男が制したがもう遅い。弓を剣にもちかえて、男達は次々と屋根を降り
始めている。彼は舌打ちし、自分も剣を抜いて仲間に加わった。
 四方から、男達が一斉に切りかかってきた。
 ルウはもちろん、ミュンも腰から剣を抜いた。これほど接近していては、魔法も役にた
たぬのだ。
 ー大丈夫かしら?…
 剣技に長けているとは聞いたが、それでも魔法使いだ。これほど多くの敵に囲まれて、
切りぬけられるのか、とルウは少し心配になったが、人のことに構っている余裕はなくな
った。
 右方から、男が声をあげて突きかかってきた。
 身をそらし、剣を下からはねあげる。
 切りこもうとしたところへ、背中をよぎる剣風。
 ふりむいて刃をあわせ、今度は左からの攻撃をすんでのところで受け止める。
 ルウは通りの壁に背をむけて、正面に剣を構えた。これで少なくとも、後ろからの攻撃
は防げる。
 左右から、男達が同時に飛びかかってきた。
 銀光が舞った。
 左の男が喉をおさえてのけぞり、右の男は剣をはねとばされた。
 上から剣を叩きつける。
 身をそらした男の胸をきっさきがかすめたが、怪我を負わせるにはいたらなかった。
 攻撃した隙を狙って、別の男が襲いかかった。
 すかさずふりむき、迎えうつ。
 二撃目が来る前に剣を突きだし、男は肩をおさえてうずくまった。
 女と侮っていた男達は、ルウの腕を見せつけられてやや慎重に、遠巻きにとりまいた。
 じわじわと、その輪を縮めてくる。
 ルウは自分から飛びだした。
 立ち塞ぐ男達をはねとばし、切りたおす。
 手応えが重い。次から次へと、敵は打ちかかってくる。刃はあきらかに鈍ってきていた。
さっきガーゴイルと闘ったのが、かなり響いているようだ。
 それでも力をこめて、五人目の男に切りつけた時ー
 不意に、目の前に矢がつきたった。屋根の上にまだ一人、弓をつがえた男が立っていた
のだ。
 馬が驚いて棒立ちになる。その横から、閃く剣ー
 ーやられる!
 そう思った瞬間、
「退却だ! 退けっ!」
 どこからか声が飛んできた。
 まわりを囲んでいた男が、バラバラと退き、屋根の向こうへ消えていく。
 ルウはほっと息をついた。
 仲間の姿を確認する。
 鎧に矢がつきささり、苦闘の跡が見られるものの、仲間はみんな無事だった。さすがは
王の選んだ勇者達だ。フェーンに至っては刃の触れた跡すら見当たらず、息もほとんど乱
れていない。
 この闘いで傷を負ったのは、むしろ相手の方だった。地面には、彼らの武器や、倒れた
男がそのままにとり残されている。
 そのうちの一人が、かすかに身を動かした。
「ん? …あの男、生きているぞ」
 ミュンが馬をおり、近寄っていって揺りおこした。
 男は小さく呻き声をあげ、うっすらと目をあけてミュンを見た。
「お前達、何者だ? なぜこんな格好をしている?」
 ミュンは厳しい口調で問い質した。
 どういうことなのか。ただの盗賊ではないのか。ミュンには何か心当たりがあるのだろ
うか。
 男は何も答えぬままだ。
「この町の流行りかもな。黒装束も、たまにはいい」
 フェーンが横から茶茶を入れ、ミュンはギロリとにらみつけた。
「おぬしは黙っておれ!」
 再び男へ目をうつし、
「貴様ら、ただの盗賊ではあるまい。なぜ、我々を襲った? いったい誰に頼まれた」
 男は低く笑い声をもらした。
「お前らなどに、閣下のことを話す必要はない。いいからさっさと殺せ!」
 うっかり漏らした一言を、ミュンは聞き逃さなかった。
「『閣下』だと? 誰のことだ? 何を企んでいる…」
 返事の代わりに、息の詰まるような奇妙な音が、男の口から洩れた。
 赤黒い染みがじんわりと覆面の上へ広がってくる。
「舌を噛んだか…」
 ミュンは舌打ちして立ちあがった。
「頭はあまり良くないが、よく教育されている。だが、我々を阻もうとする目的はいった
い…」
 考え深げに男の死体を見下ろすミュンを、フェーンがうながした。
「とにかく今日は先へ進もう。こんな連中がうろついているのでは、ますますここも物騒
だ。宿のあるところへたどりつかねば、おちおち眠ってもいられまい」
 ルウ達はその場を去り、南へ向かって歩き続けた。
 嫌な予感がした。
 魔物以外にも、行く手をはばむものがあるのか。
 何のために? この異変と何か関係があるのだろうか?
 やがて道の先に、轟音をたてて流れるレビュ川の流れが見えてきた。

                   (二)

 川のほとりまでやって来て、ルウ達はしばし途方に暮れた。
 増水した水が岸にぶつかり、激しい音をたてている。
 街道はその手前でとぎれていた。向こう岸には、道の続きが小さく見える。
「橋があった筈だが、流されたか。よほどの水かさだったのだな」
 リュワルドがため息まじりにつぶやいた。
 街道沿いの橋がこの調子では、他の橋も無事ではないだろう。
 ルウは川の面を眺めた。
 多少ひいてきているものの、いまだ流れは速く、にごった水の中へ無数の流木が浮いて
いる。馬で渡ることはできそうにない。
「水がひくのを待っていては、日が暮れてしまう。どうしたものか…」
 ミュンが考えこんでいると、フェーンが思い出したように手をうった。
「そういえば、この上流に渡し場があった。昔、雨の激しく降る晩に渡してもらったこと
がある。舟が流されていなければ、この有様でも渡してくれるかもしれぬ」
 望みは薄くても、他に方法はなさそうだった。
 一行は上流へ向かって馬を進めた。
 五分ほど行くと、壊れかけた小さな小屋に行きついた。
「おお、これだ」
 フェーンが言って、戸を叩いたが、返事はない。
 呼びかけてみても同じことだった。
 戸を押すと、簡単に開いた。中は水浸しだ。
 人の姿は見当たらなかった。机、ランプ、それに小さな椅子が横倒しになって転がって
いる。とっくに逃げ出してしまったのだろう。
 壊れかけた窓から、対岸が見えた。向こう側は崖だ。
 崖を掘るように階段が刻まれ、ここと似たような小さな小屋へと続いていた。船着き場
はおそらく水の中だと思われた。
 小屋の横には、一艘の舟が立てかけてある。川向こうは、洪水の被害もほとんど受けず
にすんだのだ。渡し守がいるとすれば、あの小屋の中か。
 ルウ達が呼びよせる方法を考えていると、ふとフェーンが部屋の隅に目をとめた。
 天井から細い紐が垂れさがっている。
「呼び鈴か?」
 そう言って紐を引っ張った途端ー
 けたたましいベルの音と共に、天井がカパッと開いた。
 ビュッと風を切って、太い槍が真っ逆様に落ちてくる。
 前髪を槍がかすめ、ルウははっと後ろに飛びのいた。
 一瞬前までいた床に、槍は深々と突きたった。床板にひびを入れ、ぶるぶる震える。
 ルウは息をのんで槍を見つめた。
 あとわずかでも遅れていたら、今頃命はなかったかもしれない。
「みんな、無事かっ?」
 ミュンが叫び、自分の服の袖を見た。その足元にも、別の槍が突き刺さっていた。破れ
た袖布には、赤い粘液がこびりついている。
 リュワルドが穂先を確かめた。
「毒がついているぞ」
「いったい何の真似だ…?」
 フェーンがつぶやいた時、
「誰か来る!」
 ルウが窓の外を指差した。
 茶色く渦巻く川の水を、一艘の舟が渡ってくるところだった。
 流木を避け、器用に接岸すると、中から人影が立ちあがって、小屋の方へと向かってき
た。
 一行は剣を抜き、油断なく戸口へ向けて身構えた。
 扉がゆっくりと開く… 
「ありゃ? これはいったいどうしたことで?」
 すっとんきょうな声があがった。
 田舎風の男が、くたびれた帽子を斜めにかぶって立っていた。
「どうもこうもあるか! なんだ、この仕掛けは?!」
 フェーンが怒鳴って槍を抜き、男の前へつきつける。
 男は一歩後じさり、首を振ってつぶやいた。
「なんのことやらわたしにゃさっぱり…」
「待って! あなたはこの川の渡し守?」
 ルウが制して、進み出た。
「そうでさあ。呼び鈴がなったんで来てみれば…。あんた方、いったい何もんですか?」
 ルウは仲間をふりかえった。
「この人はなんの関係もないのかもしれないわ。さっき襲ってきた男達の仲間が、先回り
してこんな仕掛けをつくっていたと考えてもおかしくない。この川を渡る人は、みんなこ
こを通るしかないもの」
 改めて渡し守の方へ向きなおり、ルウは尋ねた。
「向こう岸に連れていってほしいの。さっきの様子なら、渡れるでしょう?」
「もちろんでさ。この程度の増水は、しょっちゅうあるこってす。まあそれだけ荷物もお
ありだと、二度ほど往復せにゃなりませんが」
「では、私がルウ殿と一緒に行こう。よろしいかな?」
 ミュンが素早く言い、隣でフェーンが舌打ちした。
「まあ、ここは譲るとするか。では俺はリュワルド殿と一緒に行こう。馬も乗せられるな?」
「へっちゃらでさあね。さあ、こっちへ」
 渡し守について、ルウ達は外へ出た。
 二頭の馬と荷物を乗せると、渡し守はかいをとって中へ乗りこんだ。
「さあ、どうぞ」
「おかしな真似をしたら、命がないものと思え」
 フェーンが剣をつきつける。
 男は青ざめて後じさった。
 「ひぇっ…め、滅相もない…」
 舟はゆっくりと、岸を離れた。
 流木や漂流物を器用に避けながら、濁流の中を漕いでいく。
 さほど危険な様子も見せず、舟はまもなく対岸へついた。船着き場があるはずの階段よ
りほんの少し下流に寄ってしまったのは仕方あるまい。
 渡し守はまたこちらへ戻ってきて、残った二人を舟にのせた。
 ところが、なにごともなく舟を進ませ、川の真ん中辺りまできた時だ。
 なんの拍子か、突然舟が大きく揺れた。
「キャアッ!」
 ルウとミュンが馬もろとも水中へ放り出される。
 ミュンはとっさに舟べりへ手をかけていた。
 ルウの姿は見あたらない。
 後ろをふりかえった時、木片につかまって浮きつ沈みつ流されてゆくルウが目にはいっ
た。
「ルウッ!」
 ミュンは叫び、舟によじのぼろうとした。
 途端、ぐっと強く胸を突かれた。
 再び水中へつきおとされ、驚いて上を見上げる。かいを手にした渡し守が、舟の上に立
って見下ろしていた。
「な……何をする?!」
「へへ…あんた達を殺せば、たんまり褒美がはずまれるってんでね。なんの話かしらねぇ
が、こっちは生活がかかってんだ」
「では、さっきの仕掛け、さてはおぬしが…」
「悪いけど、ここで消えな!」
 男がミュンの指を蹴りとばした。
 逆巻く渦中に、ミュンの姿が吸いこまれていく。
 渡し守は鼻で笑い、船底から銛(もり)を取り出した。
 水中の影へ勢いよく突きたてようとしたあわやその時、
 白い筋が河上を横切った。
 背を貫かれた渡し守が呻き声をもらし、ぐっと前屈みになって水中へ転がりおちた。
 泥の中へ、赤い血の花が揺れて、消えた。男の姿は泥水の下へすっかり没しさっている。
「大丈夫か?! 早く舟に乗れ!」
 川の向こうから、弓を手にしたリュワルドが大声で叫んだ。
 ミュンはどうにか浮きあがり、舟の上へよじのぼった。
 もうさっきよりだいぶ下流だ。小屋も渡し場も見当たらない。
 ミュンはかいを手にしながら叫んだ。
「リュワルド殿、礼をいうぞ! して、ルウ殿は?…」
「川下の方へ流されていった。魔法で助けることはできぬのか?」
 横から怒鳴るフェーンに、ミュンはむしろ冷たい声で、
「残念だが、そんな都合のいい魔法はない。街道はもう少し下だろう。私はルウ殿を追っ
て川をくだる。大通りで落ち合おう!」
 「分かった! 気をつけられよ!」
 リュワルドが叫びかえした時には、ミュンは下流へ向かって漕ぎだしていた。

                   (三)

 木片につかまったルウは、浮きつ沈みつしながら急速に下流へと流されていった。
 川は右へ左へ蛇行しながら続いていく。
 汚濁した水が崖へぶつかり、白い波を上げる。ゴボゴボいう水の音に、流木のぶつかり
あう音が交じり合う。
 泳いで岸へたどりつこうという努力はとうに諦めていた。つかまっているだけで精一杯
だからだが、冷たい水と不安定な木片の動きに体力は着実に奪われていく。
 このままでは溺れるのも時間の問題だ。
 次第に意識が遠のいていくのを感じながら、鎧の肩当や胸当てをはずそうともがいてい
ると、どこか遠くから声が聞こえてきた。
「ルウ殿!」
 気のせいだろうか。
 それともこれは死を前にして天から呼ぶ声なのか。
「ルウ殿、こちらへ!」
 間違いない。
 もうろうとした意識を呼び覚まし、ルウは辺りを見回した。
 川のカーブの向こうから、舟に乗ったミュンがやってくるのが見えた。
 漂流物にぶつかりそうになりながら、危なっかしい格好で、近づいてくる。
 ルウのそばへ近づこうとするのだが、共に流されながらの曲芸だ。ともすると舟の方ま
で転覆しそうになる。
 鎧を脱ぎ捨てたルウは、思いきって木片を捨て、濁流の中を泳ぎ出した。
 剣が邪魔で思うように体が動かない。
 どうにか近くにたどりつき、舟べりに手をのばした。
 渦巻く水にすくわれ、あわや水中へ飲み込まれそうになる。
「つかまれ!」
 ミュンがかいをさしだした。
 しがみついたルウを引きあげようとすると、舟はぐらりと傾いた。
 泥水が船べりから入りこみ、ミュンは反対側に手をかけて危ういところでバランスを保
つ。
 何度も沈みそうになりながら、それでもとうとうルウは舟に乗り込んだ。
 全身から水をしたたらせ、荒い息をついたまま、しばらくは礼を言う余裕もなかった。
 ミュンは流れに逆らわず、水浸しになった舟を少しずつ岸へ近づけていく。
 やがて、具合よく広い浅瀬が見えてきた。
 まっすぐに漕ぎ進み、砂の中へ乗りあげる。
 先におりたミュンがルウに手を貸してくれた。
 両足が乾いた地に着くと、二人はようやくほっとして顔を見合わせた。
「おぬし、なかなか水練の技に長けているな。どこかで泳ぎを習ったのか?」
「うちの近くに川があって、よく近所の男の子達と一緒に遊んでいたんです。ミュン殿は、
舟に乗った経験でも?」
「いや、自分で漕ぐのは初めてだが、人間、必死になるとなんとかなるものだな」
「ありがとう。助かりました」
 ルウが改めて礼を述べる。
「いや。目の前で溺れようとしている仲間を助けるのは当然の責務。それより…」
 ミュンが険しい声になって何か言いかけたところへ、フェーンとリュワルドが馬に乗っ
て走ってきた。
「おお、無事であったか」
 フェーンはほっとした顔を見せたが、ミュンはそ知らぬふりで辺りを見回した。
「少し流されすぎてしまったようだな。街道まで戻らねばならぬ。…リュワルド殿、さき
ほどは助かった。礼をいうぞ。揺れる船上の的を射当てるとは、さすが弓の名人だ」
「いや」
 さっさと歩き出したミュンを見て、フェーンは憮然とした顔になった。
「なんだ、あいつは」
 ルウはくすりと笑う。
「あなたとは馬が合わないみたいだな」
「どうにも虫の好かぬ奴だ」
「無愛想だけど、根はいい人じゃないかな。私の命も助けてくれた」
「まあ、ルウ殿の命の恩人とあっては、むげにする訳にもゆかぬか」
 フェーンはおどけて言ったが、ミュンはそれからも黙りこんだままだった。
 疲労や寒さのためだけではない。胸中なにか秘めていて、口にしようかどうしようか迷
っているといった風だ。
 小一時間ほど過ぎた頃だろうか。
 陰湿な空気にさすがに心配になってきて、ルウは後ろから声をかけた。
「ミュン殿…」
 ミュンは待っていたかのようだった。
 歩みをとめて一同をふりかえる。
「もうそろそろ街道のようだな」
「え、ええ」
「町に着く前にかたをつけておきたいことがある」
 何やら不穏な物言いに、一行は固唾を呑んで次の言葉を待った。
 重苦しい沈黙の後、ミュンが鋭い声で言った。
「この中に裏切り者がいる!」
 呆気にとられて、ルウはしばらく口が利けなかった。
 ややあって、フェーンが口を開いた。
「裏切り者? どういうことだ?」
 ミュンが低い声で続ける。
「アースター国の魔術師ギルドのことは、おぬしも聞いたことがあろう。国中の魔術師達
を束ねる同盟だ。私もむろんギルドの一員。ギルドへの参加は、いわば正統な魔術師であ
ることの証だからな。ギルドの承認を受けていないものは、潜りか異端者ということにな
る。
ところでこのギルドには名だたる占い師も参加しておってな。王からギルドへ、この任に
あたる者を選ぶよう命がくだされた時、アースター国随一と言われる占い師が、旅の行く
末を占った。その結果、不吉な予言がなされたのだよ。
何者かが我々の旅を妨害するだろう。そして旅の仲間の一人がその者らと内通し、我々を
罠に陥れるであろう、と。
もう分かっただろう。占いに間違いはなかった。何者か、とは先ほどの黒衣の男達のこと。
そして、内通者とは…」
 ミュンはそこで声を大にして叫んだ。
「フェーンッ! おぬしだろう?!」
「なっ……」
 フェーンは言葉を失い、蒼ざめた顔でミュンを見た。
 手綱をひかれ、馬が足踏みする。
「…馬鹿な! 何を根拠にそんなことを?! 俺がそんなことをするような男に見えるか?」
 返事はない。
 ミュンが畳みかけるように続ける。
「我々をあの男達の待ち構えていた路地に誘いこんだのも、船着き場へ案内したのも、小
屋の中の罠を動かしたのも、みんなおぬしではないか。しかもこの中で傷すら負っておら
ぬのはおぬし一人。それが全て偶然だと言うのか?」
「偶然だとも。そんなことで…」
「では聞くがフェーン、ダンヌ侯爵とは何者だ?」
 フェーンが鼻白んだ。
 言葉を返せずにいるフェーンに、ミュンはニコリともせず告げた。
「迂闊だったな。私は近隣諸国全ての爵家の家系を記憶しているが、あいにくとそんな名
前の侯爵は聞いたことがない。ルウ殿は長老の推薦、リュワルド殿は王宮の兵士、どこの
馬の骨とも分からぬのはおぬしだけだ。どうせ金目当てでこの任に就いたのだろう。ふん、
より高額な金を積まれれば、見知らぬ仲間を裏切ることも厭わぬというわけか…」
「待ってくれ! 確かにダンヌ侯爵というのはでっちあげだ。俺は流浪の剣士だが、素性
の知れぬ流れ者では、任務の手前都合が悪かろうと思ってな。金が欲しかったのも事実。
主を持たぬ剣士にとって、生きていくには腕で稼ぐしかない。だが、あの男達とのことは
知らぬぞ。いくらなんでも、金で仲間を売りわたすほど俺は落ちておらぬ! 第一、そん
なことをしてなんになる。世界が魔物の巣窟となれば、俺だって困るではないか」
「ねえ、この人、悪ふざけは言ったりするかもしれない。でも、そんな悪いことする人に
は見えないけどな…」
 ルウがそっとかばった。
 始まったばかりの旅で、こんな光景を見るのは耐えられない。
 それに彼は、重苦しい旅をどことなく明るくしてくれる…。
「では、リュワルドやおぬしが裏切り者だというのか? だとすれば、私の目はよほど濁っ
ておるのだろうな」
「その占いに間違いはないの?」
「彼の占いは百発百中だ。そもそも占い師は聖者と同じ。嘘偽りを申すような者に占いは
できぬ」
 断定的なミュンの言葉に、フェーンは必死に反撃を試みた。
「しかし、俺は現にやっていないのだ! おぬしの方こそ敵の回し者ではないか? 我々
の和を乱すためにそのような虚言を…」
 ミュンが冷たく言い返す。
「リュワルド殿が救ってくださらなかったら、私は溺れ死にしていたかもしれぬのだ。命
を張ってまであんな演技をするくらいなら、眠っているうちにでも魔術でおぬし達を葬り
さろう。もう悪あがきはよせ! 見苦しいぞ。だが幸いルウ殿も私も助かった。神聖な旅
の始まりを仲間割れの血で染めようとは思わぬ。おぬしも騎士の端くれならば恥を知れ。
今のうちにどこへなりと消えるがよい!」
 愚弄されて、フェーンは耳まで真っ赤に染めた。
「そうか! そこまで言うのなら消えてやる。こちらとて、こんな侮辱を受けた仲間と一
緒に旅を続けたいとは思わぬわ!」
 馬首をひるがえし、ルウの方をふりかえる。
「ルウ殿、馬はいらぬか? 必要ならばさしあげるが?」
「いいわ。ありがとう。でも…」
「それでは皆様、ごきげんよう!」
 フェーンは一言言い残し、風のように駆けさった。
 見る間に小さくなっていく影を、ルウは言葉もなく見送った。
「…ミュン殿、先ほどの話、確かなのか?」
 リュワルドがためらいがちに尋ねた。
 ミュンは確信をもってうなずいた。
「さもなくば、ギルドの権威は地に落ちる。さて、もう我々も行こうではないか。今日は
早く体を休めねばな。やれやれ、これで安心して眠れるというもの」
 そう言って、先に立って歩き始める。
 ルウ達も黙って後にしたがった。
 本当に、あれでよかったのだろうか。
 ルウは釈然としない思いを噛みしめた。
 王宮を出る前夜、自分も疑念に襲われた。でも、こんなことになるなんて…
 幸い、川を渡ったこちら側は、魔物の被害も出ていないようだった。
 日の落ちる前には町にたどりつき、どうにか宿にありついた。
 濡れた服をかわかし、暖かい夕飯にありつくと、疲労は次第に和らいでいく。
 それでも、仲間を一人失った後味の悪さはどうしようもなく、ルウは重苦しい気分で床
についたのだった。

                                  つづく

←Topへ戻る