聖樹伝説 第三話
怪物の紋章
(一)(二)

 

                   (一)

 早朝の淡い光が、城の尖塔を青く染めていた。
 まだ目覚めぬ町はしんとして、鎧戸を下ろしたまま日の登るのをじっと待ち受けている。
 ルウの乗った馬がブルル、と小さくたてがみを振った。
 首を叩いてやりながら、ルウは城の入り口をふりかえる。
 ちょうど最後の馬が、厩から連れ出されてくるところだ。王が与えてくれた五頭目の馬。
食料、テント、金銭…旅に必要な一式を重たそうに背に背負っている。
 いよいよ出発するのだ。重い任務をせおった旅へ。
 緊張に背筋が伸びた。
 大勢の人々の命、この国の行く末が、この旅の上にかかっている。なんとしてもビュウ
に会わねばならない。
「これで全部か?」
 連れてこられた馬を前にして、王がまわりを見回した。
 ルウ達を送り出すのは王と女王、それと数人の兵士達だけだ。城は眠りについたまま、
なんの物音も聞こえない。
 平和で穏やかな朝の空気。
「足りぬものがあれば、今のうちに申すが良いぞ」
 足りぬもの、どころではなかった。この旅のために、王は秘蔵の駿馬をつかわし、当分
は困らぬだけの金貨と立派な装備を与えてくれた。
 ルウなどは目にしたこともないほどの大金だ。
 逆に言えば、どんな装備を持ってしても、この旅が成功するかどうかは分からなかった。
 魔物相手にどんな武器が通用するか、いったい誰に分かるというのか。
 リュワルドが深々と頭をさげた。
「身にあまるお心遣い、光栄です。陛下こそどうかご無事で。王宮の守りにつけぬのが心
残りですが、必ずや朗報を持ち帰ってまいりましょう」
 ひとしきり名残を惜しんでから、ルウ達は王に別れを告げた。
 人気のない広場を、馬のひづめの音だけが辺りにカツカツと響きわたる。
 遠くで見送る王らの姿がだんだん小さくなっていく。
「淋しい旅立ちだな」
 フェーンが城をふりかえってぼやいた。
「朝早くから叩き起こされて大変な旅に出かけるところだというのに、城の兵士は夢の中
か。のんきなものだ」
 リュワルドがたしなめるように、
「いらぬ騒ぎを起こしては、と陛下が配慮なさったのだ。秘密裡にことを運ぶのはそれだ
け任務が重大な証拠。これからも軽々しく異変を口にしてはならぬぞ」
「少しは自覚しろ、とな。お堅い奴だ」
 大仰にため息をつくフェーンに、ルウは思わず笑いをもらした。
 朝の街道は穏やかで、こうしていると疑ったりした自分が愚かに思えてくる。
 フェーンはもちろん、あいかわらず口数少なに黙っているミュンも、悪い人には見えな
い。
 昨晩の騒ぎもどこか遠く、夢のように感じられた。
 実際、夢だと思っていたかもしれない。廊下に残る、あのわずかな焦げ跡さえなかった
ら…
 広場から続く街道を、ルウ達は一路南へ下っていった。
 町を抜け、田園地帯を通り、昼をまわる頃になって村らしきものに辿り着いた。
 家々がまばらに並び、辺りは田舎町らしい静けさに満ちている。
 いや、それにしても妙だ。
 通りには人影ひとつ見当たらず、昼時だというのに窯を炊く匂いも流れてこない。
 ミュンがふと馬を止めた。
 その視線の先を追って、ルウは息を飲んだ。
 道の端に白骨死体が転がっていたのだ。
 頭蓋はひしゃげ、肉は一片たりと残っていない。だが、血のこびりついた皮袋が転がっ
ているところを見ると、まださほど古い死体ではないようだ。
「魔物に襲われたのか?」
 リュワルドがつぶやいた。
 ルウは顔をそむけた。
 むごい話だ。こんな有様で、道端に放っておかれているとは。
 弔う者はいないのか。いや、今頃他の村人も…
「やっと休めると思ったが、そうは問屋が卸さぬようだな」
 フェーンが残念そうに言った。
「生きている人間を探して、話を聞くしかないか。残っておれば、の話だが」
「魔物も潜んでいるかもしれぬ。気をつけねば…」
 リュワルドが言ったその時だった。
 甲高い女性の悲鳴が、辺りの空気をつんざいた。
 広場の向こう側だ。
「誰か襲われてる!」
 みんなが止める暇もなく、ルウは馬の腹を蹴って駆け出していた。
 広場まできて立ち止まり、もう一度、耳を澄ます。
「助けて!」
 家の裏手から、悲痛な声があがった。
 壁を回りこんだルウは、思わず息を呑んで立ちすくんだ。
 地面の上で少女が腰を抜かしていた。その上へ、翼を生やした巨大な怪物がかがみこん
でいる。
 鷲のような頭、ライオンに似た顔、しっぽは蛇のようにのたくっている。
 それはまるで寝物語に聞いた…
 ーグリフィン…!
 言葉が頭を駆け抜けた時には、剣を手にして飛びだしていた。
 新参者に気づいたグリフィンが、頭をもたげ、飛びかかってきた。
 怪物の下にもぐりこみ、剣を上へはねあげる。
 堅いしびれが腕につたわり、ルウは目を見張った。
 獣ならやわらかい筈の腹の皮膚には、かすり傷ひとつついていない。
 光沢を持った腹部が目の前にせまり、よける間もなく、グリフィンの体がルウを上から
押さえこんだ。
「くっ…」
 抜け出そうともがいたが、魔物は身じろぎもしない。まるで石像か何かのようだ。
 これほどの重い体で飛びあがることができるとは信じがたかった。これが魔獣の力なの
か?
 剣の刃はグリフィンの腹の下敷きになっている。
 刃をねじり、怪物の前足をてこに渾身の力をこめて柄を押し下げた。
 さすがに少しは痛んだものか、一瞬怪物の力が弱まった。
 その隙に素早く抜けだし、体勢を立てなおす。
 ようやく立ち上がった少女が、再び悲鳴をあげた。
 グリフィンの尾が少女へむかって鎌首をもたげていた。
 ルウは飛びだし、蛇の尾へ剣を叩きつけようとした。
 尾が狙いを変え、ルウの腕に牙をたてる。
 鋭い痛みが腕から肩へ駆け抜けた。
「う…」
 剣をとり落としかけたところへ、尾がするりと巻きついた。
 ぶん、と恐ろしい力でルウの体を投げあげる。
 目の前に鷲の顔が迫った。尖った嘴がくわっと開かれ、もう駄目だと思った瞬間。
 銀光が二条、真紅の目へたてつづけに吸いこまれた。
 グリフィンは身をよじって咆哮し、つきたった矢を抜こうと、前足をばたつかせる。
 ルウは体をひねって地面へ着地し、後ろをふりかえった。
 リュワルドが手にした弓矢をおろし、ほっと息をついている。
 仲間が助けにきてくれたのだ。それにしても、なんという早業だろう。あの距離から、
あんな一瞬の内に…
 隣ではミュンが呪文の詠唱をはじめている。
 目を射られ、獲物に逃げられたグリフィンは、怒りのおたけびをあげながら声のする方
へ踊りかかった。
 呪文を唱える馬上のミュンを、鋭い爪で引き裂こうとする。
 ルウは地を蹴って魔物の横に並び、大きく開いた口の中へ剣を逆手に叩きこんだ。
 咆哮が途絶え、口から血があふれだした。
 ミュンの詠唱はもうすぐ終わるところだ。
 ルウは素早く剣を抜きとり、横へと飛びすさった。
 同時に、真っ赤な炎が怪物を襲った。
 またたく間に怪物をつつみこみ、火花を散らして燃え上がる。
 ルウは後ろに座りこんで呆然としている女性を助けおこし、自分のそばへひきよせた。
 グリフィンは地面をのたうちまわり、火を消そうともがいた。
 魔法でつけられた炎は、そう簡単には消えない。
 最期に何度かくるくる回ると、グリフィンはドサリと地面に倒れふし、そのまま動かな
くなった。
 魔物が黒焦げのかたまりに変わった頃、火はようやく消え去った。
 かすかな煙だけがぶすぶすと音をたててたちのぼっている。
「あ…ありがとうございます」
 ルウの腕の中にいた女性がようやく気をとりなおし、立ちあがって礼をのべた。
「なんとお礼をいったらいいか…せめて何か差しあげたいのですが…」
「なに、礼には及ばぬさ」
 そう言ったのはフェーンである。
「おぬしは何もしておらぬだろうが」
 リュワルドが抗議した。
「まあ、そう堅いことは言うな。見返りをせびろうという訳でもなかろう?」
「それはそうだが」
 少女が首を横にふった。
「どうかぜひ、お礼させてください。この先に教会があります。お食事がまだなら、召し
あがりながら、少しお話でも…」
「それはありがたい、ようやく昼食にありつける」
 フェーンが言って、早速馬をかえす。
 リュワルドが苦笑しながら後を追い、ルウとミュンも少女について歩いていった。

                    (二)

 教会は広場から少し離れた村外れにポツンと建っていた。
 魔物は村の中心部を襲ったらしい。広場付近の惨状に比べ、ここは被害も少ないようだ。
 教会の白壁は、砂に黄ばんでいるものの傷跡ひとつなく、左手の井戸の上へ木が心地よ
げな影を落としている。少し離れたところに牛が一頭つながれて、眠たげに尻尾をふって
いる。
 教会の中は静かで、ひんやりとしていた。
「グラム神父…!」
 少女が奥へ声をかける。
 祭壇の隣の扉から、僧衣を身につけた神父が姿をあらわした。
「マーナ。どこへ行っていたのかね?」
 少女が怪物に襲われ、ルウ達が助けてくれたことを手短かに説明する。
 神父は一行を顧みて十字を切った。
「あなた方に神の御加護があらんことを…。こんな時に、どこへ行きなさるおつもりか?」
「この方達、お食事がまだのようですわ」
 マーナが神父を押しとどめた。
「とりあえず、奥へ入っていただいて…」
 教会の中の小さな部屋で、ルウ達は温かいスープにありついた。マーナがルウの腕につ
いた蛇の噛み跡に膏薬を塗ってくれる。幸い、傷は深くないようだ。
 食事を終えてひとごこちつくと、ルウ達は旅のことを話し、この村で何が起きたのか神
父らに尋ねた。
「あの忌まわしき物どもが襲ってきたのは、一昨日の晩のことです」
 神父は思い出すのもぞっとするように話した。
「それまでここは平和な村でした。ところが一昨日、どこからともなく魔物の大群が現れ、
村中を荒らしまわっていったのです。私たちには為す術もありませんでした。魔物達は恐
ろしい勢いで人も家畜も食いつくし、屈強な若者達でも家族を安全なところへうつすのが
やっと…。朝になると魔物達も満腹したのか皆いなくなってしまったのですが、まだ残っ
ている物がいたとは…」
 恐ろしげに頭をふる。
「魔物達がどこへ向かったか、ご存じか?」
 リュワルドが聞いた。
「南へ向かった、と何人かの者が言っております。南方へ行かれるのでしたら、しばらく
様子を見られた方が良いかもしれません」
「だが、ぐずぐずしている暇はない。これだけ魔物がのさばり始めているとなれば、ます
ます急いで原因をつきとめねば…」
「一昨日の晩襲ってきた、とおっしゃったがー」
 フェーンがふと思いついたように身を乗りだした。
「王宮へ使いは出していないのか? 今朝たった時には何も報告されておらぬようだった」
「大変な騒ぎでそれどころでは…今からでも、誰か探して使いにやらせます」
「もう遅い…」
 フェーンはつぶやき、背もたれによりかかった。
「これだけの被害が出てからではな。魔物ももう、ここには襲ってこぬだろう。…こうし
た時こそ各地との連絡を緊密にとらねばならぬのに、のろしすら用意されていないとはな
んと無防備なことか」
「申し訳ありませぬ。もう長いこと争いごともなかったもので、見張りの塔も無人になっ
ておりました」
「この村が悪いのではない。魔物のことなど、予期すらしていなかったのからな。これは
統治者の失策だ」
「フェーン、不敬だぞ」
 遠慮のない物言いに、リュワルドが顔をしかめたが、フェーンは臆した様子もなく抗弁
した。
「被害の広まる前に、すぐにでも兵を出して村人を救えぬようでは、王のいる意味がない
ではないか。今からでも国中に警備体制を敷くべきだ」
 少し離れて一同の会話をじっと聞いていたミュンが、初めて口を開いた。
「神父殿、魔物の大群が襲ってきたとおっしゃったが、どんな様子だったか覚えておいで
か? 種類や、数は…?」
「数は…四十はくだりませんでしたな。魔物の種類については私はよく分かりません。コ
ウモリのような羽をはやしたもの、大型のトカゲのようなもの、狼に似たもの…見たこと
もない奇怪な生き物ばかりでした。あんな忌まわしい物どもが、まだこの世に存在してい
たとは…」
「異種族が群れになって襲ってきたと…妙だな…」
 ミュンが低くつぶやき、顎に手をやって考えこんだ。
 リュワルドが腰をあげた。
「そろそろ出発した方が良さそうだ。南の町がどうなっているかも気になる。魔物の大群
とやらをを実際目にしてみれば、何か分かるかもしれぬしな」
「お待ちください、これを…」
 立ち去りかけるルウ達を、マーナがひきとめた。
 金色の、紋章らしき板をさしだしてみせる。
「グエッグ…?」
 ちらりと目にしたミュンが、驚いたようにつぶやいた。
 ルウも板をのぞきこんだ。
 奇怪な化け物が浮き彫りにされている。
 邪悪に輝く飛び出た目玉、なまずのような口。逆三角の上半身から長い両腕をたらし、
カエルにもにた細い足でひょろひょろと立っている。
「なんだ、これは?」
 フェーンが怪訝な顔をして尋ねた。
「あなた方は、ゴド森へ向かうところでしょう? ならば、これはお役に立つ筈です。こ
のまま南に下っていくと、ハイベルグ王国を抜け、レニミト王国という小さな国へ出ます。
ハイベルグとレニミト王国は以前争っていたために、こちらから通り抜けるのは困難です。
レニミト王国の王様は気紛れな方で、気分しだいで旅人の首をはねてしまうこともあると
言います」
「商人達はどうしておるのだ」
「特別に許可された者達は、通行証を持っております。通行証があれば、とがめられずに
国境を通り抜けられます」
「するとこの悪趣味な紋章が、レニミト王国の通行証だという訳か?」
 顔をしかめるフェーンに、マーナはうなずいた。
「それと、レニミト王国の水晶山を越えた先…レアテルという街で、私の父が鍛治屋をし
ております。中心街近くに看板が出ているので、すぐ分かると思いますわ。父は、娘の私
がいうのもなんですけれど、この付近の国々ではまず並ぶ者のない腕前です。この紋章を
見せて、マーナから預かったとお告げになれば、特製の武器をつくってくれることでしょ
う」
「特製の武器?」
 ルウが思わず口をはさむと、マーナは謎めいた微笑を浮かべた。
「持つ者を選ぶと言われている特別な武器です。でも、あなた方ならきっと使いこなせる
はずですわ。まずは父にお会いになってください。資格のあるなしはそれで分かります」
「なんにせよ、これでレニミト王国を抜けられるのならば助かる。ありがたくいただいて
おこう」
 ミュンが紋章を受けとり、自分の荷の中にしまった。
 神父とマーナに見送られて、ルウ達は再び街道を歩きはじめた。
 通りは静まりかえり、今度こそなんの音も聞こえない。
 ところどころに家があるが、逃げてしまったのか隠れているのか人の気配も感じられな
かった。風だけが小さな音をたてて、通りの砂を巻きあげていく。
 黙々と馬を進めていると、ミュンがルウのそばへ馬をよせてきた。
 まわりには聞こえないような低い声でささやきかける。
「無茶をする」
 ルウは顔を赤らめた。
「ごめんなさい。何もできないくせに、ついカッとなってしまって…」
「グリフィンに剣で打ちかかるなど、とんでもないことだ。魔力の弱い子供だったからい
いようなものの、成獣ならば今頃は毒がまわってとっくに死んでいるだろう。だが…」
 ミュンはルウの目を見つめた。
「おぬしなら、信用できそうだな」
「え?」
 フードの奥でミュンが初めて微笑んだようだったが、確かめる暇もなく彼は歩調をずら
し、列の先頭へと出ていった。
「この様子では、夜になる前にレビュ川を渡らねばなるまい。宿にも泊まれず、魔物に荒
らされた町で野宿するのは危険だ。…急ごう!」
 ルウ達は歩調を早め、荒れ果てた村を後にした。
 日は中天をまわると、急に旅路を急ぎはじめるのだ。
                                  つづく

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