Project Seven

presented by PSY

第二話・脅迫


「・・・・・・できますか、藤田さん。」
 突然話をふられて、譲は机の上に投げ出していた足を下ろした。
「すみません、なんとおっしゃいました?」
 ここはWS(ワールドスマート)ソリューション社の遠隔(リモート)オフィスだ。ディスプレイには、会議の面々が小さな長方形の中に並んでいる。
 左下には背広を着たまじめな姿の譲。もちろん衣服は合成だ。
 このくそ暑いのにいちいちネクタイなんてしめてられるか。
「つまりね、EI(エクセレント・アイディア)の開発は来月末で終了と、そうおっしゃっているんだよ。」
 狩野課長が声をはりあげた。
 何度聞いてもかんに障る甲高い声だ。
「ですが、COS版EIの設計はまだ七割方しか・・・・・・」
「だからね、COS(コス)バージョンはVRーOSバージョンと同じ機能だけでいいと言ってるだろう。まったく何を聞いているのかね。会議中に居眠りさせるために君たちを雇っているわけじゃないんだがね。」
 だったら、あんた達はどうなんだ?!
 叫び返したい気持ちをようやく押さえる。
 会議、会議、また会議。いつも同じ議論の蒸し返しだ。
 提出した筈の資料の中身もろくに覚えていはしない。お陰で何度でも同じグラフの使いまわしができる。
 こんなことをしている間に、もうひとつ別のソフトだって作れるかもしれない。
「VRーOSとCOSでは性能がまるで違います。COSーコラボレーションOSは、その名の通り何台も連結して協調作業が得意です。EIが真価を発揮できるのは本来こうした並列処理が・・・・・・」
「VRーOSの発売元であるトータル・デバイス社から要請がきてるんだよ。COSだけ先行するような真似は困る、とね。EI(エクセレント・アイディア)はトータル・デバイス社のVR−OS3.5 for Enterpriseにバンドリングして売り出す予定だ。ここでトータル・デバイス社の機嫌を損ねるわけにはいかない。」
「そのために、一番の売りをカットすると?」
「それは君の意見だろう。どのみち、もう決まったことなんだ。背に腹は変えられない。」
 だったらなんで今まで一言も言わなかったんだ?
 譲は冷笑する。
 先週はこの仕様でいいと言っていた筈じゃないか。自分の発言くらい覚えとけ。
「ただ、機能を減らすとはいっても、COSとVR―OSはまったくコンセプトが違います。今から仕様を変更して、開発が間に合うかどうか。」
 同じことを考えてたらしい、画面左上に写っていたプロジェクトリーダの鷺沼が、助け船を出してくれる。
 狩野課長は肩をすくめた。
「それは君達技術屋の仕事だろう。短期間でいい設計をしてもらうために、優秀な君らへ高い給料を払っているのだからね。」
 このくそ課長!
「仕様変更した場合、設計はどのくらい遅れますか?」
 WS本社の中尾課長が、場をやわらげるように尋ねた。
 プロジェクト・リーダの鷺沼が共有画面(ホワイトボード)に線表を表示して説明を始めるのを見ながら、譲はひっくりかえってため息をつく。
「まあ、そう熱くなりなさんな。」
 パーティションごしに同僚がのぞきこんだ。
 三河 (つとむ)。同じ遠隔(リモート)オフィスで働いていて、譲と同じ、契約SE(システムエンジニア)だ。
 譲もかなりラフな格好だが、務の方はラフを通りこして怪しい。
 短パンにサンダル履き、アロハシャツ。目を保護するためだとか言っているが、濃いサングラスをかけている。
 そのくせ、上司が訪問する日はちゃっかりとスーツで決めてきたりするから油断できない。頭の切り替えが速いというか、要領がいいのだ。
 こいつと机を並べて働くようになって、もう一年か。
「お偉いさん方がこうやってもめてる間にも、どんどん時間はたっていくんだぜ。発売直前になって徹夜を続けるのは俺達だ。第一そんな突貫作業でろくなソフトが作れるわけない。エンド・ユーザも気の毒なもんさ。」
 務は画面に顔を戻した。
 ディスプレイの向こうでは課長とプロジェクト・リーダーが激しく言い争いをしている。
 会社が通信費をケチって半二重(片方向)通信にしてくれたおかげで、二人が話している間譲たちの会話は向こうに聞こえない筈だ。
「会社がほしいのはいいソフトじゃない。売れるソフトだからな。」
 務はぽつりとつぶやいた。
 譲がキッと顔をあげる。
「ホントにいいソフトは必ず売れる。」
「そいつは違うね。」
 務が、今度ははっきりと言い切った。
「売れる売れないは他の会社とどれだけ手を組めるかだ。いいソフトでも提携に失敗すりゃあ結局はおじゃんさ。」
 そう、あんたは正しいさ、多分。
 譲は心の中でつぶやく。
 広告と企業の合従連衡が売り上げを決める。だとしたら、俺達開発者ってのはいったいなんだ?
 経営ばかり強い会社の作った、バグだらけのソフトをつかまされるエンドユーザは?
「いいかげんなソフトを出したら、バグフィックスにえらい苦労するぜ。ソフトの改訂だの苦情処理だの、後でかかる莫大な予算のことは考えてるのかね?」
「お偉方はソフトのことなんざ何も分かっちゃいないのさ。むしろ、ちょっとぐらいバグがあった方が、次期バージョンが売れるなんて思ってんじゃないの。こないだ平田の野郎がそう言ってたぜ。あんまり完璧なソフトを作られても困るってな。」
「平田部長が? わざとバグを入れろって?」
「いや、そこまでは言ってないけど。あんた、真面目すぎんだよ。上がいいかげんなんだから適当に調子をあわせて仕事やってりゃいいのさ。百パーセントの仕事をしようとしたら、疲れるだけさ。」
 だからって、わざといい加減なソフトを作れっていうのか。冗談じゃない。
 そう口にしようとした時、
 ピロン。
 パソコンが小さな音をたてた。
 中央に封筒のマーク。
 メールだ。
 開いてみて、一瞬譲は凍りつく。
 ただ一言、赤い文字。

 I WILL CRACK YOU(お前をクラックする)

 差出人の名前は?

 NOBODY(名無し)・・・・・・

「くそ、なんだってんだ。」
「どうした?」
(たち)の悪いいたずらさ。ヒマ人が。」
 即効でごみ箱にドラッグした。
 こんな阿呆につきあっている暇はない。
「なんだ? 不幸のメールか? ラブレターか?」
「さあね。I WILL CRACK YOUだと。」
「差出人は。」
NOBODY(不明)。発信アドレスも不明。」
「お前、誰かに恨み買ってんじゃないのか?」
 三河の声はどこかからかうような調子だ。
「それって素人が書いてるとは思えないぜ。どっかのハッカーを刺激しちまったとか。」
「俺が? お前じゃあるまいし・・・・・・」
「お前みたいな大人しそうなのが、意外と極悪なウイルス作ってたりするんだよな。」
「はん。」
 三河の茶化しを譲は鼻で笑う。
 あんたがやったんじゃないの? と思わないでもない。
 務の奴、学生の頃は、ずいぶん茶目っけのある良性ウイルスをばらまいていたらしいじゃないか。
 犯人にしちゃ落ち着き払いすぎてはいるけど。
 務がふと思い出したように言った。
「ハッカーっていやぁ、この間も社内ネットワークに侵入した奴がいたらしいぜ。幸いたいした被害はなかったみたいだが、今度のメールもそいつの悪ふざけって可能性もある。用心しとくこったな。」
「ご忠告ありがとう。気をつけることにするよ。」
 譲は再び画面に目をうつした。
 会議は当分終わりそうもない。
 二人は目を閉じ、あくびをかみ殺した。

「で、結局犯人は分かったわけ?」
 エリカが興味深々といった様子で身を乗り出した。
「それがね、WSソリューション社のホームアドレスになってるのよね。」
 奈々が腕組みする。
「あんなお堅そうな会社からねえ。」
 そうつぶやいたのはスヌーピー。
 鼻がおっきな、例の犬の形。ときどき鼻をひくひくさせてあたりの様子をかぎまわる(スニフする)。とってもクール!
 ここはバーチャル・スペースの裏通り。ハッカーの聖域(サンクチュアリ)だ。
 大勢のハッカーがここに集まってきて情報交換したり大物に攻撃(アタック)する時の仲間を見つけたりする。
 困った人たちも飛びこんでくる。たとえば、悪質な犯罪者ハッカー(クラッカー)にシステムを破壊されたとか。被害者達を助けるのもハッカーの仕事だ。
 壁紙は全体に黒くて薄暗く、いかにも地下サイト(アンダーグラウンド)っぽい。壁にかかるのはケヴィン・ミトニック、闇のダンテ・・・・・・歴代のハッカーの肖像画。青緑色のランプが、ところどころに光っている。
 部屋の中には便利な調度品の数々。セキュリティ機能を備えた銀色のキャビネットだとか、人の言葉を記録するオウムとか。
 市販のものもあるし、ここのメンバーが徹夜で作った自慢の品もあるけど、どちらにしろ買ったものはほとんどない。どこかの<ローカル>・バーチャル・スペースから無料(ただ)でコピーさせてもらったものばかりだから。
 今ここにいるのは奈々たち三人だけ。みんなボディ・スーツを使っているおかげで、動きは結構リアルだ。
 本当のところ、あとのみんながどんな姿をしているのか奈々は知らない。男か女かすら怪しい。最近の音声合成ソフトは充実しているし、男のくせに女言葉で話したがるネットおかま(ネカマ)なんてのもいる。
 でも、そんなことはどうだっていいのだ。話していて楽しいか、信用できる相手か、どれだけ(スキル)があるか。大事なのはそれだけ。
「SEVENの端末に忍びこむなんて、サラリーマンにしちゃ随分大胆だよね。間違いの可能性は?」
「少なくとも、JOHの署名で発信されたメールのアドレスは全部あの会社になってる。ここ一ヶ月ずうっと。だから犯人は会社の中にいる筈。会社のメールサーバが誰かにハックされたんなら別だけど。」
 奈々は答えた。
 その可能性はあまりない。大きい会社のメールサーバはたいていちゃんとした業者に外部委託(アウトソーシング)されていて、ハックされることはあっても一ヶ月も放置されたままなんてことはほとんどない。
「認証局をハックしてたり・・・・・・ね!」
 エリカの冗談めかした言葉を、スヌーピーが即座に否定した。
「あり得ない。」
 もちろん、エリカ自身本気で言ったわけではない。
 認証局はWWVS(ワールド・ワイド・バーチャル・スペース)の個人認証をすべて管理している。仮想空間(バーチャル・スペース)に入る人間はすべてここを経由しなければならない。セキュリティレベルはもちろんぴかいちだ。
 仮想空間(バーチャル・スペース)に誰かがログインすると、パスワードによって高度に暗号化されたIDが認証局に送られる。認証局は、ランダムな光の点滅を信号にして送り返す。網膜パターンと虹彩の収縮・拡大情報が再び暗号化されて送られる。認証局はデータベースを検索してオブジェクト形状を与える。たとえば、奈々なら胸にSEVENのIDがついた赤いスーツの女の子。
 今までのところ、認証局をハックした人間はいない。そんなことができたら、それこそやりたい放題。世界中の警察から追われる身になるだろう。
「第一、それができてたら・・・・・・あたしの姿でHOCに入ってくる筈でしょ。」
 奈々が言った。
「まあそりゃそうね。」
「そもそも、そいつはどうやってSEVENのマシンに入り込んだわけ?」
「それが分かりゃ、苦労はしないんだけどねぇ。」
 奈々はため息をつく。
 一番よくある手は、のっとりだ。
 ユーザがどこかのVSサーバ・・・・・・バーチャルスペースを提供するサーバ・・・・・・に接続要求を出すと、VSサーバは認証局に身元を問い合わせる。認証局はVSサーバとユーザの端末にオブジェクトデータを送る。いったんIDや形状などの属性を読み込んだら、後は別のVSサーバ上へ移動するまで、VSサーバとユーザ端末(クライアント)が直接やりとりする。
 このVSサーバとクライアントのデータを途中で横どりして改ざんしたらどうなるか。たとえば、VSサーバに第三者を信じるよう命じられる。後は自分のIDを使ってVSサーバにアクセスしたい放題だ。
 でも、奈々が自分の家の端末にアクセスしている最中に 誰かにデータを改ざんされて、気づかないなんてこと、あるだろうか?
 もちろん、方法はそれだけじゃない。基本ソフト(オーエス)やメールソフトの欠陥(バグ)を使って忍びこむこともできる。同じローカルネットワーク上の別のサーバに潜入して、VSサーバへ命令を出すこともできる。
「なんにしろ、WSソリューションを調べれば全部判明するわけ。で、二人に手伝ってほしいんだけど。」
「まずは、ソーシャル・エンジニアリングね。あたしにまかせて。」
 エリカがクスクス笑い、奈々に確認する。
「WSソリューション社のメールサーバって、社内にあるの?」
「プロバイダに委託してる。GPEジャパンにサーバを置いてある筈。」
 奈々が言いかけるや否や、スヌーピーがすばやくGPEジャパンの電話番号を検索した。
 発信番号を偽って、WSソリューション社に電話をかけるつもりだ。
 スヌーピーがTV電話の画面を引き出したとたん、チャイムの音が鳴り響いた。
「やばい、誰か来たよ。」
「ちょっと見てくる。」
 奈々は外へ飛び出した。
 ここの仮想部屋(ルーム)の入り口は小さな二重トビラになっていて、細い階段がずっと上の方へ続いている。階段の上は公園につながっている筈だ。
 ドアを開けると、階段をかけあがっていく黄色い影が見えた。
「あ、あいつっ!」
 奈々が叫び、後を追おうとする。
 黄色い影はすばやく階段をのぼり、視界の外へ消えていく。
 上に出て辺りを見回したけれど、姿はない。多分もうログアウトしてしまったのだろう。
「どうしたの、SEVEN?」
 エリカが後を追ってきた。
「またあいつだ。あたしの仮想部屋(ルーム)のまわりでも何度か見かけた。」
 奈々は舌打ちした。
 黒いスーツの男を追いかけている時にも見た。家のルームの窓の向こうをうろうろしていたこともある。
 とはいえ、実際に仮想部屋(ルーム)の中に入ってきたことはない。もちろん、セキュリティ対策は万全にしてあるし、そう簡単に入れる筈はないけど。
「ストーカーじゃないの?」
 エリカのからかい半分の言葉に奈々は身を震わせた。
「やめてよ、気色悪い。さ、戻ろ。」
 下に戻って作業を再開する。
 TV電話用アプリケーションを呼び出して、電話を発信。
 2、3コールでWSソリューションの担当者が顔をあらわした。
「はい、WSソリューションです。」
「いつもお世話になっております、GPEジャパンの川田と申します。」
 エリカが澄ました声でいった。
 ソーシャル・エンジニアリングというと聞こえはいいが、要は単なる詐欺、口八丁のだましのテクニックだ。度胸はいるが、どんなハイテクを駆使するより能率がいいこともある。
 相手の端末には、オペレータの顔が映っている筈。もちろんビデオで、声にあわせて口パクするだけだけど、一秒間十五コマの圧縮映像ではこれで十分自然に見える。
「ああ、お世話になります。」
「そちらにJOHというIDを持つ社員はいらっしゃいますか? 実は先日、メールサーバに不具合がありまして、データの一部が欠損してしまって。」
「はいはい。ああ・・・・・・ちょっとお待ちください。」
 担当の男性が消えて、少しして戻ってきた。
「おりますね。藤田 譲・・・・・・電話、転送しましょうか?」
 ここで動じないのがエリカの凄いところだ。
「いえ、実はちょっと確認したいことがありまして。JOHというIDで容量を超すくらいの大量のメールが送られてきたんです。それでメールサーバに負担がかかってしまって・・・・・・」
「ああ、申し訳ありません。」
「本当にご本人が送ってきたものかどうか確認したいんです。少々お伺いしますが、藤田様は・・・・・・」
 エリカの誘導尋問を、奈々は舌を巻いて見ていた。
 数分後にはメールのやりとりに使っているポートから、端末の名前、ネットワーク機器の種類、パケットフィルタリングの詳細まで話させてしまった。
 何度見ても感心する。
「ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。」
 最後まで落ち着き払って電話を切ると、エリカは奈々に向かってVサインを突き出してみせた。
「サンキュ。さすが!」
「税金込みで、三千円ね。」
「税金? よく言うよ。」
 奈々は実世界側でカードを読取装置(リーダ)に差し込み、送金する。
 黙々と端末をいじっていたスヌーピーが顔をあげた。
「こっちも完了。WSソリューションのトラフィックデータ、例のサーバに置いといたから。」
「ありがと。いくら?」
「金ならいらない。」
 スヌーピーは道具を閉まって立ち上がった。
「情報が欲しい。なんかいいネタがあったら教えてよ。あと、また政府のサイトみたいなでかいのにしかける時は声かけてくれよな。」
「ああ、あれね・・・・・・」
 スヌーピーの声には尊敬の念がこもっていたが、奈々はむしろ触れられたくない様子だ。
「じゃ、またいつか。」
「元気でね。」
 三つの影がゆっくりと消える。幻のように。
 後に残るのは、次なる訪問者(ハッカー)を待つ薄暗い地下室ー聖域(サンクチュアリ)だけだ。

 務はじっと画面を見つめた。
 爪を噛み、腕組みし、トラックボールに手を伸ばす。
 いちいち命令を口に出したり、仮想キーボードを使ったりしなければならないグローブよりも、務はキーボードとトラックボールをつかう方が好きだ。プログラマにとってはこの方が断然使い良い。
 エンターキーを押し、シーンをもう一度再生する。
 黒いボディスーツが仮想部屋の中央へ現れる。壁際のファイル棚へ歩みよる。
 そこから先は何をしているか映像だけでは分からない。けれど、時刻は四月十五日、午前一時四十分。ファイルがコピーされた時間と正確に一致する。
 譲がこの俺のマシンに侵入した?
 そんな奴には見えない。だが、その気になれば不可能ではない筈だ。
 WSソリューションの正社員で、務の友人でもある伊東が、この間妙な話をしていた。GPEジャパンから譲のメールのことで問い合わせがあったというのだ。大量のメールがサーバに置かれており、そのせいでメールサーバが一時不安定になったらしい。
 譲が言っていたいたずらメールの差出人が、嫌がらせに送ったのか。
 それとも、ひょっとしたらそれは何かのソースコードだったのかもしれない。譲が銀行をハックして、口座番号の一覧を盗み出すなんてことはまず考えられないが、どこかの部署のソースコードをこっそり自宅に送る・・・・・・あいつは根っからの開発好きだから、やっていないとは言いきれない。
 端末の電源を落としながら、システム管理者に連絡すべきだろうか、と憂うつな気分で考える。
 そんなことは俺の知ったこっちゃない。ファイルさえ破壊しなければ、何をしてようと奴の勝手だ。でも、なんで俺のファイルを探った?
 端末の電源を落とし、遠隔(リモート)オフィスを出た。少しためらってから携帯電話をとりだし、ダイヤルする。
「譲か? 俺だよ。・・・・・・ああ、いや、今仕事が終わったところだ。そっちは? これから飯でもどうだ?」
 二十分後、務は譲と向かい合わせにD―FOODの椅子へ腰を下ろしていた。最近この辺りの駅前に増えた多国籍料理(ミックス・フード)のチェーン店で、手軽な料金でアルコールが飲める。
 ビールが運ばれてくると、とりあえず乾杯。仕事の後のビールはいいものだ。
「なんだよ、今日は。どうしたんだ?」
 そう尋ねる譲の笑顔は屈託ない。
「別に。画面ばっかり見てて疲れたからさ。生の人間の顔が見たくなったのさ。見飽きた顔だけどな。」
 ビールを何口か飲み下す。喉にじわりと、ほろ苦い味がしみ込む。
 仕事が終わった後、同僚とこうしてくつろぐのもいいものだ。このところ忙しくてそんな余裕もなかった。
 今日こうして問いただす用件がなけりゃ最高だったんだが。
 嫌なことは早く終わらせてしまうに限る。
 務はさりげなく尋ねた。
「お前、俺の端末覗いたか?」
「かもね。」
 譲があっけらかんと答える。
 務は譲の目の奥を探ったが、彼の表情はふざけた風で、どこまで本気か分からない。
「いいだろ、別に。あんただって元ハッカーなんだから。」
 つまり、譲、あんたもハッカーってことなのか? 真面目が服着て歩いてるようなあんたが?
 とはいえ、ハッカーは案外こういうエリートに多いのだ。何かに熱中すると止まらなくなる。普段真面目な分、悪に惹かれる。
 務が口を開きかけた時、電話が鳴った。
 譲が胸ポケットに手をつっこみ、立ち上がる。
「もしもし? はい、はい、いえ・・・・・・」
 通路を向こうに歩いていったかと思うと、すぐにまた戻ってきた。
「ビジネススクールの宣伝だよ。うるさいったらありゃしない。」
 舌打ちし、乱暴に携帯電話をポケットに突っ込む。
「図々しいよな、人のプライベートな時間を侵害して当たり前だと思ってやがる。どこで電話番号を調べるんだろう?」
「どこかで情報が売られてるんだよ。それ専門の会社もあるくらいだ。名前、年齢、経歴・・・・・・趣味だって出回ってるかもしれない。」
「プライバシーなんてあったもんじゃないな。」
「金になりゃ、なんでもやる。それが資本主義だ。」
 務はたばこに火をつけた。
 譲が嫌がるのが分かっているので、顔をそむけて息を吐き出す。
「でもよ、お前が俺のマシンをのぞいたのは・・・・・・」
「ちょっと待て。本気で言ってるのか?」
 譲が言葉をさえぎった。
「違うのか?」
「馬鹿言え。俺はそんなに暇じゃない。」
「誓うか?」
「ああ。」
 言葉にためらいは感じられなかった。譲の顔は真剣そのものだ。
 務は少し考えてから打ち明けることにする。
「俺のマシンにお前が訪問(アクセス)した記録が残ってる。」
 譲はぽかんと口を開けた。
「なんだって・・・・・・」
「それもマシン名じゃないぜ、グローバルで使われてるお前のポリゴンが写ってた。」
「そんな筈ない。なにかの間違いじゃないのか?」
「俺だって考えたさ。でも間違いじゃねぇんだ。」
 務は笑ってみせた。そうでもないと、相手を糾弾しているようにとられる台詞だ。
「俺はまた、例のメールが俺の仕業かどうか確かめるためにあんたに侵入されたのかと思ったよ。」
 I WILL CRACK YOU.
 破壊工作(クラッキング)を予言したあのメール。いったい誰の仕業なのだろう。
「侵入するって、どうやって? パッチは当ててるんだろう。」
 布当て(パッチ)というのは、既に発売されたソフトウェアに一部修正をほどこすためのもの。バグの多い最近のソフトでは何度も配布されるのが一般的だ。
 WSソリューションでも、無数にパッチを出している。
「VR―OSはバグだらけだ。ネットワークOSのシェア争いでしょっちゅうバージョンアップを繰り返してるからな。いくら塞いだって追いつかねぇ。社内から覗くぐらい、どうにだってなる。」
「簡単に侵入できるってことか? そんなOSがシェアをほとんど握っている?・・・・・・」
「ま、バグがゼロのOSなんてねぇけどな。セキュリティでいえば、フューチャテクノロジーのS/OSが抜群だった。会社、つぶれちまったけど。」
 S/OSはネットワーク上のセキュリティ強化を目的に作られたOSで、天才ハッカーと言われたデヴィン・ルーセントがリーダとなって開発された。
 マシンごとに暗号化がかけられ、強力な記録(ログ)機能がついている。レポートされているバグも格段に少ない。
 だがVRーOSの普及ですっかり日陰においやられ、フューチャテクノロジーはエターナル・ソフトに買収された。
 譲が懐かしげにつぶやいた。
「S/OSのC言語(シー)を少しいじったことがある。VRーOSより洗練されたプログラム(コード)が書けた。いいOSでも普及しないこともあるんだな。」
「経営が下手だったのさ。でもよ、あのシステムの>セキュリティ方針()は認証局や警察のネットワークで生かされてる。」
 だからこそ認証局は絶対の安全を保っているわけだ。
 今のところは、だけれど。
「なんにしろ、俺はどんなOSだって人のマシンに忍びこめるほど技術はないよ。どうやってやるのか、検討もつかない。」
 譲の言葉に務は苦笑する。
 あんたに技術(スキル)がないだって? 悪い冗談だ。
 会社に入ってきた時、人事の履歴書ファイルをほんの少しだけ盗み見させてもらった。社内で友人を作るのに参考にしたかったからだ。
 どれもこれも似たようなものだったけれど、ある言葉に目が吸い寄せられた。
 高校三年/プログラムオリンピックに優勝。
 ちょっと待てよ。高校生が優勝だって? 大学レベルの数学の知識がなければ予選も厳しいと言われているあのプログラムオリンピックに?
 無試験で東大の数学科に入り、三年までのカリキュラムを二年で終了。三年目には神経細胞(ニューロ)コンピュータの考え方を応用した開発言語の卒業論文を書いている。
 もちろん、そいつの名前は藤田 譲だった。
 同じ部署に配属になった時、務は内心小躍りしたものだ。これで会社も面白くなる、と。
 それから一緒に、人工知能系の開発言語、EI(エクセレント・アイディア)を開発してきた。
 EIの概念を理解するだけでも、務にはけっこうな苦労だった。けれど元のコンセプトは、ほとんど譲が大学時代に考案したものなのだ。舌を巻くしかない。
 ニューロコンピュータの概念自体はさして新しいものではないが、それをここまで完璧にプログラムの世界で再現できたのはEIが初めてだろう。
 会社のお偉方がどこまで理解しているか怪しいが、譲の研究はオブジェクト指向の登場と同じぐらいのインパクトを持つ筈だと務は読んでいる。
 技術でいえば、この会社で彼に並ぶ者はいないのだ。セキュリティホールのリストなんてそこらじゅうに出回っている。譲がその気になればいくらだって悪さできるだろう。
 とはいえ、ハッキング/クラッキングに手を染めるかどうかは本人の性格次第だ。
「お前がやったんじゃないとすると、誰か別の奴がお前の姿を借りたことになる。」
「ローカルIDを使ったのかもしれないな。認証局を経由しなければ、どんなポリゴン形状だって許される。」
 譲が考え深げに言った。
 社内サーバから一時的に付与されるローカルIDなら、ワールド・ワイド・バーチャルスペースに出られない代わりにどんな名前をつけることも可能だ。
 会社の中を荒らしまわるにはそれで十分。
 もし誰かが譲をはめようとしたのなら、わざと彼に似せたポリゴンを作り出すこともできる。
「確かにね。ハッカーの七割は社内だっていうから。」
 務の言葉に譲は顔をしかめる。
「考えたくないね。」
「もしくは、お前の接続中に通信を盗んだのかもしれない。どっちにしろ、犯人がもう一度アクセスしてくる可能性がある。しばらく罠をしかけて見張っといた方がいいな。」
 譲はうなずき、少し考えこんでから言った。
「認証局をハックしたって話はまだないよな。」
「多分まだ二、三年は安全なんじゃねぇか。今のところ、認証局をハックすることは誰にもできない。デヴィン・ルーセント本人でもない限りね。」
 務はそう答えた。

 譲は思わず問い返していた。
 なんですって? と。
 耳が信じられないとはこのことだ。
「単体テスト終了を区切りに君との契約を終了したい、とそう言ってるんだ。」
 加納課長が神経質そうにまばたきし、眼鏡を鼻の上に押し上げる。譲の嫌いな甲高い声は、いつもに増して金属味を帯びている。
 通信方式を音声からテキストに切り替えようか、と譲は一瞬本気で思う。
「突然どうしてですか?」
 二次開発では、いよいよEIの真価であるネットワークでの協調機能がつけ加えられる筈だったのだ。譲にはそのプロジェクトリーダになってもらいたいと、そんな話まで出ていた。
 それが進行中のプロジェクトの途中でおりろ、と。どうなっているのだろう。
 加納課長は口早に答える。
「会社も今厳しいんだよ。それに色々理由があってね・・・・・・採算の取れるかどうか分からないプロジェクトに、いつまでも金をかけてるわけにはいかない。」
「二次開発は打ち切りですか? EIのアフターフォローは? バグ修正(フィックス)やバージョンアップは誰がするんです?」
「二次開発は当分延期だよ。何しろ、予算がなくてね。分かってるかどうか知らんが、君のような大卒の優秀なプログラマを雇うのはお金がかかるんだ。テストくらいなら高校生のバイトにでもできる。ちょっとしたバージョンアップにそれほど優秀な頭脳は必要じゃない。手順に従ってコーディングができるプログラマがいればいい。」
 あまりに唐突な話だ。第一、まったくナンセンス。
 デバッグなら高校生にでもできる? 冗談じゃない。そりゃあ、手順書に従ってテストをすることはできるだろう。でも、その手順書は誰が書く? 誰がアルゴリズムを解読して、直すことができる?
 会社の経営が厳しいって? ならあんたみたいな無能な管理職を削ったらどうなんだ。開発が1ヶ月も遅れたのは、あんたらが決定にもたもたして何度も方針を変更したからじゃないか。
 いや、違う。そんなことじゃないのだ。突然こんなことを言われた理由は分かっている。
 自分の・・・・・・というより、自分の格好をした何者かの、システムへの侵入がばれたのだ。
 会社中のファイルをかたっぱしからコピーしていくような危ない奴、誰が雇っておきたいと思うだろう。産業スパイだと思われてもしかたない。
 だが、どうしたら良いか分からない。今ここで自分が犯人じゃないと言い張ったところで、余計怪しまれるだけだろう。
「COS版のEIは?」
「もちろん発売延期だ。君の後続の誰かが移植するかどうか・・・・・・それはまだ分からないけどねぇ。」
 打ち明けるべきかどうか、譲は少々ためらった。
 人工知能言語、神経細胞をモデリングしたEIが真価を発揮できるのは間違いなく複数台のコンピュータが協調作業できるCOS上だ。
「COS用のプロトタイプはもうできているんですよ。」
 譲は結局口にした。
 β版と呼べるものは、すでに会社のサーバに置いてあるのだ。
 上の連中がたてるスケジュールときたら、特攻隊みたいなものだ。どうあがいたってできっこないことをなんとかしろとわめきたてる。
 それが分かっているから、設計より先行してプロトタイプをつくっておく。そのまま使えないのは分かっているが、0から作るのでは間に合いっこない。
「いつ作ったのかね?」
 加納課長が神経に突き刺さるような声で聞いた。
 あんたらが無駄な会議をしている間だよ。
 決定方針にもたついてる間。
「そんな暇がどこにあった? 作れと命令した覚えはないけどね。」
 譲は急に疲労を感じる。
 そうだ、彼に言ったところでなんになる? こいつに何か話して、一度だって事態が好転したことがあるか?
 譲は息をついて、話題を変える。
「それで、何月までここにいられる訳ですかね?」
 思わず声が皮肉げになる。
 落ち着け、譲。ここで奴を怒らせたら、事態を悪くするばかりだ。
「EIのテストが終了して、発売の準備が整うまでさ。まだ何ヶ月かあるが、早めに話しておいた方が、君も準備ができるだろうと思ったまででね。」
「それはどうもご親切に。」
 しまった、と思ったが相手は言葉どおりに聞き流したようだ。愛想笑いを残して、通信がきれる。
 譲は席を立ちあがった。ただでさえ乗り気のしない仕事が、どうでもいい気分になってきた。途中でプロジェクトをおろされる? くそ!
 コーヒーでも飲もうかと休憩室へ入るとガラス張りの喫煙室の中から務が手をふるのが見えた。呼んでいるらしい。
 自販機でコーヒーを注ぎ、紙コップを片手に喫煙室へ入る。
 一瞬、ムッと煙草のにおいがたちこめ、思わず顔をしかめた。
 空気清浄機は設置されているが、毒の放出量にはとても間に合わない。部屋の奥は、かすかに白紫色に煙っている。
「なんだってこんなところへ呼ぶんだ。コーヒーがまずくなるだろ。」
 譲は愚痴ってみせた。内心は、関係ない話ができるのがうれしくもある。
「こっちのが人がいない。俺ら二人だけだ。」
 さっきの緊張感が再びよみがえった。他人に聞かれてはならない話があるということか。
「なにかあるのか?」
「あんたのことが噂になってる。やばいかもしれないぜ。」
「ああ、もう十分ヤバイね。」
 譲はうなずいた。
「さっき加納に呼び出された。予定より早く、契約を打ち切りたいと言ってきた。まあ、会社のシステムを荒らされたりしたら・・・・・・」
「社内システムへの侵入の話じゃない。あれは俺しか知らない筈だ。情報システム部に探りを入れといたが、気づいた様子はない。」
「なんだって? そうすると・・・・・・」
「GPEジャパン。メールサーバを委託してる会社があるだろ。そこに不正侵入の記録が残ってたらしい。それに何個所かの大学で、あんたを見かけたって奴がいる。」
 委託業者? 大学? どうなってるんだ?!
「俺じゃない! このところ徹夜続きで、そんな余裕なかったのは知ってるだろ。」
「噂じゃそうなってるってことさ。実質的な被害は出たわけじゃないし、GPEジャパンも起訴するって話は今のところない。でも会社にとっちゃ、面倒は起こしたくないからな。」
 冗談じゃない。このままではいずれ警察が出てくるかもしれない。
 いっそのこと警察が出てきてくれたほうがすっきりする。法廷に出て白黒はっきりつけたらいい。
「もって回った言い方しやがって。だったらはっきり言やあいいんだよな、あんたはGPEジャパンをクラックした、だからクビにするって。」
 そうなれば、自分は犯人ではないと弁明することもできる。理由も告げられないのでは、どうにも動きようがない。
「・・・・・・大丈夫か?」
 務が気づかうように尋ねた。
「何が? 別にどうってことないね。どうせこの会社だって二年間の契約だったし、愛社精神もないしな。また別の雇い主を探すまでだ。」
 これは強がりだ。
 確かに、職を失うこと自体はたいしたことではない。腕さえよければ、フリーで渡りあるくSE、プログラマは大勢いる。
 ただ、譲がシステムをクラックしたという噂が広まると、まずいことになる。広いようで狭いこの世界、ちょっとしたうわさもメールであっという間に広まってしまうのだ。
 情報を盗み出すような社員を、どこの会社が雇いたがる?
「犯人探し、するなら手伝うぜ。犯人はきっとまたここに戻ってくる筈だ。一人で四六時中見張りをするのは大変だろ?」
「そうだな・・・・・・まず何をしたらいい?」
「会社のネットワークの入り口に、監視用サーバを置く。外部からの接続が来たらすぐに知らせるようなプログラムを仕こんでおけばいい。そういうの作るのは、お前お手のもんだろ? あとは犯人を追いかける追跡プログラムを準備する。」
「なるほど。詳しいな。」
「いやぁ、ワクワクするね。学生時代のバーチャル戦争を思い出す。」
「お前、そっちが目的か?!」
 譲は務の頭をこづいたが、内心はありがたい気持ちだった。
 アドバイザーがいなければ、どこから手をつけていいか分からない。
 それにしても、自分の犯罪を人に押しつけるとは、なんと図々しい奴だろう。絶対につかまえて、自分が何をやったのか見せつけてやらないと気がすまない。
 それと、誰かに相談したほうがいい。加納じゃなくて、人事か、部長か、別の誰かに。
 辞めるとなれば理由ははっきりさせておくべきだし、契約を中途で打ち切るならば、退職条件についても話し合わなければなるまい。
「よっしゃ、仕事に戻るか。」
 務が煙草をもみけして部屋を出た。譲はカップを握りつぶしてゴミ箱にほうりこみ、彼の後を追った。
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