Project Seven

presented by PSY

第一話:痕跡


 なにかおかしい、
 と奈々は思った。
 どこかおかしい。
 どこが? いつも通りの見慣れた部屋だ。
 グリーンとピンクの壁紙は、先週張り替えたばかり。

(ウィンドウ)の向こうには緑の恐竜が飛び、鐘を振るような低い鳴き声を響かせている。
 ふわふわした床の上には丸っこいペンギン。奈々のお気に入りのデスク・ペットだ。時々立ち止まってお尻をふったり、転びそうになったりする。
 この動き方(モーション・パターン)からすると、もうすぐ卵を生む筈だ。
 (デスク)の上には時計、色別に分類されたフォルダ、らくがき帳などが、案外きれいに整理されている。週に2、3回はファイルを点検して、種類別に整頓するようにしているのだ。
 <本物の>部屋はひどいものだけど・・・・・・
 待てよ?
 奈々はふと首をかしげた。
 デスクの上をポイントし、思いっきりズームしてみる。
 おかしな原因が分かった。らくがき帳が白紙なのだ。いつもなにかしらメモを書きつけておくのに。
 よぅく注意してみると、フォルダもおかしい。よく使う水色のファイルはとりだし(ピック)しやすいように少しずらして置いてあったのに、今はきちんと揃っている。
 ってことは?!
 誰かがこのあたしの部屋(ルーム)に侵入したってことじゃない?!
「エンジェルっ!!」
 奈々が叫ぶと、お助けプログラム(ヘルパー・エージェント)エンジェルが姿を現した。
 奈々のエージェントはちっちゃな天使の格好で、金色の羽根をつけ、弓矢を手にしている。
 天使が目をくりくりと動かした。
「奈々ちゃん、呼んだ?」
「ファイルを検索して。条件はアクセス日付、四月十九日。」
「ちょっと待ってて。」
 天使がハートの姿に変わった。検索中なのだ。
 その間に奈々は十九日のログファイルをポイントし、仮想部屋(マイ・ルーム)の中に展開する。
 ザッとスクロールし、全体に目を走らせた。
 こういう時、奈々の目は普段と一転して真剣になる。
 特に変わったところはないじゃない? 不正侵入のあった様子もないし・・・・・・とはいえ、アクセスログに足跡を残してくようなお馬鹿な奴が、このあたしの部屋に侵入できるわけでもなし。
「お待たせっ!」
 天使が陽気な声で叫んで、奈々の目の前に一枚のペーパーを吊るした。
 4万3000件! 
 ゾッとした。
 この日一日でほとんどのファイルがアクセスされてる。
「起動されたファイルは?」
 ペーパーの上の文字が並びかわった。3件。コピーや移動に使われるシステムファイルが2件に、あと1件はクエスチョンマークがついている。
 誰かが、奈々のルームをひっかきまわし、ありったけのファイルをコピーして去っていったのだ。
 一体誰が?
 奈々は今までに成敗(クラック)した相手を思い浮かべてみた。
 セクハラ親父に麻薬販売のおにーさん、個人情報の密売屋。個人情報の密売屋ってことはありうる。クラスメートの舞が携帯番号を勝手に流されて、すっかり困っていたのだ。で、データベースごと破壊してきた。足跡は残さなかったつもりなんだけど。
「ねーちゃん?」
 どこからか声がした。
 奈々はまるで気づかずにこぶしを握りしめる。
 ともかく、絶対許さないんだから。
「ねーちゃん、ねーちゃんったら!」
「あーむかつくっ!」
 奈々はいきなりメットを外し、地面に叩きつけた。
 燃えるような赤色の髪の毛が、中からバサリと現れる。
 夢のような世界が一瞬にして消え去った。変わって現れたのは乱雑な自分の部屋。めまいに近い感覚がして、おでこを押さえる。
 と、そこでドアの前の人影に気づき。
「弘、なんだ来てたの。」
「なんだじゃねーだろ、さっきから何度も呼んでるのに。」
 弟の弘は呆れ顔だ。
「何よ、なんか用? あたし、今日は忙しいんだから。」
 今日中に犯人の痕跡を探さなくちゃならないし、防御壁(ファイアウォール)を強化しとかないと危険だ。こういうことは時間がたつと面倒だし、また侵入される可能性だってある。
「忙しいったって、またハッキングかなんかしてんだろ。」
 弘は興味なさげに肩をすくめる。
 今時の中学生には珍しく、弟は仮想空間(バーチャル・スペース)のIDすら持っていない。奈々の両親は機械音痴もいいところ。結局HOC(ホック)ーホームオペレーティングコンピュータも含めて奈々がみぃんな管理する羽目になっている。
 あたしに何かあったら、みんなお風呂にも入れないんじゃない?
 と奈々が言っているのも、あながち冗談ではない。洗濯、空調、風呂沸かし、防犯・・・どれも奈々がHOCにプログラミングして管理しているのだ。
 奈々にとっては、マシンもソフトも買いたい放題使いたい放題で、大変ありがたい状況ではあるのだけど。
 それにしても。
「ねーちゃんじゃないの、おねーさまと呼びなさいって言ってるでしょっ。」
 奈々は腰を手にあてて説教した。
(ああ、これがうちの姉とはねぇ・・・・・・)
 弘は内心ため息をついたが、言い返すのも馬鹿らしいのでそのまま受け流し、本題に入る。
「・・・どうでもいいけど、そろそろ学校行かないと遅刻するよ。」
「へ? 学校?」
 奈々は目を丸くした。
 奈々の通う高校はAチームとBチームに分かれていて、Aチームが月・水・木が学校、Bチームが火・水・金に登校して(オン・サイトで)授業を受けることになっている。奈々はAチームだから火曜と金曜は遠隔授業、もしくは在宅学習だ。
「今日火曜日じゃなかったっけ?」
「そうだけど、文化祭の準備で学校行くとか言ってなかった?」
「うげっ!・・・」
 奈々は下品な声を出し、あわてて口を押さえた。
「そうだった、クラスでなんか出し物するんだっけ? ・・・・・・何、やるんだろ?」
 自分のクラスの出し物も覚えていない辺り、さすが奈々である。学校のことなんて、軽いバイト、ご飯でいえば朝食くらいにしか思っていないのだ。
 もちろんディナーに当たるのはハッキングだ。
 座席から飛びおり、ボディ・スーツを脱ぎかけた。
 奈々のマシン・インタフェースはバイク型をしている。左右のハンドルと真ん中のパネルが操作用。仮想空間(バーチャル・スペース)上ではバイクを運転するのと同じような操作で移動することができる。
 この狭い日本で何もこんな場所をとる機械をおかなくても・・・・・・と弘はいつも思うのだが、レバーよりグローブより、これが一番エキサイトできるよっ! というのが奈々の言い分だ。
 奈々のボディ・スーツは上品な赤い色だ。流れるような銀のラインが入っていて痩せてみえるので奈々は気に入っている。
 フォース・フィードバック機能つきで、物にぶつかるとちゃんと衝撃が感じられるのも魅力だ。
「・・・・・・って弘っ!」
「はい?」
「レディが着替えようとしてるんだから外に出てなさいよ。」
「はいはい・・・・・・」
 弘が疲れた顔をして出ていくと、奈々は勢いよくボディスーツを脱ぎ捨てた。子供っぽい顔立ちの割に、グラマーな肢体が現れた。
「ああ、もう急がなくっちゃ。」
 奈々は床の上の服をひっかきまわした。
 三枚ある制服のうち一番しわのないのをひっぱりだし、軽くはたいて身につける。
「行ってきますっ!」
 ろくに荷物も持たないので、支度は早い。あっという間に家を飛び出し、学校へ向かった。
 学校までの道のりは約1キロ半。モータつきの自転車で、十分弱といったところだ。
 オーバードライブをきかせたまま、猛烈な勢いでカーブを曲がる。
 大通りに出た途端、クラクションが鳴り響いた。
 目の前に車が迫っていた。
 止まれない!
 奈々はサドルをけって、宙に身をひらめかせた。
 自転車が派手に倒れて二、三メートル滑り、車はタイヤをきしらせて横すべりにとまる。
 華麗な着地を決めた奈々へ、車の中から男が顔を出して怒鳴りつけた。
「馬鹿やろう! 何考えてやがる!」
「お互い様よっ。今どき、事故回避センサもつけてないんだから。」
 奈々は叫び返し、自転車を拾って走らせはじめる。
 後ろから怒声が聞こえたが、とりあっている暇はない。
 早く学校に行かないと。
 自転車を飛びおりてロッカールームへ入る。ちょうどチャイムが鳴っているところだ。
 ロッカーから端末をとりだすと、急に急ぐ気がなくなってため息をつく。
(あ〜あ、ゆーうつ・・・・・・)
 一時間目がH.R.(ホームルーム)、出し物の役割分担や何かを会議で決めるにちがいない。うっとうしい。その後には奈々の苦手な英語やら保健やらが控えている。
 学校なんて週三回でもうんざりなのに。
 教室に入り、端末の電源を入れると、途端にメールがポップアップしてきた。
『例のもの、手に入った?』
 友人の舞からだ。
 例のもの、とはテストの答えのこと。
 先生は大抵テストの答えをコンピュータに入れている。ずさんな先生だと、パスワードさえかけていない。奈々にしてみれば読んでくださいと言わんばかりだ。
 一年前、歴史の答案を手にいれて友達に見せたら希望者が大殺到。以来、一教科500円でアルバイトにしている。もちろん、みんなに渡してしまったらすぐにばれてしまうから、先着6名まで、それもテストの直前にプリントアウトして渡すようにしている。
『英語と歴史はあるよ。』
 奈々は短く返信して、前を見た。
 教室の前方のパネルの前に、文化祭のクラス委員長が立っている。左手の壁は一面がスクリーンになっていて、普段は遠隔学習の生徒が表示される。今日はクラスの全生徒が来ているのでスクリーンは真っ暗、部屋はすし詰めの状態だ。
(息苦しいったらありゃしない。)
 端末が点滅した。
 よほど暇なのか、舞の答えがもう返ってきている。
『今回も4649(よろしく)! 数学はないの?』
『数学は駄目!』
 奈々は素早く打ち込んだ。
 数学のシミュレーションの時間が奈々は一番好きだった。
 仮想空間(バーチャル・スペース)上に自分の3Dキャラクタをデザインする方法を教えてくれたのも数学の三上先生だし、夏休みにはフラクタルとかいう技術で計算したきれいなマンデングローブ模様のCGをメールで送ってくれた。奈々はしばらくそれを仮想部屋(マイ・ルーム)の壁紙にして貼っていた。
 そもそも、三上先生みたいなコンピュータの得意な人のマシンをハックするのは面倒だ。万が一にもばれたら・・・・・・先生に軽蔑されるような真似はしたくない。
「・・・・・・を希望する人!」
ふと気がつくと、 まわりの人が何人か手を挙げていた。
「ね、なんて言ったの?」
 奈々は隣の席の男子に小声で尋ねた。
 出席日が違うので名前はよく覚えていない。小林、だったっけ?
「買い出し希望の人だよ。」
 なあんだ、と奈々は一人ごち、根本的な質問を口にする。
「ねぇ、うちのクラスって何するの?」
「はぁ?」
 男の子は露骨にあきれた顔をしたが、小さな声で答えてくれた。
「サイバー・カフェだって。」
「サイバー・カフェ?」
「ほら、最初は喫茶店やろうって言ってたけど、ただの喫茶店じゃつまんないって話になったじゃん。で、教室のスクリーンとか小型ディスプレイとかに仮想空間(バーチャル・スペース)を映してさ、ネットワーク経由の人にも参加してもらおうって。」
「へぇ、面白そうじゃん。」
「・・・・・・」
 小林(だろうか?)は、もはや言葉もなくしたらしい。
 前方では委員長が次々とパネルにみんなの役割を書き込んでいる。
「じゃあ、ネットワーク環境の整備やる人・・・・・・」
「はいっ! はいはいっ!」
 奈々は勢いよく手をあげた。
 そういうのなら朝飯前だ。おまけに、管理者になれれば学校からネットつなぎ放題なんて特典もついてくるかもしれない。
「はい、望月さんね。それと・・・・・・」
 隣の席の男の子も手をあげたようだった。それでフルネームが小林 一樹だと分かった。
 もう一人、希望したのは女の子で、神田 祐子というおとなしそうな子だ。
(こりゃ、あたしがしきることになりそうねぇ。)
 奈々は勝手にそう考える。
 だって、ネットワークに詳しそうなメンバーいないじゃない。きっとあたしってば大活躍だ。よし、今のうちに休んどくか。
「じゃ、小林君、後はノートお願いね。」
 そうお願いすると、奈々はあっけにとられた顔の一樹を尻目に、安らかな寝息をたて始めた。

「へぇ、ここかぁ。」
 奈々は部屋の中を見渡した。
 奈々達三人は、文化祭で使う視聴覚室へ来ていた。
 壁は三方が巨大なスクリーンになっている机の上には座席ごとにディスプレイ。
 案の上、一樹も祐子もネットワークのことなどまったく知らず、奈々は先生よろしくホワイトボードに項目を並べあげ始めた。
「まずレイアウトを考えないとね。部屋の中とネットワーク上の。それから端末を配置して、アドレスと権限の設定をして・・・・・・」
「あの・・・ネットワーク上のレイアウトって、どういうこと?」
 祐子が遠慮がちに口をはさんだ。
「学校の仮想部屋(マイ・ルーム)がこの部屋の三方のスクリーンに映し出されるの。赤外線装置と組み合わせれば、この部屋の人達を逆にネット上に映し出すこともできるよ。つまり、教室の中とネットワーク上の仮想部屋(マイ・ルーム)が一つになるってイメージだよね。」
「すごい。この部屋で、仮想空間(バーチャル・スペース)上の人とお話できるの?」
 祐子が目を輝かせる。
「んー・・・・・・そうだね、マイクをつければできるかも。」
 奈々は考えこみ、はたと思い出したように手を打った。
「あ、あたし機器の設定やっとくからさ。レイアウトとコンセプト、考えといてくれる?」
有無を言わさず、奈々は端末の前に座りこみ、ヘッドセットとグローブを装着した。
学校の中でWWVS(ワールド・ワイド・バーチャル・スペース)に入れるのはここと職員室だけだ。今朝のハッカー騒動、早く対処しないととりかえしのつかないことになる。
 電源を入れ、ログオンすると、学校の味気ない仮想部屋(マイ・ルーム)が奈々の周りに浮かび上がった。
部屋(ルーム)に立つ奈々の姿は家と同じ、赤いスーツを着たポニーテールの女の子だ。スーツの胸には大きく「SEVEN」の文字。
 ログオン端末が変わっても奈々のIDは変わらない。変わるのは、奈々の形をしたこの物体(オブジェクト)の属性であるホーム・アドレスだけだ。
 奈々が指を動かすと、移動用のドアが目の前に現れた。自分の家のアドレスを打ち込むと扉が開き、奈々の仮想家(ホーム)の前へワープする。
 家の中に入り、パスワードを打ち込んで自分の部屋に入った。
 大丈夫、再び何者かが入りこんだ形跡はない。
「おいで、ペンギンちゃん。」
 奈々は床の上ではねまわるペンギンに手をのばしたが、短い足でちょこちょこ逃げまわってなかなか捕まらない。
 こんな反応の鈍いグローブじゃなくて、家のバイクだったらあっという間に捕まえられるのに、と奈々はだんだんイライラしてくる。
「ああもうっ! 止まりなさいったら!」
 部屋の隅に追いつめ、ようやくペンギンをつかまえた。
 ペンギンは首をぱたぱた横にふってイヤイヤをしている。
属性(プロパティ)表示。」
 奈々が命じると、ペンギンの背中がパカリと開いて、さまざまな文字の書かれたウィンドウが飛び出した。
 4月19日の情報をポイントし、空中に広げる。
 縮小された部屋の映像がずらりと並んでいた。
 このペンギン、ただのマスコットではない。ネットワーク上で拾ってきたデスクペットに、奈々が防犯機能のプログラムをつけ加えたオリジナルツールだ。
 1時間おきに1回、それと侵入者があった時に、ペンギンは目の前のものを<撮影>して、一時記憶(キャッシュ)に保存する。
 四月十九日に侵入者があったのなら、この(トリック)に気づいていない限り姿が残っている筈だ。
「・・・・・・あった!」
 奈々は絵を一枚ピックして拡大した。
 レーシングスーツ姿の男が映っている。
 かがみ込んでいるのでよくは見えないけれど、胸にはJで始まるIDが記されている。
「ふふ、お馬鹿さん。」
 奈々は笑みを浮かべ、外部記憶装置と学校側の端末に映像を保存した。
「ハッカーは上級者(エリート)を狙わないってのがルールってもんよ。」
 手始めに一番よく使っている裏サイトのデータベースにアクセスし、Jで始まるIDと類似カラーで検索をかけた。
 大抵のハッカーならここでひっかかる筈だ。
 映像から元の物体(オブジェクト)形状を割り出して、類似形状検索でフィルタすれば、更に対象を絞りこむことができる。
 2、3日中には犯人が分かる筈。そうしたら絶対・・・・・・
「絶対正体を暴いてやるっ!」
「奈々ちゃん?」
 奈々は慌ててヘッドセットを外した。
 視聴覚室にいるのをすっかり忘れていたのだ。
 スケッチブックを手にした祐子が奈々の顔をのぞき込んでいる。
「な、何? ごめん、設定はもう少し・・・・・・」
「これ、部屋のイメージをスケッチしたんだけど、どう?」
「・・・・・・うわぁ!」
 奈々はスケッチを見て驚きの声をあげた。
 色鉛筆で書いたとは思えないほどきれいな情景がそこにあった。
 水族館のイメージだ。
 三方の壁の向こうにぼんやりと人影が見え、その間を色鮮やかな魚が泳ぎまわっている。
 部屋の中央にはテーブル珊瑚。青い照明が部屋に集う人々を照らし出す。
 教室前方の入り口近くに控え室らしきスペース。反対側の入り口には受付があって、天女みたいな格好の受付嬢が座っている。竜宮城みたいだ。
「なかなかやるじゃん! これ、今描いたの?」
「う、うん。たいしたことないけど、美術部だから・・・・・・」
「そう、じゃ美術担当はあんたに決まりだね!」
「え、あたし・・・?」
「終わったぜ。片づけ。」
 最後の机を部屋の隅に寄せて、一樹が近づいてきた。
 スケッチブックをのぞきこみ、目を丸くする。
「すげぇなこれ。こんなの俺達にできるかな?」
 感心したように言われて、裕子は顔を赤らめる。
「テーブルは、発砲スプレーがあれば・・・・・・でも、こんな映像って作れないかな?」
「大丈夫。CGならあたしが指導するから。アイディアはあたし達にまかせて、小林、あんたは力作業お願いね。」
「あのなあ!・・・」
 奈々はもう一度端末に向かった。
 検索結果は家に送られている筈だ。今日のところは、文化祭の準備に専念しよう。
 二人に説明しながら、環境設定を始める。
 頭の中には、楽しげなサイバーカフェの様子が見え始めていた。

「いいから見てみなさいって。」
 帰ろうとする弘の手を奈々は強引に引っ張った。
「いいよぉ。行列できてんじゃん。」
「大丈夫、こっちは関係者だもん。はい、ごめんなさいね。」
 人込みをかき分けて扉を開けると、青い照明が目に飛びこんできた。
 辺りは薄暗くてよく見えない。
 ビートの効いた音楽が、四方から沸きあがるように聞こえる。立体音響の効果だろう。
「登録、お願いします。」
 受付にいた女の子が奈々と弘を呼びとめた。
 ウェーブの髪を長く垂らして、貝の形の髪止め(バレッタ)
で止めている。
「あれ、奈々ちゃん。」
「ああ、ええと・・・・・・」
 名前を呼び返そうとしたが思い出せないので奈々は話題を変え、
「ID、足りてる?」
「ローカルのはそろそろ一杯。こんなに繁盛すると思わなかった。」
「そりゃ当然。今回の企画は、断然うちがトップだもの。」
 奈々は胸を張る。
 海底を模した幻想的なカフェ。
 その光景は、周囲の壁に投影された仮想部屋(ルーム)へと途切れなく続いて見える。
 壁の向こうを泳ぐのは、WWVS(ワールド・ワイド・バーチャル・スペース)経由で世界中から訪れる客達だ。
 スクリーン越しに、見知らぬ人と等身大のスクリーンで話し合えるシステムなんて、そうそうお目にかかれるもんじゃない。
「じゃ、機器だけ貸して。IDは自分のを使う。」
「はい、どうぞ。ドリンク代、500円お願いします。」
 奈々はポケットから一枚、チケットを出してみせた。
「これでいい?」
「え、俺の分は?」
 弘が困惑して口をはさむ。
「あんたの分は、自分で払いなさい。」
「はぁ? マジかよ。」
 弘はやってられないといった表情になったが、奈々の方は悪びれる様子もない。
「とーぜんでしょ。あんた無趣味だし、彼女もいないんだから、お小遣い余ってるでしょ?」
「俺はねーちゃんみたいに荒稼ぎしてないんだけどねぇ。」
 ぶつぶつ言いながらも弘は財布をとり出した。
 ID登録したバッチを胸につけ、部屋の中へ。
 目が慣れてくると、ぼんやりと辺りの様子が浮かびあがってくる。
珊瑚の形をしたテーブルに客がびっしり群がっている。壁を眺めている者、端末に向かう者。
 人の間を縫うようにして歩いているのは、このクラスの生徒達だろう。キラキラした長い布を、人魚風に腰に巻いている。
「席、いっぱいだよ。」
「隅っこのあそこ、空いてる。」
 奈々が端の席を指さし、素早く陣取った。
 机はピンクの珊瑚のようだ。発砲スプレーで固めた模型にエアスプレーで模様を描いたもの。小さなフジツボもはりついている。
 壁の向こう側に、海が見えた。
 ゆらめく水、淡い金色の光。魚の群れがゆっくりと通りすぎていく。
「これ、全部グラフィックス?」
 人魚の渡してくれたジンジャエールを飲みながら、弘が尋ねた。
「そう。アクアマリンって海の3Dソフトで作ったの。ま、あたしは指導しただけで、デザインしたのはクラスメートの祐子だけどね。」
「ねーちゃん、絵心ないからね。」
「うるさいっ!」
 大きなイカが目の前を通り過ぎ、後ろを子供の落書きみたいなピエロが追いかけていく。
「海にピエロじゃなんか不釣り合いだなぁ。おまけに不格好だし。ねーちゃんが描いたの?」
「馬鹿ね、あれは人間。ネットワーク経由でここに遊びにきてるお客さん。」
「へえ。じゃあ世界中の人がここにアクセスできるんだ。あの後ろにいる人達も?」
「そう。サイバー・ミーティングが楽しめるってわけ。」
 向こうから、スタンダードな男性姿のポリゴンが2体、近づいてきた。
 見た限りでは、高校生か大学生といった様子。
「お姉ちゃん達こんにちは。どこから遊びに来たの?」
 ナンパ風に声をかける。奈々は思いっきりぶりっ子な声で、
「えっとねぇ、姫百合女子校。」
 半分営業だ。
「・・・・・・嘘つき・・・・・・」
 ぼそりとつぶやく弘のわき腹を奈々は肘でこづいた。
「あれ? 男?」
「デートの邪魔しちゃ悪いよね。じゃ、また。」
 去っていく二人の姿を見送りながら、奈々は舌打ちする。
「しまった。メールアドレスだけでも聞いとけばバイトできたのに。」
「あのね・・・・・・」
「奈々ちゃんっ!」
 向こうから、人魚が泳ぐように近づいてきた。
「ええと・・・・・・舞?!」
「あたり! あたし、この部屋の真ん中からアクセスしてるんだ。今来たとこ?」
「そう。紹介するね。こっち、弟の弘。弘、クラスメートの舞。」
 弘は頭を下げる。
 赤外線発信装置つきのバッチだけでは、仕草まで相手に見えないのだが、姉と違って機械音痴だから気づかなくてもしょうがない。
「え? 弟さん?」
「はい、いつも姉がお世話になってます。色々ご迷惑おかけして。」
「いえいえ。こちらこそ。」
 この辺りの『気づき』ーコミュニケーション・スキルは弘の方が上だ。
 まるで奈々の方が妹みたいねぇ、と舞は思ったが、口には出さなかった。
 舞がこうして分別があるからこそ、奈々と二年間も友達をやってこられたのかもしれない。
「舞さんからだと、こっちはどう見えるんですか?」
「ガラス貼りの四角い箱の中に喫茶店があるみたい。弘君はかわいい女の子のかっこしてるよ。」
「えぇ?!」
 弘は奈々に抗議の眼差しを向けた。
「仕方ないじゃん、あんたID持ってないんだもん。お客さん向けのは足りなくなっちゃったし、友達のを貸したげたの。」
 もちろん学校内で使うローカルIDのことだ。グローバルIDは認証局を経由するので、勝手に<貸したり>することはできない。
 奈々は不満げな弘の額をつついてみせた。
「だからIDとっときなさいって言ったのに。いまどき
仮想空間(バーチャル・スペース)パスも持ってない中学生なんて、人間国宝モンだよ。」
「人のIDを勝手に使ってるねーちゃんこそ国家級犯罪者モンだろ。」
 向こうにいた舞がクスクス笑う。笑い声にあわせて、人魚のポリゴンも手を口にあて、体を揺らす。
「ほら、馬鹿なことばっかり言ってるから、舞さんに笑われたじゃないか。」
「惚れたの、弘? 二人でデートしてきたら?」
「仮想空間じゃ俺は女の子なんだろ。口説き文句も言えやしない。」
「素顔よりむしろマシよ。」
 人魚が身を震わせて爆笑した。水中でグルリと宙返りする。
「ひどいなぁ、舞さん。俺、そこまで不細工じゃないですよ。」
「そんなに笑ってないってば。このキャラクタ、声音で過剰反応しちゃうのよ。」
 言い訳したが、向こうからは押し殺した笑いが漏れてくる。
「俺はやっぱり、生身で話し合ったほうがいいなあ。相手が男か女かもわかんないなんて落ち着かないや。」
「確かに、ここに来てる人も誰が誰だかわからない。そう考えるとちょっと怖いみたい。」
 息を整えた舞がまわりを見まわした。
 ほの暗い海底には、様々な形の人影(ポリゴン)がひしめいている。
 男か、女か。子供か、大人か。生徒か、先生か?
 姿だけでは何ひとつ伺い知ることはできない。
「悪い人だって来てないとも限らないものね。」
「なのに、ネット人口は増え続けてる。匿名性が、今の個人主義の世の中にあってるんですかねえ。」
 弘が小生意気な口をきき、奈々は鼻を鳴らしてみせた。
「まぁた、IDも持ってないくせにかっこつけちゃって。グローバルIDは登録制になってるんだから、匿名なんかじゃないじゃない。ハッキングでもしない限り・・・・・・」
「そういえば、例のハッカーは見つかったの、ねーちゃん?」
 弘がふと先だっての件を思い出して尋ねると、とたんに奈々は不機嫌な顔になった。
「駄目。ハッカーの裏データベースには乗ってないし、正規のデータベースじゃ形状まで公開してないし。IDがまるまる分かればなんとかなるんだけどね。」
「これだけ広いネットワーク上でまためぐりあうとも思えないしね。」
「一応、家のネットワークに罠は張っておいたんだけど。」
 言いかけた奈々がアッと叫んで椅子から立ち上がった。
「何、どうかしたの、ねーちゃん?」
「あんた達、ちょっと二人でデートしてなさい。あたし用事があるから。」
「奈々ちゃん?」
 視聴覚室の端末の前にはどれも人の列ができている。
 奈々は人の間を走り抜け、隣の制御室へ飛びこんだ。
 確かに見た、あの黒いレーシングスーツ。きのこ型をした珊瑚の陰のあたりだ。
 素早く端末を立ち上げ、ヘッドセットをかぶる。まだ逃げてなきゃいいんだけど。
 IDとパスワードを打ち込むと、周囲に薄暗い海底の光景が浮かびあがった。
 左手の奥にガラス貼りの教室が見える。
 あの中に赤いスカートをはいた弘のポリゴンがあり、外には人魚の姿の舞がいる筈だ。
 さっきの珊瑚はどこだろう?
 辺りを見回してみる。
 視点が変わっているので分かりにくい。
 奈々はガラスの部屋沿いに海底を一周してみた。
 きのこ型の珊瑚を見つけ、近づいて、周囲をぐるりと探索してみる。誰もいない。黄色い小さな魚が一匹泳いでいるばかりだ。
「すいません、黒いレーシングスーツを着た人、見ませんでした?」
 奈々は傍を泳いでいた小人に声をかけた。
「知らないねぇ。彼氏かなんか?」
「そんなとこです。」
「あっちの人溜りにいるんじゃないの?」
「ありがとう。」
 奈々は小人の指さした辺りに飛んでみた。
 人垣に囲まれて、イルカのポリゴンが輪をくぐったり回転したりして芸を見せている。
 周りの人はみんな外部ネットワークからのお客さんらしく、さまざまな格好をしている。
 小さな犬が宙に浮いて尻尾を振っているかと思えば、宇宙服の人型が不自然に傾いた格好で静止している。マントをひるがえしたスーパーマンも、巨大頭の二頭身キャラもいる。
 皆がイルカ見物する中、人垣の周りをゆっくりと漂っている姿があった。曲芸よりは、人垣そのものを観察しているかのようだ。黒いボディスーツにヘルメット。
「あいつ!」
 奈々は男の背をポイントして近づこうとした。
 そのとたん、
「きゃあっ!」
 いきなり目の前に半透明のふにゃふにゃしたものがまとわりついてきた。
「何すんのよっ!」
 頭を振ったが、離れない。
 グローブで頭のまわりをかきむしり、どうにかもぎ放した。
 ケタケタと笑い声がする。
 くらげ(ジェリーフィッシュ)のポリゴンがグローブの中でプルプル震えていた。
 あの男の放った武器(オブジェクト)かと思ったがただのお客らしい。
「もう、あんたのせいで見失っちゃったじゃないの!」
 ジェリーフィッシュを海底に叩きつけ、宙に浮かぶ。
 赤い門へ移動する人影が見えた。
 門の向こうも海が続いているように見えるが、実際はそこがこのルームの出入り口。門の外側へ行けばループして元のカフェへ戻ってしまう。
 奈々はできる限りの速度で急いだが、魚や人の群れが邪魔して移動しにくい。
 家のバイク型インタフェースならもっと自由に操作できるのに、と奈々は苛々しながら思う。
 男の影が、門の向こうへ消えた。
 奈々も数秒遅れて後を追った。
 門の外には、細い廊下が続いていた。木目調の上品な壁を、天井の縁から間接照明が柔らかく照らし出している。この廊下が学校内のローカルネットの終端点。玄関を出れば、外部の世界規模の仮想空間(ワールド・ワイド・バーチャル・スペース)だ。
 男は前方を猛烈な勢いで移動していく。
 家からアクセスしていればオブジェクトを繋ぎ止める(キャプチャーする)ための色々な道具(プログラム)があるのだが、今は追いかけてつかまえるしかない。
 幸い、まだ奈々には気づいていないのか、ドアを開いて自分のルームに戻る様子はないようだ。
 この直線コースなら加速してつかまえられる。
 奈々は操作を加速モードに切換え、グローブを思いきり伸ばした。
 グングン男に近づいていく。廊下の景色が飛ぶように過ぎる。
 男の頭上を通り過ぎ、前に立ちはだかった。
「ちょっと待ちなさい!」
 男は速度をゆるめる様子もなく、走り続ける。
 奈々の体に猛スピードでぶつかった。
「キャッ!」
 思わず目を閉じたが衝撃はなかった。
 衝突判定をOFFにしてあったのだろう。ふりかえったが、男の影はもう見当たらない。
「足の早い奴!」
 奈々は舌打ちし、ふと眉をひそめた。
 奈々の走ってきた廊下の先に、何か黄色っぽい影が見えたような気がした。気のせいだろうか?
「ま、いっか。」
 とりあえず、今日の収穫は十分だ。
 まぶたの裏には、黒いスーツの上の文字が、しっかりと焼きついている。
 JOH(ジョー)、と。

 目次へ戻る  次へ>